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2月22日は猫の日!「ホーム社猫祭2025年」猫とわたしたちの物語

2月22日は「猫の日」です!
「猫の日」は猫たちへの愛と感謝を分かち合う特別な一日。

今年もホーム社では、猫好きの皆さまに、心躍る時間をお届けするため、猫をテーマにした特集をお届けします。

過去の特集で多くの反響をいただき、すっかり恒例行事となったこの企画。猫好き作家・書評家による猫エピソードや、猫本の紹介を通じて猫と共に暮らす楽しさを存分に感じていただける内容になっています。

猫好きな方や、本好きな方に楽しんでいただけたら幸いです。


1.猫エッセイ「猫とわたし」

書斎の片隅で、そっと寄り添う猫の存在。
「作家には猫好きが多い」そんな噂を聞いたことがある方も多いはず。
その気まぐれさに翻弄されながらも、多くの作家が猫の魅力に取りつかれてきました。

今回は「猫とわたし」をテーマに、最近はじめて猫を飼い始めた作家・千早茜さんと、"ケモノ好き"な書評家・豊﨑由美さんにエッセイをご寄稿いただきました。

猫の日にぴったりな猫エッセイを、貴重なお写真とともにぜひお楽しみください。

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千早茜「窮屈な晩餐」

 家にいる生きもののことは、猫ではなく「小さな家族」と呼んでいる。小さな家族は一昨年の暮れに、夫の実家からやってきた。十歳の雄のキジトラで、一緒に暮らす一年の間に十一歳になった。人間に換算すると私より年上だ。
 私はずっと犬好きだった。自分と体重が同じくらいの大型犬としか暮らしたことはなく、猫は美しいが表情のない、得体のしれない生きものだと思っていた。犬のような躾はできないと猫飼いの友人たちから聞いていた。おまけに小さすぎる。びくびくしながら猫を迎え入れ、脅かしてはいけないと気を遣った。
 しかし、小さな家族は大らかで、私に怯えることはなかった。初対面のときから威嚇すらしなかった。やってきて三日ほどで、私を見上げて「アー!」と鳴き、膝にのしのしとのって丸まった。以来、膝を独占しない日はない。よく眠り、よく食べ、よく排泄し、触れれば喉を鳴らす。想像以上によく喋り、名を呼べば「ナアン」と鳴く。かわいい。「ちゅーる、いる?」と訊くと「アー!」と元気に鳴く。現金である。呼びながら膝をぽんぽんと叩けば、走ってきてのる。アイコンタクトがとれる。賢い。外から私たちが帰ってくると、喜びのあまり走りまわり、鼻息荒く爪をといだり肩に抱きついてきたりする。機嫌が悪いことがない。気のいいやつだ、と思い、いままで共に暮らしてきた犬たちが頭をよぎった。私が育てた犬はみな、気のいいやつだった。なんだ、あまり変わらない。犬も、猫も、人に合わせてくれているのかもしれない。
 もちろん、犬と猫は違う。脱皮するように剥がれる三日月の爪も、一本一本がまだらの毛も、餅のようにのびる関節も、あまりに未知で最初の数ヶ月は毎日が発見だった。前足にイボのようなものを発見したときは大騒ぎした。どの猫にもあるそうで、そこからぴょんぴょん生えている毛には「手根触毛」という名前があるそうだ(イボに名称なし)。不思議。牧場で羊や馬と触れ合って帰宅したとき、小さな家族の毛の柔らかさや体臭の無さにあらためて驚愕した。ぷにぷにの肉球なんて人間の赤ん坊の手と変わらない。赤子の如き裸足は、泥で汚れたひづめの動物たちとまるで異なっている。猫は産業動物とは違う、愛玩に特化した存在なのだ。愛玩動物界の王者が家にいる、と思った。
 そして、猫には個性がある。猫を飼う人と話すとよくわかる。「うちの猫は」話は尽きない。小さな家族は、風呂あがりの私の髪の匂いを嗅いだり、構って欲しいときに自分の肛門を私の顔に近づけたりする(やめて)。夕食の用意をしていると、誰より早く食卓へいき、私の椅子に座って待っている。夫の配膳を眺め、「まだこないのか」というように台所にいる私を振り返る。椅子は半分あけてある。「人間のご飯だから君にはあげないよ」と言っても待ち続け、私が席についても膝にはのらない。故に、私は半ケツで食卓につかねばならない。
 小さな家族は私と椅子を分け合いながら、テーブルにならんだ料理を眺め、私の箸を目で追う。焼いた肉や魚には興味がないようだが、ステーキの切り口からにじむ薄赤い肉汁には身を乗りだす。サラダには無反応。海苔や海藻はちょっと気になる。刺身や玉子焼きやバターもふんふんと嗅ぐ。茹で鶏は大好きで、「いる?」と訊くと「アン!」と鳴く。鰹節にはあらがえないようで鼻息荒く近づいて鰹節を飛ばしてしまう。でも、人間の食べものに手をだすと叱られることを知っているので盗み食いはしない(あくまで我々が見ているうちは)。「ちゅーる」を目にしたときのようにもらえるまで鳴き叫んだりはしない。しばらく人間の食事風景を眺め、やがてひょいっと椅子から下りると、自分の餌ボウルへ向かいカリカリと食べはじめる。
 本当は人間の食べものが食べたいのにキャットフードで我慢をしているのか。人間の食べものの匂いをおかずにキャットフードを食べているのか。夕食くらい人間に付き合ってやろうと思っているのか。訊いても返事はない。犬と違ってよだれを垂らすこともない。球体の銀河のような美しい眼で、食卓と食べる私たちを見つめている。蒸し野菜や辛い鍋といった、明らかに小さな家族の食指を動かさないものを食べていても食卓にやってくるので謎は深まるばかりだ。
 奇妙な癖がなくなる気配がないので、小さな家族用にスツールを買った。「ここに座りな」とぽんぽんすると、数回は従ってくれたが、結局は私の椅子に戻ってしまう。小さな横顔を眺めながら夫とその日あったことなどを話す私の尻はいつも半分椅子から落ちている。「狭いよー」と文句を言いながらも、簡単にどかせてしまえる小さな体を押しのけることはしない。食べものの前での雑音をなにより嫌う私が許してしまっている。それどころか、その窮屈さを幸せだと感じている。さすがは、愛玩動物界の裸足の王様。

