職場でのハラスメントはなぜ起きるのか?|信田さよ子『傷つく人、傷つける人』(3)
「傷つく」という言葉をテーマに、さまざまな人間関係の問題を見つめ、改善策への道筋を教えてくれる、公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんの著書『傷つく人、傷つける人』(2013年)を紹介する第3回。今回は職場でのハラスメントについてです。
令和元年に法律が改正され、職場でのパワーハラスメントを防止するのに必要な措置を講じることが、事業者に義務づけられました。パワハラ・セクハラに対する社会の意識の変化が感じられる一方、何がハラスメントに当たるのか、わからないという人もいまだ少なくないようです。「職場でのハラスメントは、起こらないほうが不思議」と語る信田さん。その理由とは?
※文中に登場する例は実例をアレンジした創作であり、登場する人物名はすべて仮名です。
信田さよ子
『傷つく人、傷つける人』
(第2章「なぜ人を傷つけるのか」より抜粋)
ハラスメントの実態
職場でのハラスメントは起きてあたりまえ
ハラスメントとは、「相手に迷惑をかけること=いやがらせ」を意味します。自分に悪気がなく、相手の了承や合意を得たうえで行っていると思い込んでいる行為でも、相手がそれを「不快」と感じていたのなら、立派なハラスメントなのです。
職場でのハラスメントは、起こらないほうが不思議だと私は思っています。それは、 たとえれば、職場の人間関係というものが、オリンピックの表彰台のようなものだからではないでしょうか。
表彰台を思い浮かべてください。金と銀と銅では、段の高さが違います。金の受賞者が銀の人に話しかけたとき、銀の人の表情はにこやかでも、もしかすると嫉妬心も含めて複雑な心境かもしれません。金の人が好意で言っていることも、銀や銅の人は威圧的に受け止めることもあるでしょう。金と銀と銅の間には、歴然とした格差があるということを前提にしなければなりません。この格差というものが、あらゆるハラスメントの基本になっているのです。
平等であるはずの人間関係において起きる行為と、もともと力の格差が前提となっている関係で起きるものとは、傷つき方も、対処方法もまったく異なることは言うまでもありません。ハラスメントは格差の上位にいる人、力を持っている人にはなかなか理解されにくいことなのです。
傷つきに対するとらえ方や感じ方は、された側とする側でまったく違うことは、何度も繰り返して強調する必要があります。
金メダルを取った人が銀の人に「今日のあなたは調子が悪かったね」と言ったら、銀の人にとっては、ひどくショックなことになるでしょう。言ったほうはなぐさめているつもりかもしれませんが、逆に取られかねないのです。
会社でいえば、部長がソフトな表現を心がけたつもりで「まだできないの?」と話しかけたとしても、部下にしてみると、仕事の遅さを問いつめられているように感じることもあるでしょう。
同僚や友達が「まだできないの?」と話しかけるのと、上司が言うのとでは影響力がまったく違うのです。部下と仲良くなりたいという気持ちを持つ上司ほど、気安く声をかけがちですが、かえってその言葉が部下にとってはひどく重かったり批判されていると感じられたりします。
上の立場の人は、その立場(上の地位にいたり、力を持っている)から生じる格差について、常日頃、気をつかわなければいけません。
坂道の上のほうに立っている人が、遠くを見晴らすことができて、風も心地よいと感じているとしても、坂道の下にいる人には違った風景しか見えず、空気も淀んでいるかもしれません。
黒澤明監督の代表作品に『天国と地獄』(一九六三年)という映画があります。わかりやすい題名ですが、三船敏郎演じる会社重役の家は、おそらく横浜あたりと思われる高台に建っています。当時には珍しい洋風建築で、庭には芝生が広がっています。
その崖の下にある狭いアパートの一室に住んでいるのが、山崎努演じる貧しい医学生です。苦学生の彼は、いつもアパートの窓から三船敏郎の住んでいる豪邸を見上げながら、鬱屈(うっくつ)した生活を送っています。
この映画の設定は、ハラスメントを説明するときにとても役立ちます。高台に住んでいる人たちは、眼下に広がる狭い住宅に住む人を別にさげすんだりバカにしているわけではありません。多くは善意の人たちなのです。したがって、狭い住宅に住んでいる人たちが、自分たちに対して暗い感情を抱き、ときには恨んでいるかもしれないことなど、想像もつかないのです。
