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橋本治『人工島戦記』#17 恐怖の人工島建設計画

2021年の話題作の一つである、橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』。その試し読み連載です。12月20日から大晦日をまたいで1月5日まで、毎日一章ずつ公開。題して「年越し『人工島戦記』祭り」!(試し読みTOPへ


イベント情報

2022年1月5日(水)、編集者・文筆家の仲俣暁生さんと、物語評論家・ライターのさやわかさんが『人工島戦記』をめぐる対談イベントを開催します。詳しいお知らせは、主催ゲンロンカフェのウェブサイトでご確認ください。


第いち部 低迷篇

第十七章 恐怖の人工島建設計画

 テツオとキイチの求めていた情報が、全部・・そこにはあった。
「一兆円投資のツケはどこに?」と、まずタイトルが躍っている。「ああ、人工島計画は一兆円かかるのか」ということが、すぐにキイチには理解された。理解されたが、しかし〝一兆円〞という金額がどれほどのものかということが、キイチには全然ピンと来なかった。
 当たり前だ。一兆円なんていう金額は、使ったことなんかない。百万円だってない。キイチはくじけて計算をしなかったが、一兆円という金は、百万円のダイヤのネックレスを百万人のOLに買ってやれるだけの金額なのである。
「予算は一兆円だ」ということだけは分かって、一兆円という金額が、その文字をそのまんま額縁に入れて飾っておくしかないくらいの、リアリティのない数字だということもキイチには分かった。分かったからキイチは、そのページを読まずに、次のページをめくった。
 するといよいよ嬉しいことが待っていた。次のキイチを待っていたタイトル文字は「過剰設備投資の不思議なスピード」だったからである。
「おいおい、おいおい」と言って、雑誌をめくったままのキイチは、その姿勢のままで後ずさりを始めた。キイチの肩から掛けられていたキャンバス地のショルダーバッグが、そのヘンテコリンなキイチの後退歩行を妨げるように、ゆらゆら揺れた。
 肩のショルダーバッグを半分ずり落としながら、キイチは閲覧室の隅にある安楽椅子に、そのまんまの後ろ向きで座り込んだ。
 開いた雑誌を手にしたまま後退したキイチは、しかしそんなことをしながら開いた雑誌を全然読んでいないのだから、「一体この男はなにを考えているのだ」というようなものだった。
 尻馴れた・・・・様子でドサッと椅子に座り込んだキイチは、「よいしょ」の一声で姿勢を落ち着かせ、「過剰設備投資の不思議なスピード」の記事内容を、目を凝らして読み始めた。

 話は意外と簡単だった。すべてはそこに、記事としてまとめられていたからである。
 人工島に埠頭を作るのは、商売のためであること。宅地だったら別のところに作った方がいいということ。交通渋滞の解消なら、人工島よりベイブリッジを作れ──じゃなかったら、人工島に住むことになる人間達の分だけ車が増えて、交通渋滞が進むことになるだけだ、とか。
 話はいたって簡単だった。「結局、人工島なんかいらないだろう」ということが、経済的局面からあっさりと述べられていた。
 そこに書かれていることは、みんなイチイチごもっともなことで、人工島建設にまつわる様々な〝議論のようなもの〞を、これまで「なんだこりゃァ?」的な感想で眺めていたキイチは、初めてリーズナブルな意見というものを見たように思った。「経済雑誌なんて、自分とは関係ないオヤジ雑誌だから、どうせロクなことを書いてないだろう。分かるはずなんかないじゃないか」と思っていたキイチは、その明快な展開に、ちょっとびっくりしたのだった。

 志附子港は、確かに手狭になっているらしい。つまり、港そのものは、いらない・・・・ではなくいる・・のだ。ただしかし、志附子湾では現在も別のところで、そのための・・・・・埋め立て工事が続いていて、それが出来てしまえば、船の駐車場である埠頭は十分になって、もう人工島はいらない・・・・ということになるのそうである。
 現在進行中の港湾拡張工事が完了すれば、もう港はいらない・・・・状態になって、その上に人工島という〝駐車場〞を作ってしまえば、それは「過剰投資」になるのだという。
 そのことはキイチにもよく分かった。よく分かったがしかし、そうなると、その先のことがよく分からなくなった。つまりは、それが一番よく分かっている立場にあるはずの市長が、どうしてその「過剰投資」をしたい・・・のかということである。
 ここで問題は、昨日の晩の局面に逆戻りしてしまう。つまり、「どうして市長は、それを作りたい・・・・のか?」だ。