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豊﨑由美「わたしにとって最後の猫、テン」

 わたしの左手は二度グローブのようにパンパンに腫れ上がったことがある。牡猫のテンに噛みつかれたせいだ。そもそも病院に行くのが嫌いで、健康診断を受けたことがないのは言わずもがな、昨年1月に足を骨折した時こそしかたなく駆け込んだものの、40℃の高熱を発したくらいでは決して病院に行くことがないわたしが、赤黒く腫れ上がった手を見た時には「やばい」と思ったのである。猫による噛み傷を舐めてかかっていると、やがて手足切断に至ったり、下手をすれば死ぬこともあるという事前情報を得ていたこともある。
 治療を受けたおかげで今も左手はこうしてパソコンのキーを打てているのだけれど、テンの噛み癖にはほとほと手を焼いていた。お腹が減れば噛む。撫でてと噛む。撫でるなと噛む。「○○しちゃダメ!」と言われて噛む。こちらが立っている時に何か要求があればアキレス腱を噛む。本人は甘噛みのつもりかもしれないけれど、こちらの体感からすれば70%~120%の本気咬み。すべての意思表示を牙と爪で表現する猫、それがテンだったのである。
 ……と過去形にしているのは、もう本気では噛んでこなくなったから。2010年に保護主さんからもらい受けて15年。テンも“おじいにゃん”になり、今では一日のほとんどを食べているか排泄しているか寝ているかしており、前のようには喜怒哀楽の表現が激しくなくなった。
 保護主さんによると、テンとその兄弟姉妹猫たちは8月の暑い盛りに、ゴミ袋に入れられて捨てられていたのだそうだ。中から出てこないよう口を縛ったゴミ袋に(鬼畜の所業!)。 で、テンが袋を噛み破って外に出ようとしていたところを保護したのだ、と。
 なので噛みつかれるたび、もらい受けた時に聞いたその話を思い出して、なんかちょっと切なくなる。「生きる!」という自己主張を噛むことによって達成した子なのだから、噛み癖もしかたないのかなあと思ったりもする。痛いけど。

