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心の疲れが出やすい時期、人間関係に悩めるあなたへ |信田さよ子『傷つく人、傷つける人』(1)

ホーム社の既刊から、いま読んでいただきたい本をセレクトして、その一部を紹介する「ホーム社の本棚から」。6月は、公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんの著書『傷つく人、傷つける人』(2013年)を、全4回でお送りします。
長年にわたり、依存症や家庭内暴力(DV)、いじめなど、さまざまな人間関係の問題の相談に乗ってきた信田さん。生きづらさを抱えた人たちに深く寄り添いながら積み重ねた見識は、世の中に多くの問題を投げかけています。
本書は、「傷つく」という言葉をテーマに、すこやかな人間関係を築いていくための方法を教えてくれる提言の書。春からの新生活をがんばった結果、心の疲れが出やすいと言われるこの季節。心身の不調に陥らないため、信田さんのアドバイスに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
はじめに、人間関係に傷ついてしまったとき、捉われがちな「常識論」の奥に潜む危険性を説いたくだりを、抜粋してお届けします。

信田さよ子
『傷つく人、傷つける人』

(第1章「傷つくと人はどうなるのか」より抜粋)

自分を責めてはいけない

お互いさまではない

 傷つけられると誰もが、いったいなぜこんな目に遭うんだろう、と考えます。またそのときのことを何度も振り返ります。ゴムまりのように、へこんで元に戻って、またへこんで戻ってというような単純なことではありません。
 家に帰って、つらつらと傷つけられたときのことを振り返ってみて、たいていは「私も悪かったんだわ」「相手も相手だけど、私も悪いわね」と思い、無理やり自分を納得させようとします。そのほうが明日からの生活のために都合がいいからです。
 日本ではこんなときに都合のいい言葉がいくつもあります。「お互いさまでしょ」「人間関係って五分五分じゃないですか」「人ばっかり責めないで、自分の非も直さないと進歩しないんじゃない?」
 いくら考えても自分は悪くないと思うと、「あの人が一方的に悪い」「どうしてこんな目に遭わされるんだろう」「あんまりだ、ひどい」と、無性に腹が立ってきますし、夜も眠れなくなります。むしゃくしゃしてお酒を飲んでしまうかもしれません。
 それを避けるために生み出されたのが、「五分五分」という言葉で、よく使われるのが、夫婦ゲンカに対してです。夫も妻もお互いに悪いところはある、五分五分だ、お互いさまだから辛抱してがまんして生きていきましょう、というものです。
 家庭裁判所には、「調停」という機能があります。争いを裁判に持ち込む前に、調停委員がお互いの言い分を聞くのです。その場合に調停書員は、中立、客観的であることが大前提だといわれます。このような調停の論理が、五分五分という言葉には込められています。
 日本の社会において、調停が果たしてきた役割を否定するつもりはありません。けれども、上司と部下の関係、そして暴力で威圧された妻と夫との関係において、この五分五分、お互いさまという言葉は成り立つでしょうか。
 おそらく、翌日冷静になってから、相手に伝えることができるかどうかということが、その分かれ道になるでしょう。
「よく考えたんだけど納得いかない」「私にも悪いところはあったかもしれないけど、やはり謝ってほしい」「私に言いたいことがあれば、きちんと伝えてほしい」
 このような言葉を思い切って相手に言い出すことができる場合、そこには五分五分に近い関係があるでしょう。納得できるかどうかではなく、納得できないことを相手に「伝えられるかどうか」が分岐点となります。それが可能であり、許される関係は、対等性が保障されているといってもいいでしょう。
 でも、とうてい伝えられない、言うのがこわくてたまらない、もしくは完全に無視されるに違いない、という関係はどうでしょう。表だって禁止されているわけではないのに言えないことは多いものです。
 何をされるかわからないし、相手から返ってくる言集はわかっている。何より自分の言いたいことを理解してもらえる可能性はゼロだ、周囲は全部相手の味方だ、というときには、决して五分五分ではありません。
 納得がいかないとき、多くの人たちは腹立たしさや悔しさを自分でなだめようとします。お互いさま、自分も悪かったと思えば、いったん納得がいきますが、すぐにまた釈然としない気持ちが戻ってくるでしょう。
 言いたいことも、納得できない気持もすべて呑み込んで黙ってしまい、なかったことにしようとする人は多いものです。しかし、どうにも収まりがつかず、友達に経緯を話すと、「あの人って、いつもひどいことを言うけれど、でもなぜ、あなたも言い返さなかったの?」と、こちらの意図とは逆の反応が返ってくることがあります。言い返さなかった自分が悪いのか、と思わされるのです。
 これは、DV(ドメスティック・バイオレンス)において、「なぜ逃げないの?」と問われ、レイプでも「どうしてもっと抵抗しなかったの?」と間われるのと同じです。
 そんな意見に対して「反論したり、逃げなかった私にも非があった」「そうか、五分五分なんだ」と帳尻を合わせてしまうことで、結局は「私が悪い」という結論に導かれることになってしまいます。
 このような経験が繰り返されると、「私も悪い」という思いがこころのなかに積み重なっていきます。そうすると、人はどうなっていくでしょう。「私のこういうところが悪かった、やっばり私はダメなんだ」と考えるようになってしまうのです。

