第二十三話 小雪 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
[二十四節気ごとに更新 はじめから読む]
Photo:岡田敬造、高野長英
第二十三話「小雪」
2024年11月22日〜2024年12月4日
「小雪」とは、わずかな雪が降る時期のこと。朝晩の冷え込みが強くなり「雨が雪に変わるが、積もるほどではない」というところから、この名がついたと言われています。
そして「小雪」の次候(二十四節気の一気を3つに細分化した「七十二候」のひとつ)は「朔風払葉」。「朔風」とは北から吹く風のことで、それが木の葉を吹き払う頃という意味です。
秋に山々を彩った紅葉や銀杏などの葉が、朔風で吹き払われ、地面を埋め尽くす光景は「落ち葉の絨毯」と呼ばれ、冬の風物詩になっています。
そんな「小雪」の器は、樂吉左衛門家十二代・弘入(1857〜1932)の『赤楽葉皿』です。
木の葉を象った「葉皿」は樂家の食器の定番であり、形もサイズも様々なバリエーションがあります。この器は横幅が約20センチとかなり大きく、向付としてだけでなく、焼物皿など幅広い用途に使われたものと想像できます。
樂弘入は歴代の中でも火変わり(窯変)を効果的に使うことで知られていますが、この葉皿は赤楽でありながら、半分以上が濃灰色に火変わりしており、その色合いが冬にふさわしい、侘びた風情を醸し出しています。
この器に盛る『懐石辻留』の「小雪」の料理は『かます曲焼』。
「かます」はスズキ目カマス科に属する魚。淡白で上品な味わいの白身魚ですが、海水温が下がった晩秋から冬にかけて脂がのり、旬を迎えます。なかでも初冬に獲れるものは「霜降りかます」と呼ばれ、珍重されます。
『懐石辻留』では、かますを三枚におろして塩を振り、皮目を上にして身の両端を丸める「両つま折り」にしてから、串を打ち、日本酒をかけながら、炭火でじっくりと「曲焼」にします。こうすることで、皮目はパリッと、身はふんわりと焼き上げることができるのです。
日本酒とわずかな塩だけで調味し、つけ合わせもないシンプルな料理ですが、焼き色のついた皮目からは芳しい香りが、柔らかい身からは深い旨みがあふれます。熟練の「焼き」の技が光る、至福の一品です。
もうひとつの器は、古伊万里の『染付 雪輪文蓋付碗』。
「雪輪文」は、桃山時代以前から用いられてきた伝統的な意匠。円の輪郭に多数の切れ込みを入れた形をしており、雪の結晶をイメージしたものと考えられています。
雪の結晶は六角形ですが、日本で初めてそれが認識されたのは江戸後期のこと。それまではこのような丸い形と捉えられていたのでしょう。
古来、雪が多く降る年は豊作になると信じられてきたため、五穀豊穣の吉祥文様として、器だけでなく着物の柄などにも使われてきました。
冷たい雪をモチーフにしていながら、どこか温かみを感じるデザインが、温かい料理とよく合います。
この器に盛る料理は『鴨味噌煮 粟麩 菊菜 粉山椒』。
冬に旬を迎える鴨(合鴨)の味噌煮で、懐石料理には数少ない、鳥肉を用いた料理のひとつ。「粟麩」とは雑穀の粟を練り込んだ生麩のことで、「菊菜」は関西地方で生産される春菊の呼称です。
『懐石辻留』では、まず鴨肉の余分な脂をそぎ落とし、皮を下にしてフライパンで焼き、氷水で冷ましてから切り分け、京都の白味噌と桜味噌(甘口の赤味噌)を日本酒とみりんでのばした地(味の下地)で、味噌煮にします。
そして、だしと薄口醬油、みりんで炊いた粟麩と、一度茹でてからだしと薄口醬油で炊いた菊菜を合わせ、最後に粉山椒を振って仕上げます。
濃厚な味つけの鴨と、だしを含んだ粟麩は相性ぴったり。嚙めば二つの旨みが重なりあい、芳醇な味わいに昇華します。そして、粉山椒の香りが食欲をそそる、小雪の舞う季節にふさわしい、滋味豊かな一品です。
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/樂吉左衛門
千利休の求めで茶碗を焼いた樂長次郎(生年不詳〜1589)を初代として、現在十六代を数える樂吉左衛門家。
茶碗の窯として創始したため初代から三代道入(1599〜1656)までの作品に食器は少ないが、四代一入(1640〜1696)以降は菊皿、膾皿、蛤皿など、様々な茶懐石用の器を手掛けてきた。
樂家の食器はすべて樂焼と呼ばれる軟質施釉陶器だが、同じ形の器でも釉薬の微妙な違いによって趣が変わる。とりわけ赤樂の食器は各代ごとに赤の発色や窯変が異なり、それが見どころとなっている。
歴代の中で多くの食器を残しているのは四代一入、六代左入(1685〜1739)、九代了入(1756〜1834)、十二代弘入(1857〜1932)で、中でも「樂家中興の祖」と呼ばれる了入は、皿や鉢、向付を得意とし、箆使いの技巧を施した名品も伝世している。
注釈/古伊万里
古伊万里は有田、三川内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。
【エッセイ・目で味わう二十四節気】
二十四節気ごとに更新