このように、たとえ自分が悪意を持っていなくても、上の立場にある人は力を持たない人を傷つけてしまう危険性があるということが、ハラスメントについての基本的知識として必要なのです。
セクハラかどうかの見分けは難しい
もうひとつ、会社で起こりがちなのが男女のくい違いから生じる問題です。
会社の広報室に勤める二〇代後半のシングル女性は、ある男性上司の仕事ぶりにあこがれを抱いていました。マスコミ関係とのつながりも強く、豪快な話しぶりから、周囲にはいかにも仕事ができる男、という印象を与える男性です。四〇代の彼には妻子がありましたが、うわさによれば仕事が忙しくて夫婦関係はうまくいっていないとのことでした。そしてあるとき、残業のあとで食事に誘われた彼女は、お酒を飲みながら彼から家庭の悩みを打ち明けられたのです。
華やかに見えて、異性との関係には厳しい会社だったので、上司と食事をしたこと、深夜まで二人でいたことは内密にしていました。同僚に誤解されないよう、上司にも気をつかってのことでした。ところが、意外なことに、上司は会社の周りの人にそのことを吹聴し、いつの間にか、彼女のほうから積極的に誘ったという話になって伝っていたのです。
回りまわって耳にした彼女がうわさを打ち消そうと躍起になればなるほど、事態は悪くなるいっぽうでした。ある日、その男性上司から呼ばれ、こう言われました。
「何か誤解しているんじゃないの。どこか別の部署を紹介してあげようか、そのほうが君のためじゃない?」
彼のその言葉に彼女は強いショックを受けて、出社できなくなってしまいました。
もう一例の三八歳のチエコさんがカウンセリングを受けにきたのは、うつ状態になったことからでした。家族は会社員の夫と小学生の子どもが二人。パートで勤務している会社で、保険の外交を担当しています。
彼女の仕事内容は新しい顧客の開拓で、成績も上々でした。やりがいもあり、家計を助ける意味でもずっと続けたいと思っていました。
郊外の支店はもともとのんびりした雰囲気だったのですが、一年前、テコ入れのために四二歳の辣腕(らつわん)営業マンが新所長として送り込まれてきました。所長は仕事に対する熱意にあふれ、それにつれて支店の成績もぐんぐん伸びていきました。
ところが、そのいっぽうで、支店では体調を崩す女性社員やパート社員が目立ち始めたのです。チエコさんもそんなひとりでした。朝起きても頭がどんよりとして、爽快さがまったくありません。家族のために朝食の支度をする気力が出てこないのです。家事に協力的な夫が朝食の準備をしてくれるのが日課となり、チエコさんもすぐれない気分のままなんとか事務所にたどり着くのですが、そこから営業に出ていく気力がわいてきません。
所長の手法は各人の長所を伸ばすというより、辛らつな言葉をスタッフに浴びせかけ叱咤激励(しったげきれい)するスタイルでした。社員同士を競わせ、まるで運動部のようにお互いを戦わせるのでした。おまけに、年令によって女性の扱いを変え、若いシングルの女性には厳しい半面おだてて、仕事の経過にも丁寧に耳を傾けるのですが、ベテランで家族持ちの社員やパート社員は、あきらかに戦力外のように軽視するのでした。
日頃はパンツスタイルが多いチエコさんがたまにスカートをはいていくと、わざわざ大きい声で「今日はスカートなんだ。残業しないでPTAですか?」と笑ってみせたり、名前を呼ぶ代わりに「おばさん」と呼ぶこともありました。いったいどう返せばいいのか、最初はチエコさんも笑って聞き流していたのですが、帰り道悔し涙が出てくるようになりました。
所長のあきらかに悪意ある差別と感じられる対応は、チエコさんのプライドをズタズタに傷つけることになりました。
チエコさんは思い切って夫に相談し、精神科を受診したところ、その場で休職を勧められました。所長の言動についてはどうにも納得がいかず、主治医にも相談し、知人の弁護士の勧めもあって、勇気を出して本社のハラスメント相談窓口に訴えました。ところが、パート勤務であることを理由に、会社側からはハラスメントとは認められなかったのです。チエコさんは、所長の言葉にも、会社の対応にも深く傷つき、このまま仕事に復帰できないのではないかと、涙を流して訴えるのでした。
女性であるからこそ
二人の女性の例を出しましたが、このようにパワハラとセクハラは明確に分けることは難しく、同時に起きることが多いのです。
