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第二十四話 大雪(最終回) 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第二十四話「大雪」

2024年12月7日〜2024年12月20日

 「大雪たいせつ」とは、雪が盛んに降りだす頃のこと。本格的な冬の訪れとともに、山の峰は雪化粧し、平地にも雪が積もります。
 
 例年、この時期には「シベリア寒気団」による寒波が日本列島に到来します。この寒波は「ふゆしょうぐん」と呼ばれ、日本海側では降雪を、太平洋側では乾燥した冷たい風をもたらします。
 
 そしてこの頃には、各地で「ゆきり」が行われます。樹木の枝が雪の重みで折れないように、縄や針金で吊り、補強する作業のことで、元々は雪の多い地方の風習ですが、近年は「新宿御苑」など、東京の庭園でも見られるようになりました。
 
 そんな「大雪」の器は、古伊万里の『あか金彩きんさいふた茶碗ちゃわん』。18世紀の半ば頃に肥前国(現在の佐賀県および長崎県)有田で作られた蓋茶碗です。

 「赤絵金彩」とは「赤絵」と「金彩」という2つの技法を組み合わせた装飾技法のこと。白磁の素地の上に、ベンガラ(酸化鉄を主成分とする顔料)を用いた赤色の絵の具で有職ゆうそく文様もんよう(公家社会で装束や調度などに用いられた伝統的な文様)と赤玉あかだまもん(赤い玉の形の文様)を描き、その赤玉文の中に金彩で大輪の花を描いた、格調高い器です。
 
 こうした赤絵の器は、温かみを感じる色合いであることから、冬の時期の器としてよく用いられます。なかでも赤玉文は太陽を表す文様とされており、温かい料理を盛る蓋付碗や、見込みの深い鉢に多く見られる意匠です。
 
 この器に盛る『懐石辻留』の「大雪」の料理は『かぶら蒸し 穴子 車海老 百合根ゆりね 銀杏ぎんなん 木耳きくらげ 蓮草れんそう 山葵』。

 「かぶら蒸し」とは、魚介や野菜などの具材の上にすりおろしたかぶをのせて蒸し、だし汁のあんをかけた、京料理のひとつ。「芽蓮草」はほうれん草の新芽のことで、色どりとして用いられます。
 
 『懐石辻留』では、京都の伝統野菜である「しょういんかぶ」を使うのが作法。すりおろして軽く絞ってから卵白とわずかな塩を入れたものに、刻んだ木耳を加え、炭火でつけ焼にした穴子、茹でた車海老と百合根、だしと薄口醬油で炊いた銀杏の上にたっぷりのせて蒸し上げます。そして、だしと薄口醬油のつゆに溶いたくずでとろみをつけた「葛あん」をかけ、芽蓮草と山葵を添えて供します。
 
 その白くふんわりとした姿は、あたかも庭木の上に降り積もった雪のよう。あつあつのうちに食べれば、体の芯から温まる、冬にぴったりの料理です。
 
 もうひとつの器は『呉須ごすあか 花鳥文皿』。

 「呉須赤絵」は、17世紀の前半、みん時代の末期からしん時代の初期の頃に、中国福建ふっけんしょう南部の漳州しょうしゅうようで焼成され、輸出された色絵磁器の、日本での呼称です。
 厚手の素地に濃厚な絵の具を使い、赤色を主体にして文様を描くのが特徴で、その奔放にして力強い絵付けを日本の茶人たちが評価し、好んで茶事に用いました。
 
 その人気の高さから、江戸時代後期には日本の陶工による写しも数多く作られましたが、やはりほん(オリジナル)の自由闊達かったつな筆致に勝るものはありません。
 
 この器に盛る『懐石辻留』の料理は『ぶり 幽庵ゆうあん焼き』。

 鰤はスズキ目アジ科に分類される海水魚で、水温が下がった冬が旬。とりわけ厳冬期に獲れる鰤は「寒鰤かんぶり」と呼ばれ、冬を代表する味覚のひとつ。
 そして「幽庵焼き」は「幽庵」と呼ばれる日本酒と醬油をベースにした調味液に、魚の切り身などをつけてから焼く技法のこと。江戸時代の茶人である北村祐庵ゆうあん(1648〜1719)が考案したことがその名の由来とされていますが、異説もあり、本当のところはわかっていません。
 
 『懐石辻留』では、日本酒、濃口醬油、みりんを合わせた「幽庵地」に、新鮮な鰤の切り身をつけこみ、串を打ってから炭火でじっくりと焼き、焼き色がついたら、さらに幽庵地を上からかけてつけ焼にします。そして最後に沸かしたつけ汁をかけて照りを出し、粉山椒を振って仕上げます。
 
 旬を迎えた鰤の深い旨みを、濃い味つけの「幽庵地」が見事に引き立て、嚙むほどに甘い脂が舌にあふれます。鰤に脂がのる冬にこそ食べたい、至高の一品です。

 プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/古伊万里

 古伊万里は有田、三川内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
 古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
 肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
 古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。

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【エッセイ・目で味わう二十四節気】
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