「自己評価の低さ」は考え方のくせ

 自分に責任があるとする「自分が悪いからだ」という思考は、傷つくことが続くにつれて、その人の頭のなかで習慣になっていきます。
 習慣というのは恐ろしいもので、友達、上司、夫などから責められると、反射的に「私が悪いからだ」と思ってしまうのです。
 一般的には、そんな考え方に対して「謙虚で自己洞察ができる」というプラスの評価が与えられがちです。しかし、そこには落とし穴があります。たび重なるとどんどん自信がなくなり、何をしても不安が襲ってきてしまうようになるのです。
 過剰に人の評価が気になるというのも、自信がなくなったことのあらわれでしょう。食事会や忘年会といったイベントの会場選びを任されたときなども、本当にこれでいいのかしら、これでみんなに満足してもらえているのかしら、誰からも文句は出ないか、そんなことを考え出すと不安でいっばいになってしまいます。ひとつの役割を果たすために、多大な精神的エネルギーを使うことになり、どっと疲れてしまうのです。
 すべて自分が悪い、自分の責任だ、と考えてしまうと、やることなすこと、「これでいいのかしら」と不安になってしまいます。過剰な負のエネルギーを使うことで疲れ果ててしまい、この疲れがうつにつながる可能性も否定できません。
 傷つけられることが重なった結果、その人のなかで習慣になってしまった考え方は、このようにして生活全体に影響を及ぼすのです。
 スイッチが入ると自動的に動き出すために、それを「自動思考」と呼ぶこともあります。一般的に、自己評価の低い私、自己肯定感がない私、自分を好きになれない私、などと表現されますが、その底の部分には、「私が悪い」という自動思考が考え方の「くせ」としてへばりついていることが多いのです。
 それに、自己評価や自己肯定感という言葉を、私はあまり好ましいと思ってはいません。わかりやすいし、なんとなく伝わってしまうから一般化したことはわかりますが、よくよく吟味すると、最終的には「自分で自分をなんとかする」ことを推奨する言葉です。
 言い換えれば、「がんばって自分を評価し肯定する」ように圧力をかけるわけですから、自己肯定感が抱けないのは、「がんばりが足りない」ことになります。自己評価については後の章で述べますが、このように、その人の責任に帰せられてしまう点(自己責任論)だけは、私にはどうにもがまんができないのです。
 自分に対し低い評価しか下せないというのは、遺伝によって生まれつきそうなのではなく、個人の性格でもなく、習慣によっていつのまにかしみついてしまった「考え方のくせ」とするほうがずっとましでしょう。「くせ」はあるときから身につけたものですから、それを説したり、なくすことも、変えることもできます。それこそが、希望ではないでしょうか。

(第1章「傷つくと人はどうなるのか」より抜粋)

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【ホーム社の本棚から】
次回の更新は6月10日(木)です。

信田さよ子(のぶた・さよこ)
1946年岐阜県生まれ。公認心理師・臨床心理士。原宿カウンセリングセンター顧問。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。精神科病院勤務等を経て95年に原宿カウンセリングセンターを開設、2021年5月まで所長を務める。AC(アダルト・チルドレン)、DV(ドメスティック・バイオレンス)、虐待、アルコール依存症など、家族問題についてのカウンセリングの経験から、多くの提言を行ってきた。著書に『母が重くてたまらない──墓守娘の嘆き』『共依存』『家族収容所──愛がなくても妻を続けるために』『母からの解放 娘たちの声は届くか』『〈性〉なる家族』『後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと』『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』など多数。
Twitter:@sayokonobuta

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