 港はいる・・が、港としての人工島はいらない・・・・。研究学園都市も、それはお題目だけだからいらない・・・・と、『千州エコノミクス』はあっさりと言っている。宅地も道路も、人工島としてはいらない。港に関しては、過剰投資なんだから、それをしたら、市の財政は大損害にもなる──。それなのになぜ、市長はそれを、作りたい・・・・のだろう?
 キイチはそう思って、その答を『千州エコノミクス』の中に探した。
 探したがしかし、その答が『千州エコノミクス』の中にはないのだ。
「人工島建設計画が〝市長の独走〞であることは、公然とささやかれている」と書いてあるから、市長がそれを、どういうわけだか作りたがっている・・・・・・・・・・・・・・・・ことだけは、確かな事実なのだ。それだけは確かで、でもその答がない──。「ひょっとしてこれ・・か?」と思えるようなことが、チラッとその中には書いてあった。

「今、千州では比良野への一極集中が続いている。物流に関しても、陸上交通および空路でも千州一となった比良野が、〝アジアに開かれた国際拠点都市〞となるためには、今までは二流の国際貿易港であった志附子湾が、第一級の国際貿易港となる──そのことが、焦眉しようび の急であるのだ。考えてみれば、それが今までの比良野市の悲願でもあった」

 それを読んでキイチは、「悲願なのか」と思った。「ふーん、志附子港は、国際貿易港としては二流なのか」とか。「志附子湾は浅い」というところを、「二流の国際貿易港」とジャッジしてくれるところがさすがに専門の経済誌なのだが、それを読んだキイチは、ふと「一番になりたいのかな?」と思った。
 人工島を作ることがどうして「一番になる」ということなのか? ──経済誌的あるいは市長的な価値観から縁遠いところにいるキイチにはそれがよく分からなかったけれども、ともかくキイチには、その『千州エコノミクス』の文章から、「ひょっとしたら、市長は一番になりたいのかもしれない。一番になりたい・・・・・・・から人工島を作りたいになるのかもしれない」と思った。
 別にキイチはそうとも思わないが、しかし『千州エコノミクス』には、既に比良野が「千州一になった」と書いてある。
「千州で一番で、しかし国際貿易港レースでは予選落ちの二流だとすると、やっぱし〝悲願〞で〝焦眉の急〞なんだろうなァ」と、キイチとしても思わざるをえない。
 比良野市が一番・・になるのなら、どこ・・で一番になるのか?
 それは、ひょっとして、〝国際拠点都市レース〞というようなものなのか?
 だとしたら、その〝国際拠点都市レース〞なるものに出場する都市というのには、どういう都市があるのか?
 そういうことがしかし、「〝国際貿易港〞というカテゴリーがあるのか?〝国際貿易都市〞ってなんだ?」というようなキイチには、全然分からない。分からないがしかし、そういうディテールを突きつめて行くと、「ひょっとして市長は、〝一番〞になりたいのかな?」という結論にしか届かないのだ。
「ひょっとして〝一番〞になりたいのかな?」と思うキイチには、「でも、ホントにそんなイナカ臭いこと考えてんのかな?」としか思えない。「千州で一番だから、次はアジアで一番だ」とかいう発想が、山の中の大山県立鍋崎なべがさき高校から来た、二年になっても未だに伸びかけのボーズ頭であるイワイ・キイチには、どうしても「イナカ臭い発想」だとしか思えないのだった。
 そんな事実を知ったら、比良野一のイケイケ男である辰巻竜一郎はショックだろうが、しかしどうしたってキイチには、「人工島作ってアジアで一番になるだ!」という発想は、あまりにもイナカ臭くて、とても本当だとは思えないのだ。
 思えないけれどもしかし、どうやらそれが〝真相〞なのだとしか、今ではヘビメタのTシャツを着ないでF1のトレーナーにロスアンゼルス・ドジャースの帽子をかぶっている名探偵キーポンには、思えないのだった。

第十七章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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