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橋本治『人工島戦記』#16 話は意外とかんたんだった

2021年の話題作の一つである、橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』。その試し読み連載を再開します。12月20日から大晦日をまたいで1月5日まで、毎日一章ずつ公開していきます。題して「年越し『人工島戦記』祭り」!(試し読みTOPへ


イベント情報

2022年1月5日(水)、編集者・文筆家の仲俣暁生さんと、物語評論家・ライターのさやわかさんが『人工島戦記』をめぐる対談イベントを開催します。詳しいお知らせは、主催ゲンロンカフェのウェブサイトでご確認ください。


第いち部 低迷篇

第十六章 話は意外とかんたんだった

 がしかし、話は意外とかんたんだった。

 テツオが、「膨大じゃん……」を三度繰り返して、それがキイチの耳に霧笛のように響いた。繰り返された「膨大じゃん……」は、不思議な現実主義者キーポンの耳に働きかけて、それによって呼び出されてしかるべき言葉を導き出した。
 名探偵キーポンは、「膨大じゃん……」という言葉を上の句にして、「どのくらい金がかかるのかな?」という下の句を付けた。「金?」
 テツオが言った。
「だって、金がかかるんだろう?」
 キイチが言った。
「そうだよなァ」と、テツオがマヌケな声を出して、「もっと調べなきゃなァ」と、溜息まじりにその場をしめた。
〝金〞という思いもかけない要素に登場されてしまうと、「なにも知らない、どう対応していいのか分からない」という虚脱感ばかりが先に立ってしまう。分からないものは分からなくて、「分からなくても仕方ないよなー」と思わせてしまうものは、「どうせそれくらいはかかるだろう」という〝億単位の金〞だった。
 分からないものは分からないのだから仕方がない、その夜はこれまで、「もうちょっと人工島のこと調べとこうぜ」ということにして、テツオは帰って行った。
 そして次の日、キイチは二限の講義をさぼって、図書館にいたのだった。
「ここに来ればなんとかなるかな」と思ったキイチは、図書館に入って雑誌閲覧室をぶらぶらしていた。「ここなら新聞はあるし」と思ってぶらぶらしていて、「今更新聞なんか見てるのカッタルイな」と思った。なんか、事態は、もうそういう地道なレベルを超えてるんじゃないかという気がしていたからだ。
「人工島 わたしも一言」という連載をやっていた偉大なる全国紙の千州版朝売新聞は、その連載を上・中・下の三回でやめてしまっていた。
 一回目が〝上〞なのだから、この連載には四回から先がないことなど初めから分かる。一回目は市長、二回目は野鳥の会の会長、三回目は千州経団連の理事というオヤジで、「やります」「野鳥が──」「けっこうじゃないですか」という、この問題に関する至って凝縮された三要素だけが紹介されて終わっていた。
 つまり、大朝売新聞の論調は、「市は〝やる〞と言っています。我々には、積極的に反対を表明する論拠はありません。だから、ちゃんと・・・・代表的な意見を紹介しました」ということだけなのだった。
 人工島建設計画というのがどういうものなのか、それが問題になりそうな時期に、新聞はそれを紹介しようとしてはくれない。記事になるのは、「市民運動団体が今日はこういう形・・・・・で反対の意見を表明した」ということだけで、「賛成か反対か」を比良野市民が考えるためのデータを、大新聞は一向に提供しようとしてくれない。それは、地元の千州新聞でも同じことだった。人工島に関して取り上げられることは、環境と自然保護と市民のことだけで、そういう新聞の縮刷版を見ても、「人工島を作るのはいいですが、ヘタなことをすると私達は悪い人になってしまうので注意をしましょう」という、幼稚園のお注意にしか聞こえてこないようなありさまだった。
 新聞は、「反対を表明しない」という中立な立場に立つことによって、建設計画を推進する市と同じ立場に立っている。そのことは、〝今まで〞というものを頭の中でぼんやりと振り返ってみれば、あからさまに分かった。暇つぶしに、図書館に来て何種類かの新聞を眺めることを癖のようにしていたキイチには、「自分はそれでもケッコー知っている方かもしれないのに、それでも自分の頭の中が、人工島計画の具体的プランということになると、ポアーンと霧がかかったような状態になってしまうのは、結局、新聞が役に立つような書き方をしてくれなかったからだ」ということが、さっさと分かっていた。
「新聞を見てもしようがない。だったら、人工島計画に関しては、何を見れば分かるのだろうか?」と思ったキイチは、「とりあえず予算とか金とかいうことになると、これは、ジャンルとしては〝経済〞なのかなァ……」と、図書館の壁をぼんやりと眺めた。
 眺めた先には雑誌の棚があって、「経済とかいう雑誌ってあるよな? でも、そんなところで、人工島計画のことをやっているというような、都合のいいことってあるか?」と、キイチは思った。
 経済に関する雑誌を読もうと思ったことなんかない。だからキイチの棚に向けられる視線は散漫で、「そんなことあるはずないよな」と思いながら見れば、千州大学教養学部図書館にある雑誌閲覧コーナーの棚は、「そんなン、ワシャ知りません」と言っているようにしか見えなかった。
 ぼんやりとさすらったキイチの視線は、あっち行ったりこっち行ったりの末に、「おいおいおい」という感じで、あるところに止まった。
「人工島」という文字が、明らかにそこにあった。「比良野市」という文字もあって、なんとそこには、あきれたことに、堂々と、「いらない‼」という文字さえも存在していたのだった。

 必要な時は必要なものを見る。必要に迫られれば、その必要を満たすものは、あまりにも明らかに、求める者の目の中に飛び込んで来る。つまりキイチは、その時、「特集・比良野市に人工島なんていらない‼」という文字を表紙に刷り込んだ、『千州エコノミクス』という雑誌の前に立っていたのである。
 キイチのその時の感想は、「なんでこんなものがこんなとこにあるのだろう?」だった。〝こんなもの〞というのは「人工島なんかいらない‼」という声で、〝こんなとこ〞というのは『千州エコノミクス』という雑誌だった。
 経済雑誌なんか読まなくて、「経済雑誌なんて、人工島賛成を言うだけのオヤジメディアなんだろう」と思うキイチには、なんかそのことが、不思議な異和感のようなものだとしか思えなかったのである。
 キイチは、「まさかな……」と思いながら、赤い表紙にオヤジの写真が刷り込んである『千州エコノミクス』を手に取って、おずおずと開けた。開けてそして、「ああ……」というマヌケな声を出したぐらいに、話は意外と簡単だったのである。

第十六章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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