第二十二話 立冬 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英
第二十二話「立冬」
2024年11月7日〜2024年11月21日
「立冬」は立春、立夏、立秋とともに四季の始まりを意味する「四立」のひとつ。ここから翌年2月の「立春」の前日までが、暦の上での「冬」になります。
例年、この頃になると「木枯らし」が吹きます。秋から冬への季節の変わり目に吹く北寄りの風のことで、その名の通り、木を枯らすような冷たい風です。
そして、茶の湯の世界では、この時期に「炉開き」が行われます。5月から10月まで閉じられていた「炉」(茶室に設えられた小さな囲炉裏)を開け、炭に火を入れる行事で、その年に摘んだ「新茶」を初めて使うことから「茶人の正月」とも呼ばれます。
そんな「立冬」の器は、永樂妙全(永樂善五郎家十四代・得全の妻 1852~1927)の『古染付写半開扇向付』です。
扇子が半分開いた「半開扇」の形で、中国明時代の天啓年間(1621~1627)頃に、景徳鎮民窯で作られた「古染付」がオリジナルとされており、この器は永樂妙全による写しです。
涼やかな見た目の向付ですが、茶人たちは、開ききっていない扇が「不完全さ」と「侘び」を表現していると捉え、また「開扇」が「開炉」に通じることから、好んで「炉開き」の茶事に用いてきました。
この器に盛る『懐石辻留』の「立冬」の料理は『鯛昆布締 うど ちしゃとう 寿のり』。
「ちしゃとう」は「茎レタス」とも呼ばれるレタスの一種。「寿のり」は清流に生息する藻類の「水前寺のり」のことで、あしらいとして添えられます。
『懐石辻留』では、冬を迎えて脂ののった鯛(マダイ)の身を、昆布で挟み、軽く重石をして「昆布締」にします。このひと手間で鯛の水分を抜き、昆布の旨みを加えて、味を凝縮するのです。
器の純白を背景に、わずかに緋色を帯びた鯛の身が、名残の紅葉を思わせます。季節の移ろいを表現した、美しい盛りつけです。
もうひとつの器は、平澤九朗の『織部 吊し柿文角鉢』。
平澤九朗(1772~1840)は江戸後期の尾張藩士にして数寄者(茶の湯を嗜む風流人)。有楽流(織田有楽を流祖とする武家茶道の流派)の茶の湯を学びながら、余暇に茶碗、向付、鉢といった茶道具を作りました。つまりプロの陶工ではないのですが、技工のレベルは極めて高く、志野、織部、黄瀬戸など、桃山時代の陶器の写しを数多く手がけています。
この器も桃山時代の織部焼の写しで、見込みには「吊し柿文」が描かれています。これは、皮をむいた渋柿を吊し干しにする風景の意匠化で、織部焼の産地である美濃地方の風習に因むものと考えられています。
平澤九朗の描く「吊し柿」は軽妙洒脱なタッチで、いかにも数寄者らしい遊び心があります。
器に盛る『懐石辻留』の料理は『吹寄せ 焼栗 こんにゃく 紅葉麩 むかご 銀杏 しめじ 松葉ごぼう』。
「吹寄せ」とは、落ち葉が風に吹かれて1カ所に集まった様子を表した言葉で、和食では、数品の小さな料理を寄せて盛り合わせたものを指します。
器に盛られた料理は7品。砂糖と水で甘煮にした栗に卵黄を塗り、炭火で焼き色をつけた「焼栗」。ごま油で炒り、だしと濃口醬油、みりんを加えて煮た「こんにゃく」。煮切り酒、薄口醬油、砂糖で軽く煮て味を含ませた「紅葉麩」。蒸して塩を振った「むかご」(山芋の球状の芽)。炒って塩を振った「銀杏」。だし、薄口醬油、みりんで煮た「しめじ」。松葉の形に切り、ごま油で炒ってから煮しめた「松葉ごぼう」。
それぞれの素材を生かし、また、味が重ならないように、別々に調理してから、供する前にひとつに合わせるのが『懐石辻留』の流儀です。
あたかも木枯らしで吹き寄せられた落ち葉のように、器の中心に折り重なった7つの料理は、紅葉麩の赤、焼栗の黄、銀杏の黄緑が際立ち、息を飲むような美しさ。
そして、こんにゃくと松葉ごぼうの侘びた色あいが、忍び寄る冬の気配を感じさせる、見事な盛りつけです。
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/永樂善五郎
室町時代から土風炉(土器の風炉)を制作してきた善五郎家が、向付や皿などの食器を焼くようになったのは、十代了全(1770〜1841)以降のこと。
その了全と十一代保全(1795〜1855)の陶技を高く評価した紀州藩主の徳川治寳(1771〜1853)から「永樂」の銀印を拝領したことを機に、善五郎家は「永樂」を陶号として使うようになった。
十一代保全は歴代の中でも名人として知られ、交趾焼、古染付、祥瑞、金襴手といった中国陶磁の写しを得意とした。
中でも緑、黄、紫など色鮮やかな釉薬を使った交趾写しと、質の高い呉須(顔料)を用いた古染付写しの美しさは、本歌(オリジナルの器)に勝るとも劣らない。
保全の高い技術と美的センスは十二代和全(1822〜1896)以降も脈々と受け継がれ、今も京焼を代表する窯元として、端正にして華やかな器を作り続けている。
【エッセイ・目で味わう二十四節気】
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