女性社員にとって、男性上司とは「パワー」(権力)を持っているのと同時に、異性という性的存在でもあります。会社を離れた場所では、女性は男性に近づかれるだけで、用心してしまうものです。夜道をひとりで歩くときの緊張やおびえというものは、おそらく男性にはなかなか理解できないでしょう。
通勤時の満員電車では、いつも痴漢防止の態勢をとらなければ安心できないという訴えも、男性にはそれほど理解されないでしょう。
小さな頃から、女性は男性の性的欲望の対象であることを意識しなければなりません。「知らないおじさんについていってはいけません」と言い聞かされるのは、男児よりはるかに女児のほうが多いはずです。
貧困にあえぐ国において、大きな問題となっているのは子どもの人身売買ですが、やはり圧倒的に女児を売り飛ばすほうが多く、少女に売春をさせて、膨大な金銭を稼ぐ集団が東南アジアにたくさん存在することは周知の事実です。
このように、二一世紀になった今でも、相変らず女性は男性から性的対象として絶えず視線を向けられているということを、もっと強調してもいいのではないでしょうか。
このような発言をすると、「女であることを武器にしている」「女であることを理由にするなんて甘えじゃないか」「男女の区別なく仕事は結果を出さなければ」と批判する人もたくさんいます。こうした事実が、例にあげた二人の女性の訴えがなかなか理解されないことにつながっているのです。
そのような批判は誰に有利に働くかといえば、いうまでもありません。
「僕にそんなつもりはなかった」「普通に感じたことを言っただけ」と二人の男性上司は言うでしょうが、それが部下の女性に何をもたらしたかは別の問題です。
セクハラは、このようにパワハラとセットになっていることがほとんどなのです。
する側(しばしば加害者と呼ばれますが)は、単に事実だから、おもしろいから本当のことを言ったまでだと、それがセクハラになるとは夢にも思っていないのが特徴です。
ハラスメントを受けたと感じた側が、傷ついたこと、苦しかったことをはっきりと述べることは、甘えでも自己弁護でも、保身でもありません。
職場は力のある人のほうが心理的負担が大きく、責任が大きくあるべきなのです。
残念ながら日本では、社会の中心的機能を男性が担っているために、さまざまな仕組みや常識、儀礼などが男性中心につくられています。
多くの歓楽街や風俗業は、男性の性的満足を優先させる目的で成り立っています。そこでは女性はあくまで男性の性的欲望の対象であり、サービスする側として位置づけられています。企業や多くの組織でも、まだまだ女性の位置づけや活用は十分とはいえません。女性が多数仕事や社会的活動に参加するようになれば、当然変わらなければならないでしょう。
二人の女性の例に見るように、苦しんでいる人はたくさんいると思いますが、多くの企業の相談窓口やカウンセリング機関で、ハラスメント問題を扱うようになってきました。思い切って、勇気を出して窓口を訪ねてみましょう。
大切なことは、「これはひどい」「つらい」「不当ではないか」と思う自分を否定しないことです。
(第2章「なぜ人を傷つけるのか」より抜粋)
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次回の更新は6月24日(木)です。
信田さよ子(のぶた・さよこ)
1946年岐阜県生まれ。公認心理師・臨床心理士。原宿カウンセリングセンター顧問。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。精神科病院勤務等を経て95年に原宿カウンセリングセンターを開設、2021年5月まで所長を務める。AC(アダルト・チルドレン)、DV(ドメスティック・バイオレンス)、虐待、アルコール依存症など、家族問題についてのカウンセリングの経験から、多くの提言を行ってきた。著書に『母が重くてたまらない──墓守娘の嘆き』『共依存』『家族収容所──愛がなくても妻を続けるために』『母からの解放 娘たちの声は届くか』『〈性〉なる家族』『後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと』『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』など多数。
Twitter:@sayokonobuta