池上彰が見る 2024年大統領選挙直前のアメリカ #4[まとめ]
『池上彰が見る分断アメリカ』で、分断の広がるアメリカの実態と実情を説いた池上彰さん。その後、米国大統領選直前の2024年9月から11月までの間、二度にわたってアメリカ取材を行ないました。帰国された池上さんに、選挙結果をふまえた「アメリカ便り」のまとめをご寄稿いただきました。「もしトラ」が現実になったいま、アメリカの分断、世界の分断はどうなっていくのでしょうか。
著者近影:木内章浩
2024年11月7日
アメリカ便り その13
アメリカ大統領選挙の直前に帰国し、アメリカで開票が始まった日本時間の11月6日にはテレビで6時間の生放送の特番を担当しました。
当初は「大接戦」と見られましたが、結果を見ればトランプの圧勝でした。どうして、このようなことになったのか。まずは世論調査の精度です。
私がアメリカで街頭インタビューしたときに、気軽に答えてくれた人たちの多くはハリス支持でした。ところが、インタビューに応じようとしない人たち(白人男性が多かった)からはメディアに対する不信感や敵意のようなものを感じました。
いまから思えば、この人たちの多くはトランプ支持者だったのでしょう。
トランプは既存のメディアを「フェイクニュース」と呼んで敵視してきました。その結果、トランプ支持者たちもメディアに不信感を持つ人が多く、テレビのインタビューに応じなかったり、メディアが実施する世論調査に協力しようとしなかったりしたのではないかと思われます。いわゆる「隠れトランプ」です。
これでは正確な世論調査はできません。「隠れトランプ」を見逃したために、事前のメディアは「大接戦」と報じてしまったように思えます。
今回のトランプ勝利を、私はアメリカ版「階級闘争」の勝利だと見ています。アメリカのような資本主義国で、資本主義の権化のような人物の当選をこう見るのは奇異に感じるかもしれませんが、彼の当選を支えたのは、アメリカ社会の底辺の労働者や農民だったからです。
グローバル経済の発展でアメリカの製造業は空洞化してしまいました。五大湖周辺から東海岸にかけてのかつて繫栄した工場地帯は「ラストベルト」(錆びた地帯)と呼ばれるようになっていました。失業し、意欲を失った労働者たちはオピオイドという麻薬が含まれた鎮痛剤で一時の苦しみを忘れようとして、その乱用から毎年3万~5万人が死亡するという悲惨な状態になっていたのです。2000年以降、50万人以上がオピオイド関連の薬物過剰摂取で死亡しているという現実に、バイデン政権は「オピオイド対策」として多額の助成金を拠出しましたが、歯止めはかかっていませんでした。
もともと労働者の党だった民主党は、都市部の高学歴のIT企業や金融業のエリートによって支配される組織に変身していました。いわばエスタブリッシュメント(支配層、特権階級)の党になっていたのです。
これに対し、「忘れられた人々」を掬い上げたのがトランプでした。本来共和党こそエスタブリッシュメントの金持ちの政党だったのですが、トランプが「労働者の党」にしてしまったのです。
かつての共和党の大会には、いかにもエリート然としたスーツ姿の人たちが上品に会話する姿が見られましたが、いまやトランプのTシャツを着た、エリートが眉をひそめるような風体の男たちに占領されてしまいました。
日ごろアメリカの政治や経済に無関心だった”プロレタリアート”を目覚めさせて扇動することに成功したのがトランプだったのです。彼らは、エリート然として上から目線で演説する民主党の政治家に敵意を持つまでになっていました。民主党の政治家が「民主主義の大切さ」を語っても、人々は「理想より日々の暮らし」が大切だと反発します。インフレで物価高に苦しむ人々は、民主主義の理想より「インフレを退治する」と語るトランプに惹かれたのです。
その彼らの反乱が、今回の結果になりました。いわばアメリカ版の「シン・プロレタリア革命」が出現したのです。
ことはアメリカ国内のことですが、こうした「自国第一主義」、さらには「労働者農民第一」という政治の潮流は、これから世界に広がるでしょう。自国の産業を守るために高い関税をかけあえば、貿易にも悪影響が出ます。日本経済にも悪い影響が出るのは必至です。アメリカの「分断」は、世界にも日本にも広がるでしょう。そんな分断の世界で、私たちは、どのような新しい秩序を形成していけばいいのか。
トランプ勝利に沸くアメリカを見るにつけ、そんな重い課題を考えてしまいます。
私のアメリカ便りは、とりあえずここまで。いずれまたアメリカ取材に出たときには再開するかもしれません。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
トランプが大統領に再選するに至った背景とは。
大国アメリカの中でいったい何が起きていたのか。
池上彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、73年にNHK入局。松江放送局、広島放送局呉通信部を経て、報道局社会部、警視庁、文部省、などを担当し、記者として経験を重ねる。94年から11年にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年にNHKを退職し、フリージャーナリストに。名城大学教授、東京工業大学特命教授、東京大学客員教授、愛知学院大学特任教授、立教大学客員教授。信州大学などでも講義を担当。『そうだったのか! 現代史』シリーズ、『君たちの日本国憲法』、『池上彰の世界の見方』シリーズ等、著書多数。