 テンはわたしにとって8番目の飼い猫だ。とはいっても、猫派というわけではない。ケモノ派、ケモノバカ一代で、人間以外の生きものならエイリアンでも何でも好きなのである。彼らの味方なのである。たとえば、キング・コング。わたしはピーター・ジャクソン監督版の映画が一番好みで、自分が棲んでいた髑髏どくろ島で出会ったアン(ナオミ・ワッツ)を好きになったコングは、見世物にされるためにニューヨークに連れてこられてそこで大暴れするんだけど、快哉を叫んだのは、ブロードウェイでアンに似ている女性を見つけては引っつかんで、違うとわかれば投げ捨てるのを繰り返すシーン。逆に憤怒の涙を流したのは最後、攻撃を受けたコングがエンパイア・ステート・ビルディングから転落する場面。コングは人間より圧倒的に価値が希少な生きものなのにっ。コングの命は人間の命より重いのにっ。無理矢理連れてきたんだからニューヨークはコングに明け渡して、命知らずの観察ツアーとか組んで小銭を稼ぎやがれっ。
 閑話休題。すみません、つい興奮してしまいました。というわけで、別段猫だけを贔屓にしているわけじゃないのだ。犬の飼い主を羨ましいと思うこともしばしば。多くの犬は常に飼い主の動向を気にかけていて、「どうしますか?」「何すればいいですか?」と飼い主の表情や言葉に敏感に反応する。猫は違う。猫は基本的に自分がしたいことしかしない。聞きたいことしか聞かない。犬を飼う者はボスもしくは友で、猫を飼う者は下僕もしくは甘やかしてくれるバカ親。猫は“赤にゃん”の頃の可愛いらしさ、柔らかさ、もふもふ感を担保に、一生ツンデレによって人間を操ることに成功した異星の知的生物なのだと、わたしは信じている。
 だから――。仔猫の頃からわたしを噛み続けてきたテンだけど、わたしを嫌いな病院送りにしたテンだけど、もらい受けた日から今に至るまでずっと好き。ずっと可愛い。
 63歳のわたしが今後新しく猫を迎え入れることはないだろう。テンはおそらく最後の猫。そのテンがいなくなってしまったら、わたしは手足に残っているたくさんの噛み傷や引っかき傷の跡を見るたびに何を思うのだろうか。

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2.猫コラム「新しい家族を紹介します」

2024年、新たに猫を家族として迎えた、パフェ評論家の斧屋さんとイラストレーターの北澤平祐さん。

それぞれの猫との暮らしには、どこか不思議で魅力的な瞬間が詰まっています。
愛猫とのユニークな関係を楽しむ斧屋さん、亡き愛猫を思いながら新たに迎えた猫とのつながりを感じる北澤さんの、心温まるコラムをお届けいたします。

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斧屋「手の傷、子猫好きの手。」

 猫に引っかかれた傷がある。
 ひょんなことから飼い始めた子猫の爪が、悪気なくあっけらかんと傷つけてくる。
 しょうがないなあと、なんだか楽しく傷を眺めている、という風である。不思議。
 猫を飼うということは、もちろん人間の勝手であって、そのくせ猫の側も妙に人間に懐いてくるから、そんなんでいいの、と思いながら過ごしている。基本的には平穏な日常の中で、猫という奴はいきなり飛びついてきたりもする。その拍子に、尖った爪が人間の皮膚にアクセントのように赤い線を引く。
 猫とパフェに共通点というほどのものはないのだろうけど、私は自分の思い通りであることの快楽をよしとしない人間なので、適度に振り回してくれ、と思っている。ちょうどパフェを食べている途中に口の中で爆ぜる一粒のスパイスのように、目の覚めるような刺激が訪れるのを好ましいと思う。そういえば辛味は、味というよりむしろ痛みなのだった。
 猫にもパフェにも、時々痛くされるくらいが楽しい。

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北澤平祐「ホワンホワンへ」

先代猫の「ホワンホワン」を看取って10年。イラストレーターの北澤平祐さんは、2024年の春、新たな家族「モネ」と出会いました。

 ホワンちゃん、久しぶり。元気にしていますか?
 ねこの9つの命のうち、今は何度目の人生(猫生)を送っているのかな。
 でもね、聞いておいてなんだけれど、ホワンちゃんが元気にしていることは知っているかも。なぜなら、新しくうちにやってきた黒猫のモネがホワンちゃんの生まれ変わりじゃないかって少し疑っているから。

 だってね、まず、モネを保護した場所って、かつてホワンちゃんと出会った場所から100メートルも離れていないんだよ、絶対に土地勘があってここで転生したでしょ? 見つけたときのホワンちゃんと同じような声でみゃあみゃあ鳴いてたんだ。それになんとなく顔の雰囲気も似ている気がするし、ツナ缶好きも、甘えん坊なところも一緒。寒い日にはしつこいくらいくっついてくるくせに、暑い日にちょっとでも抱っこしようものなら全力で拒むとこも同じ。まあ、これは猫族みんなそうかもしれないけれど。
 でも、ホワンちゃんはハチワレねこだったけれど、モネは黒ねこ、ホワンちゃんはオスだったけれど、モネはメスか。そういえばホワンちゃんは毛づくろいが上手だったけれど、モネは下手すぎて、この間も膝の上での毛づくろい中にバランス崩して転がり落ちてた。そうだ、ホワンちゃんは、ブラパッド遊びが好きだったけれど(大丈夫、だれにも言わないよ!)モネのお気に入りは自分にそっくりのジジのぬいぐるみ。

 うーん、こうやって比べてみるといろいろ違うね。やっぱりふたりは別猫? もしそうならホワンちゃんがどこかで元気に過ごしていることを願っているよ。あっ、そういえば最近庭に遊びに来る少し大柄な白猫がのそりのそり歩く姿がちょっとホワンちゃんっぽいんだけれどこれも気のせい?
ホワンホワン
モネ

