池上彰が見る 2024年大統領選挙直前のアメリカ #2
2024年8月、『池上彰が見る分断アメリカ』が刊行されました。インフレ、経済格差、宗教問題、移民問題など、数々の課題が山積し、分断が確実に広がっているアメリカ。その実態と実情をそれまでの著者のアメリカ取材をふまえながらわかりやすく解説する内容です。これを読めば、アメリカのニュースに接したときに「そうだったのか!」とひざを打つはず。
その池上彰さんが2024年9月から11月までの間、二度にわたってアメリカを取材されます。そこで見えたこと、本書の原稿には間に合わなかったことなど、臨場感あふれる生のアメリカを前回に続きレポートしていただきます。
著者近影:木内章浩
2024年10月23日
アメリカ便り その5
再びアメリカにやってきました。今回は、まずロサンゼルスに入りました。ロサンゼルスといえば、いまや大谷選手の活躍でドジャースがワールドシリーズ出場を決めて盛り上がっていますが、私の取材は野球ではありません。変貌するロサンゼルスをリポートするためです。
ロサンゼルスの名所といえば、日本人にとっては、長らく「リトルトーキョー」でした。日系人の街です。かつて日本が貧しかった19世紀、大勢の日本人が北米に移民しました。西海岸の農園の労働者として働いたのです。ところが日本人の移民が「増えすぎた」と考えたアメリカ議会は通称「排日移民法」を成立させます。日本人とは明記していないのですが、条件に当てはまるのは日本人だけという巧妙な法律です。このため北米に行けなくなった日本人たちは、今度は南米に向かい、南米各地で重労働に従事することになりました。
一方、西海岸で働く日系人のためのさまざまな商品を売る店が集積した地域が、「リトルトーキョー」と呼ばれました。太平洋戦争が始まると、日系人たちは「敵性外国人」として強制収容所に入れられるという過酷な経験をしますが、戦争が終わるとリトルトーキョーに戻り、街は発展しました。
ところが最近になって街の近くまで地下鉄が開通し、交通の便が良くなると、地価が高騰。住むのが難しくなった日系人たちは郊外に移転します。その結果、リトルトーキョーは衰退……と思われたのですが、代わりに日系人以外の若者たちが移り住んできました。日本のアニメなど「クールジャパン」に憧れた人たちです。その結果、現在のリトルトーキョーは「KAWAII」と呼ばれる店が立ち並び、まるで原宿の竹下通りのようです。
この街にある日系ホテルの「ミヤコホテル」には大谷選手の巨大な壁画が描かれています。アメリカで活躍する日本人。大谷選手は、日本人や日系人を励ましてくれる存在なのです。
2024年10月24日
アメリカ便り その6
前回に引き続き、ロサンゼルス便りです。ロサンゼルスと同じカリフォルニア州のサンフランシスコ近郊には、アメリカでトップレベルのスタンフォード大学があり、ここを中心にシリコンバレーと呼ばれるIT産業の集積地が生まれました。「シリコン」とはIT機器に必須の半導体の別名です。
名だたる半導体の企業が集まってくると、高給取りの社員が増え、彼らが競って住宅を購入するため、地価が高騰。その結果、これまでアパートに暮らしていた学生たちが、家賃を払えなくなり、自動車内で寝泊まりしながら大学に通う学生が増えてきました。
駐車が可能な道路には、それらしい自動車が多数並んでいます。そのうちの一人に話を聞いたところ、車内にベッドを持ち込み、簡単な自炊をしながら寝泊まりしているとのこと。シャワーはどうするのかと聞くと、ジムの会員になってシャワーを使っているそうです。
アメリカには国立大学がなく、ほとんどが私立大学。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のような州立大学もありますが、日本の国公立大学よりは学費が遥かに高いのです。
ロサンゼルス市内にあるUSC(南カリフォルニア大学)の学生に1年間の学費を聞いたら、年間を前期と後期に分けて、各3万5,000ドルでした。つまり1年間に7万ドル。日本円にすると約1,000万円です。キャンパス近くで聞いた何人かのUSCの学生は「親が裕福で学費を出してくれるから大丈夫」と涼しい顔でしたが、中には学費ローンでお金を借りて通う学生もいます。彼らにとっては、4年間で4,000万円の借金を抱えて卒業することになります。これを返済するのは大変なこと。大学は卒業しても借金を返済できずに破産する学生もいます。親の収入によって、子どもが良い教育を受けられるかどうかが決まる。これは日本でも起きていることですが、アメリカの格差の峻烈さは強烈。こうして格差社会が進んでいくのだと思うとやりきれない気がします。
