橋本治『人工島戦記』#14 悪い市長辰巻竜一郎の謎の野望
2021年の話題作の一つである、橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』。その試し読み連載を再開します。12月20日から大晦日をまたいで1月5日まで、毎日一章ずつ公開していきます。題して「年越し『人工島戦記』祭り」!(試し読みTOPへ)
イベント情報
2022年1月5日(水)、編集者・文筆家の仲俣暁生さんと、物語評論家・ライターのさやわかさんが『人工島戦記』をめぐる対談イベントを開催します。詳しいお知らせは、主催ゲンロンカフェのウェブサイトでご確認ください。
第いち部 低迷篇
第十四章 悪い市長辰巻竜一郎の謎の野望
「人工島を作る」と言う市長は、人工島に宅地や学園都市を、作るかもしれないし、作らないかもしれない。作れないかもしれないし、作ったって意味なんかないかもしれない。それなのに市長は、「作る」と言う。
一体その〝理由〞はなんだろう? 十九歳と二十歳の若い二人に一番分かりにくいところは、その〝理由〞だった。
問題は、それがいるかいらないかではなかったのだ。
「辰巻は、それを作りたいんだよな」
テツオが言った。
「そうだと思うぜ」
キイチが答えた。
問題は、いるかいらないかではなかったのだ。
「それなのに、でも、みんなは漠然と、それが〝いる〞もんだと思い込んでいる。だから、それを大前提にして、ああだこうだの議論をしている」──そうテツオは思う。
「人工島を作って、そこに学園都市や宅地を作る」と言われて、「そういう発想自体が暑苦しい」と思う人間は、いきなり「人工島なんかいらねーよなー」と言う。だけれども、「人工島なんかいらねーよなー」と言えてしまう人間だって、そこに作られる〝学園都市〞や〝宅地〞を、「いらない」とは言えない。
「ひょっとして、自分の目の前にいるキイチだったら、そういうものも〝いらない〞って言うかもしれないけど、普通の人はそういうことを言わない」と、テツオは思う。
「だから、そのことを前提にして、〝そういうものが必要だから人工島を作る〞って言われたら、大多数の人は、ほとんど反対が出来ない──それって、何かに似ている」と、テツオは突然ひらめくように思った。
思って、ことの意外に、しばし呆然とした。
それは、「あなたは自然の重要性を理解していない!」と言う、自分の母親の〝自然〞と似ているのだ。
誰も、自然を「重要じゃない」とは思わない。でも、そこにいきなり〝野鳥〞と〝干潟〞を持って来られても、なかなかピンと来ない。ピンと来ないところに、「それを吞み込みなさい! 吞み込まないのはあなたが自然の重要性を理解していないからだ」なんて言われても困る。
人工島なら、「そんなのいらねーよなー」は簡単に言えるけれども、自然保護は、「そんなのいらねーよなー」とは言えない。言えないから陰で、「自然保護のやつらがさー」を、こっそりと言う。
「一体、自分の母親は、なぜこうも性急に〝自然の重要性〞への理解を言うのか? お母さんがああも〝野鳥〞とか〝環境〞に入れ込むことのリアリティってなんだろう?」と思うテツオは、その「よく分からないリアリティ」に関してだけ、〝市長の人工島〞と〝お母さんの自然〞はおんなじだと思った。
彼女は守りたいし、「守る!」と言いたい。その大前提の前に、すべての「ピンと来ない」は、全部はねつけられてしまう。市長が、〝かなりの数〞か〝少しの数〞だかの環境派市民の反対の声を無視して、遂に「人工島建設に向けて」の具体的なことをやってしまったというのも、それとやっぱり似ているんだと、テツオは思う。
市長はそれを、作りたいんだ。
一切をはねつけてそれを作りたいと思う、市長の〝情熱〞の正体はなんなんだろう?
十九歳のテツオには、現在四十五歳で、昔学生運動の時代に学生をやっていたお母さんの〝情熱〞というのもよく分からなかったし、市長という名前の五十六歳のオヤジの〝情熱〞の正体も、よく分からなかった。
「作りたいから作る」──一体その〝情熱〞の正体は、なんなんだろう?