3.ホーム社の猫本を紹介

ホーム社は、これまでに多くの猫に関する本を刊行してきました。
エッセイや小説、写真集など、多彩なジャンルの作品が揃っています。

まずは、2024年10月に刊行された猫本最新作のフォトエッセイ『猫様』をご紹介します。
今回は著者の想田和弘さんに、紹介文をお寄せいただきました。

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 拙作『香宮こうぐうの猫』は、瀬戸内海に面する牛窓の小さな神社に住み着いた猫様たちが主人公のドキュメンタリー映画である。2024年2月17日、ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映された。知り合いのイタリア人から、2月17日はイタリアでは猫の日だと聞いていたので、僕は上映前にこう述べた。
「イタリアでは今日が猫の日らしいけど、日本では2月22日が猫の日です。なぜなら『2』は日本語で『ニ』と発音し、2月22日は『ニャー・ニャー・ニャー』だから」
 会場は笑いに包まれた。
 ちょっと調べると、猫の日がある国は他にも存在する。ロシアでは3月1日、イギリスでは8月8日、米国では10月29日だそうだ。わざわざ猫の日を作るくらい、人間にとって猫様は特別な存在なようである。
 しかし、特別視する割には、現代社会は猫様にとって必ずしも住みやすい世界ではない。人間の勝手な都合で、捨てられたり、拾われたり、自由を奪われたり、手術をさせられたり、厄介者としてみられたり、アイドル的な存在として崇められたりする。猫様たちは単にごはんが食べられて、寝る場所があって、自由に平和に暮らしたいだけなのだが、それがなかなか叶わない。
 牛窓のストリートで暮らす野良猫様たちと出会い、友達になり、どうしたらこの不寛容で身勝手な人間社会が、彼らの存在を尊重できるようになるのかを模索するなかで、僕はそのことを実感させられた。
 本書『猫様』は、牛窓の猫様たちの厳しくも美しい日常を、写真とエッセイで綴ったフォトエッセイである。1匹1匹に物語があり、顔がある。そのことを肌で感じてもらえたなら、この本は成功したと言える。

《文・想田和弘》

ホーム社の「猫本」はまだまだたくさん!
ここからは一挙にご紹介します。(※発売日順)

『猫様』想田和弘

『記憶の歳時記』村山由佳

『猫はなぜごはんに飽きるのか? 猫ごはん博士が教える「おいしさ」の秘密』岩﨑永治

『ぼくとねこのすれちがい日記』北澤平祐

『命とられるわけじゃない』村山由佳

『サバンナのネコ』井上冬彦

『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』村山由佳

『もみじの言いぶん』村山由佳

『俳句ねこ』沖昌之(写真)/倉阪鬼一郎(文)

『猫がいなけりゃ息もできない』村山由佳

『夢の猫本屋ができるまで Cat's Meow Books』井上理津子/安村正也(協力)

『猫思考 自由に生きるためにやらニャいことA to Z』ナカムラクニオ

『駅長たまプラス~ネコの駅舎で会えたなら~』撮影:坂田智昭

『駅長たま~三毛猫たま、電車になる~』撮影:坂田智昭

『たまのスーパー駅長だより~夢列車に愛をのせて~』撮影:坂田智昭

『たまの駅長だより~いちご電車で会いに来て~』撮影:坂田智昭

以上、ホーム社猫本紹介でした!
気になる本がありましたら、ぜひお近くの書店やネットでお買い求めください。

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おまけ

まだまだ語り尽くせない猫の魅力。
しかし、そろそろ「ホーム社 猫祭」も締めくくりの時間が近づいてきました。

最後におまけとして、猫4匹、犬2匹と暮らす記事制作スタッフの愛猫たち、「うちの子」をご紹介します!

小学生の頃に保護し、最初に家族になった猫。
20歳を超えた今も、食欲旺盛で元気なおばあちゃん。
繊細でちょっぴり怖がりさん。
ひとりでいるのが好きだけど、人間といる時は誰よりも甘えん坊。
机の上のものを次々と倒して歩く、猫らしからぬ不器用さの持ち主。
いつも笑わせてくれる愛されキャラ。
なでてもらいたくて、いつも隣にそっと座る末っ子。
朝目覚めると枕元でこちらを静かに見つめていることも。
めったに撮れない集合写真。
猫より後にきたはずの犬二匹は、自分たちが一番偉いと思っているらしく、猫が通るたびに怒るものの、猫は涼しい顔でスルー。

最後までご覧いただきありがとうございました!
みなさま、お楽しみいただけましたか?
今回の特集を通じて、猫とともに生きる喜びや魅力を少しでも感じていただけたなら幸いです。

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過去の「猫の日」特集もぜひお楽しみください。


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