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傷つける人は、何を考えているのか?|信田さよ子『傷つく人、傷つける人』(2)

公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんの著書『傷つく人、傷つける人』を紹介する第2回。家族や友人知人、職場など身近な人間関係のなかで、誰かに攻撃され、傷ついたことはありませんか。理不尽なことで責められたり、悪気ないようで傷つく一言を言われたり……。「傷つける人」は、なぜそのように振る舞うのでしょうか。
長年、カウンセリングを通じて依存症や家庭内暴力(DV)、虐待など、さまざまな人間関係の問題を見つめ、DV加害者更生のための教育プログラムにも取り組んできた信田さんが、傷つける側の心理に鋭く切り込んだ一節を、抜粋してお送りします。

信田さよ子
『傷つく人、傷つける人』

(第2章「なぜ人を傷つけるのか」より抜粋)

傷つける人の特徴

傷つけることで得られる快感

 驚かれるかもしれませんが、傷つけた本人は、相手を傷つけたということをあまり自覚していません。それどころか自分が避けられたり、びくびくされているのがわかると、さらに何か言ってやろうという気になる場合もあります。
 相手がおどおどして自分に脅威を感じていることがわかると、相手に対するパワーや、支配できるという有能感、自分には何でもできるという万能感に浸ることができるのです。獲物を捕らえるハンターのような快感なのでしょう。
 料理をふるまって友達が「おいしい」と喜んでくれることも、つくった人にとっては気持ちがよく、一種の有能感につながります。相手を喜ばせること、より幸せにすることで得られる有能感は、ケアや世話につきものの気持ちよさです。
 ところが、現実にはその逆の有能感も多く見られます。相手が苦しむ、相手がおどおどする、びっくりするという態度によって快感をおぼえるのです。
 このような支配の快楽は加害の快楽に通じるもので、部下に命令ばかりしていばる上司や、いじめる生徒、虐待する親、DV(ドメスティック・バイオレンス)の夫に見ることができ、相手が平気な顔をしていると、しゃくにさわったり、バカにされている気分になるのも共通しています。
  DVで夫のもとから逃げてきた女性に何人も会ってきましたが、別れてからも延々と妻を苦しめ続ける男性は驚くほど多いのです。
 ピアノ教師だった妻が、夫のいる家からグランドピアノを引き上げたいと申し出ました。離婚裁判が終了して、すべての決着がついてからのできごとです。
 ところが夫は絶対に認めないのです。大きなピアノの存在を、結婚しているときは「邪魔だ」「叩き売ってやる」などと散々文句をつけていたにもかかわらず、妻が新しい生活を出発させるためにそれが必要だとわかったとたん、黙殺し続けるという態度に出ました。
 妻は、わけがわからないと混乱しながら、最後にはこう結論づけました。
「彼の目的は、私を苦しめ続けることなんです。幸せになんかさせてたまるかと思っているんです」
 別れた妻が苦しんでいるのを想像することで、彼は満足しているのでしょうか。
 かつて親しい関係にあった相手ほど、それが反転すると、徹底していじめ抜き、存在を否定し続けたくなるものなのでしょうか。

傷つける人とは

 一緒にいる人の言葉に傷ついた経験は、誰にでもあるでしょう。無神経な言葉を投げかけられると、「○○さんたらひどい」「私、○○ちゃんのことで傷ついちゃった」と落ち込んでしまいがちです。
 けれど、人に何か乱暴なことを言われたり、「そんなのあなただめじゃない」と言われると簡単に傷ついてしまうのに、他者には同じようなことを平気で口にする人は 案外多くいるものです。
 他者の気持ちへのセンサー(対人センサー)はほとんど働かないのに、自分の気持ちへのセンサー(対自センサー)だけは、ひどく敏感なのです。 
 対人センサーと対自センサーの差が激しく、バランスが取れていない人は身の回りに少なくありません。家族に対してひどく残酷な暴力をふるいながら、相手が自分を傷つけたから当然だと考え、自分は被害者だと思っていたりします。クレーマーといわれる人も、自分のほうが被害者だという思いでふくれ上がり、クレームを受ける人の気持ちには考えが及びません。
 他者に対しては鈍感で、傷つけているかどうかには考えが及ばず、自分のことだけに敏感なのは、いわゆる「困った人」です。対人センサーよりはるかに対自センサーのほうが鋭いことが、その人たちには共通しています。
 それとは逆に、虐待やさまざまな暴力被害を受けた人は、総じて人に対して非常に鋭敏です。他人を傷つけていないかにピリピリしており、センサーを張りめぐらせています。そして、多くは自分のことはほとんど放りっぱなしの状態なのです。
 こういう人は、ずっと自分の感覚をないがしろにして、痛みや苦しみを感じないように生きてきたのです。
 世界の見え方は人それぞれ違いますし、それが問題というわけではありません。しかし、自分の世界が巨大で世界はわずかしかない、逆に世界が巨大で自分という存在などほとんどない、という極端な感覚はバランスを欠いており、アンバランスさは結果的に問題を生じさせるでしょう。
 望ましいのは、センサーや関心の持ちようが人や世界にも、そして自分にもバランスよく配分されていることです。
 ところが、人によっては、このバランスを司る基本や、計測する目盛が偏ってしまっているのです。羅針盤が、何かの都合で壊れてしまっているのです。それを修正するためには、まず自分の目盛が偏っているという自覚が必要になるでしょう。
 親からの虐待、なかでも性虐待は、生きるために必要な羅針盤の針を、壊し、狂わせてしまうのではないかと言われています。