2024年10月25日
アメリカ便り その7
ロサンゼルスは、4年後のオリンピック開催に向けて街の美観づくりに必死。そこで問題なのは多数のホームレスの存在です。ロサンゼルスに代表されるカリフォルニアは温暖な気候で雨も少なく、ホームレスには“快適な”場所なのです。全米のホームレスの3分の1はカリフォルニアに集中しているというデータもあります。
そこでロサンゼルス市は19階建てのホームレス専用の住居を建設中です。これには「ホームレスになると、税金で快適な住居に入れるのか」という批判の声が出ています。
さらに増え続けている不法移民を収容する住居も市の税金で建設中です。カリフォルニアは民主党が強く、不法移民にも寛容な人たちが多いので、こういう施策をとることができるのですが、「不法移民も快適な住居が提供される」という情報が広がれば、さらに多くの不法移民たちがロサンゼルスを目指すことになるのではないかという声もあります。
まさに、いまの大統領選挙で不法移民対策が大きな争点になっていて、不法移民に強硬な姿勢を示すトランプ前大統領の発言ばかりがニュースになりますが、ロサンゼルスのような自治体もあるのです。これもアメリカの一断面です。
2024年10月26日
アメリカ便り その8
ロサンゼルス滞在中にニュースが飛び込んできました。ロサンゼルスばかりではなくアメリカ西部で最も信頼される新聞といわれる「ロサンゼルス・タイムズ」の論説委員長、マリエル・ガーザ氏が辞任したというのです。
これは「ロサンゼルス・タイムズ」の論説委員長自身が米誌「コロンビア・ジャーナリズム・レビュー」で語ったものです。
辞任の理由は、論説委員会としてアメリカ大統領選挙で民主党のカマラ・ハリス副大統領の支持を打ち出そうとしたところ、2018年に同紙を買収した資産家のパトリック・スン・シオン氏に阻止されたからというものです。
アメリカの多くの新聞は、一般の記事は客観的な報道に徹していますが、論説委員会は、大統領選挙のたびに誰を支持するかを紙面で明らかにしています。すでに「ニューヨーク・タイムズ」はハリス氏を支持することを明らかにしています。
「ロサンゼルス・タイムズ」も従来は民主党の候補者を支持することが多く、今回もハリス氏支持を打ち出そうとしたところ、シオン氏に阻止されたというのです。
こうなると、新聞の論調を決めるのは論説委員会か経営者か、というメディアにとって古くからの問題が持ち上がります。新聞の編集権の独立性は維持されなければなりませんが、その一方で、経営者にしてみれば、「この新聞の方向性を決めるのは自分だ」という意識を持つことが多いからです。
しかし、今回の場合、従来のような方法を踏襲しようとしたところ阻止されたというのですから、同紙の編集方針の独立性が損なわれたと言えるでしょう。
このところアメリカでも紙の新聞は売れなくなり、経営危機が叫ばれるケースが増えています。こういうときに資産家が買い取ってくれれば新聞にとっては救いの神ですが、編集方針に介入するようになると、新聞にとっては致命的になってしまうのです。
新聞社の危機を象徴するようなニュースに私は驚きました。「ロサンゼルス・タイムズよ、お前もか」というわけです。
アメリカからの最新事情、第3回へと続きます。
2024年の大統領選挙でアメリカは何を選択するのか。
新たな南北戦争は起こるのか。
池上彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、73年にNHK入局。松江放送局、広島放送局呉通信部を経て、報道局社会部、警視庁、文部省、などを担当し、記者として経験を重ねる。94年から11年にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年にNHKを退職し、フリージャーナリストに。名城大学教授、東京工業大学特命教授、東京大学客員教授、愛知学院大学特任教授、立教大学客員教授。信州大学などでも講義を担当。『そうだったのか! 現代史』シリーズ、『君たちの日本国憲法』、『池上彰の世界の見方』シリーズ等、著書多数。