「なんでだ?」と、キイチに向かってテツオは言った。
「なんでだ? なんで市長は、作りたいんだ?」
テツオの問いに、キイチはちょっと考えただけで、わりかしすぐに答えた。
「オレが思うのはさァ、〝カッコ悪いからなんじゃないか〞なんだけどな」
テツオが尋ねる。
「なにが〝カッコ悪い〞の?」
「だからァ、人工島作って、それだけじゃカッコ悪いじゃん。道路と港だけ海の中に作ったんじゃ、なんかダサイとかそういうのってあるからァ、それで、学園都市とかァ、木を植えて家建てるとか、そういうことを言うんじゃないの?」
テツオが訊いたのは、「なんで市長は人工島を作りたいのか?」で、キイチの答えたことは、「なんで市長は人工島に学園都市や宅地を作りたいのか?」への答だった。
話の方向はビミョーにずれた。それでもかまわないのか、テツオはすぐに「あ、そうか」と言っていた。そしてテツオは、それからすぐに尋ねた。
「でもさ、じゃァさ、どうして市長は、港とか道路とかを作りたいの?」
テツオの問いは、すぐに壁にぶつかってしまった。
「それはやっぱ、いるんじゃないの?」とキイチは言う。
そうなるとテツオは、「そうか……」としか言いようがないのだった。
〝宅地〞というのは、ひょっとしたら、いらないのかもしれない。研究学園都市だって、別に必要はないのかもしれない。いらないのかもしれないけど、でも、港や道路は、市の発展のために必要で、もしもそれだけを作るとしたらダサくてカッコ悪いから、そうならないような飾りとして、緑の宅地とかマンションとか〝研究〞とかっていうのをつける──だとしたら、別に宅地や学園都市は必要じゃないけど、人工島そのものは必要だということになってしまう。
人工島は必要で、でもそれだけだと〝産業優先〞で、自然との調和を崩してしまうから、人工島には豊かな緑を植えて、将来のための研究学園施設も誘致する──ということになれば、〝悪の張本人〞辰巻竜一郎は、「スゲェいい人」ということになってしまう。
うっかり悪魔が微笑んで、そこにフラフラと入り込んでしまいそうになったと思ったテツオは、そんな自分の頰っぺたを思いっきり張り倒してもらいたいぐらいだった。
せっかく「人工島はいらない」と思ったのに、でもやっぱり人工島は「いる」かもしれないのだ。テツオはふりだしに戻って、なんだか頭がクラクラする。
しかしキイチは、そんなテツオの呆然とは、全然別のところにいたのだった。
いたって日常的な調子で、イワイ・キイチはこう言った──。「それだからァ、港の底をあさって、海の底を深くするんだってよ」
「なに、それ?」
テツオには、なんのことやらさっぱり分からない。ただ「それだからァ」でどんな話でもくっつけられてしまったら、普通の人間はキョトンとするだけなのだが、イワイ・キイチという人間は、平気で「それだからァ」を万能の接着剤にしてしまう人間なのだった。
「なんのこと?」
テツオが改めて訊いた。
「だからァ、海の底を全部掘るんだよ」
相変わらずキイチの言うことはなんだか分からないが、「それだからァ」で話を始めてしまったイワイ・キイチは、人工島の〝四つの柱〞の一つである「港の問題」を語っているのだった。イワイ・キイチの「それだからァ」は、前ページの《「でもさ、じゃァさ、どうして市長は、港とか道路とかを作りたいの?」「それはやっぱ、いるんじゃないの」》の会話から直接に続いているのだった。
「人工島に作られる港は、やっぱり必要らしい──それだから、市長は海の底を掘ろうとしているのだ」と、キイチの話は続くのである。
「海の底を、掘るの?」
テツオが言った。
「ああ」とキイチが答えて、更にテツオが尋ねた。
「全部?」
「ああ」
「なんで?」
「だって、そういう風にしないと、タンカーとかって入って来れないだろう」
テツオは、いきなり自分の頭の中にタンカーをぶち込まれたみたいでクラクラした。「なんでそんなもんが入って来なけりゃなんないんだ?」と。
テツオはしばし絶句して、相棒に絶句されたキイチには、自分の言ったことの間違いに気づけなかった。
正確に言えば、志附子湾にタンカーは入って来ない。
人工島を作って更に大きな港を作ろうとしている市長の計画は計画として、しかし志附子湾は、そんなに深い海ではなかったのだ。川の水が流れ込む沖積平野の前にある湾の常として、志附子湾の底は長年の陸から運ばれる堆積物のためにかなり浅くなっていて、そこに大きな船の着く大きな港を作るためには、改めて海の底を掘らなければならなかったのだ。キイチはそのことを言っていたのだが、しかし「大きな船」と言えばそのまんま「タンカー」のことだと思っているキイチは、重工業地帯ではない志附子湾に原油の備蓄基地なんかないことを忘れていた。それを貯めて置く基地がないんだから、原油を満載したタンカーなんかが志附子湾に入って来てもしかたがないのだ。
まァ、悪い市長辰巻竜一郎の本心で言えば、ホントは壮大な原油の備蓄基地を、志附子湾に浮かぶ人工島に作りたいのだ。作りたいのだが、人工島には宅地を作って緑を植えて、豊かな研究学園都市も作る計画なんだから、そこにタンカーを連れて来て大きな原油タンクをズラーッと並べることは、住宅地の真ん中に危険物の基地を作るのと同じことになる。いくらなんでもそれは出来なかろうということになって、辰巻竜一郎は、泣く泣くタンカーをあきらめたのである。
「石油の精製基地があってタンカーがあって、ウォーターフロントがあってベイブリッジがあって、鷹巣島にはリゾートお決まりの大観覧車もあるから、これを東宝の特撮に頼んでミニチュアにしてゴジラかなんかにブッ壊してもらえたら、きっと東京湾の〝みなとみらい21〞に負けないスペクタクルになるだろうなァ」とはまさか思わなかったが、辰巻竜一郎の頭の中は、あと一歩でそうなりかねないところにまで来かかってはいたのだった。
第十四章 了
【橋本治『人工島戦記』試し読み】