親密な関係での傷つき

 傷つけられたときの怒りは、相手との関係性に左右されがちです。たとえば、電車のなかで見知らぬ人に足を蹴られたり、ハイヒールで踏まれたら、「なによ」と反射的に怒りがわき、相手に文句を言いたくなります。まったくの他人だとすぐに怒れるし、文句も言えます。
 ところが、関係が近い人に深く傷つけられた場合は、ある程度時間がたってからでないと感情が湧いてきません。一晩寝て、翌日になってから腹が立ってきたり、極端なことをいえば、二、三週間たってから突然「自分は怒っているんだ」と気づくこともあります。
 自分よりずっと力がある、目上の人に怒りはあまり感じないものです。自分には及ばない見上げるような存在に対しては、怒るより先にあきらめや、容認する気持ちがわいてくるのです。
 わかりやすいのは親子関係です。子どもから何か批判的なことを言われると、親はすぐに怒ります。ところが、子どもは親にいやなことを言われても、その通りだと思い、なかなか怒ったりしません。なぜなら、子どもは親に依存して生きるしかないからです。経済的、精神的、物理的に依存しなければ生きられません。社長(上司)と 社員(部下)との関係にも、これと同じようなことがいえるでしょう。社員は社長に依存せざるをえないので、すぐに怒りが出てこないのです。
 日常的に顔を合わせる職場や学校でのハラスメントは、ずいぶん日にちがたってから、「あれ、私はもしかすると、あの人の暴言に傷つけられたのかもしれない」と気づくことがあります。怒っていることに気づくまで、長い時間がかかるからです。反論するには、さらに多くの時間やエネルギーを要します。
 このように、依存対象や親しみを感じている人に対する怒りは、しばしば抑えられ、 自覚されないままに時間が過ぎます。
 なかでも親子関係は、子どもが思春期や成人を迎えるまで、ほとんどが親への怒りを自覚できません。中年になった息子が、老いた母親を殴りながら、「これまでの人生を返してくれ」と叫ぶのは、珍しいことではありません。彼らの多くは、子ども時代は「やさしくていい子」だったのです。
 傷つけられたと自覚するには、かなりの時間がかかるということがあまり知られていないために、しばしば「どうしてその場で言ってくれなかったの」と反論されたりします。「あんな過去のことを持ち出して、言いがかりじゃないの」と。これらの発言によって、傷つけられた人が、さらに傷つけられることになるのです。
 三〇歳になった娘から、「私が中学生の頃、どうしてあんなひどい言葉をぶつけたの」と責められた母親は、「その場でどうして言ってくれなかったの」と反論し、娘の怒りをさらに燃え上がらせることになるのです。

(第2章「なぜ人を傷つけるのか」より抜粋)

加害する側と被害を受ける側、双方の視点から人間関係の問題を問い直す『傷つく人、傷つける人』

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次回の更新は6月17日(木)です。

信田さよ子(のぶた・さよこ)
1946年岐阜県生まれ。公認心理師・臨床心理士。原宿カウンセリングセンター顧問。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。精神科病院勤務等を経て95年に原宿カウンセリングセンターを開設、2021年5月まで所長を務める。AC(アダルト・チルドレン)、DV(ドメスティック・バイオレンス)、虐待、アルコール依存症など、家族問題についてのカウンセリングの経験から、多くの提言を行ってきた。著書に『母が重くてたまらない──墓守娘の嘆き』『共依存』『家族収容所──愛がなくても妻を続けるために』『母からの解放 娘たちの声は届くか』『〈性〉なる家族』『後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと』『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』など多数。
Twitter:@sayokonobuta

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