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橋本治『人工島戦記』#3 東京だよお父っつぁん

橋本治さんが生涯をかけて挑んだ小説『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』が刊行されました。架空の地方都市を舞台に、戦後から平成に到るこの国の人々を描いた大長編は、未完ながら、A5判2段組みで1,376ページ。圧巻のボリュームです。

刊行後の反響のなかに、「興味はあるものの、読み通せるだろうか」という声が少なからずありました。その杞憂を晴らすべく、先行公開した第一章に続き、第二章から第八章まで、毎日一章ずつ試し読み公開します。(第一章から読む


第いち部 低迷篇

第三章 東京だよお父っつぁん

 東京都は、「一道一都二府四十三県」と言うくらいなんだから、日本でも一コしかない特別なところだった。日本中の大きな地方都市は、みんな「東京並み」と言ってその東京都と張り合おうとするが、それが実は、「象もウサギもおんなじ哺乳類だ」というぐらいに、スケールの違うヘンな張り合い方だということを、よく理解していなかった。

 千州最大の都会である比良野市が、東京都の新宿区と渋谷区の中に収まってしまうのだから、東京の二十三区というのは、とんでもなく広い。東京都の面積自体は、日本の他の道府県の大きさと比べれば「すごく小さい」と言った方がいい規模なのだが、しかしその内で二十三区の占める割合は、半分ぐらいある。日本地図で調べてみれば分かるのだが、東京の二十三区は、色鉛筆で塗ろうと思えば塗れるだけの広さがあるが、他の都市というものは、みんな二重丸の〝点〞なのだ。東京という都会は〝面〞で、他の地方の都会はみんな〝点〞なのだ。こういう違いがあることを、「東京に負けるな!」と言う他の地方都市の市長達は理解していない。
 たとえば、東京には都知事がいて、大阪や京都には府知事がいる。そこまでは似たようなものだが、大阪や京都に「大阪市長」や「京都市長」はいても、東京には「東京市長」というものがいない。府や県の大きさが丸ごと「市」になってしまうような規模の大都会なんかどこにもないのに対して、東京都はほとんど丸ごとが「東京市」であるような、そういうヘンなものなのだった。
 平野県の県庁所在地である比良野市には、平野県庁と比良野市役所の二つの建物がある。平野県庁は、茶色と紫のハーフみたいな色の石で覆われた、窓の小さな四角くてどっしりと重々しい建物だ。周りには古い街路樹が茂っていて、外から見ただけじゃ、中の様子が分からない。それに比べて、オシャレなファッションビルの立ち並ぶ五軒町にある比良野市役所は、ロゴがひらがなの「ひらの市役所」になっていて、やたら窓が大きくて外装が白くて、ビルの形だって四角くない。白くて丸い円筒形の部分がついていて、ひょっとすればどっかのファッションビルと間違えられちゃうんじゃないかという外観を持っている。中の「インフォメーション・プラザ」という広い一階のロビーに座っている、白とピンクのユニフォームを着た受付のお姉さんの姿なんかは、外からもちゃんと見える。
 市役所は、オシャレな大都会の比良野市だけを管轄しているからオシャレで、県庁は、比良野市以外のそんなにオシャレじゃない他の市や、比良野市の外側にエンエンと広がる村や町や田んぼや海や山や農業のイナカ地域を管轄しているから、そのイナカ分だけ重々しいのだ。
 東京都以外の県庁所在地のところはみんなそうなっているのだけれど、しかし東京には、「東京市役所」というようなものがないのだ。東京には、バブルでケバケバしい超高層の都庁と、それから病院みたいな外観を持った区役所というのが二十三あって、「東京市役所」というものがない。その昔には、東京も「東京府」と「東京市」の二つに分かれていたのだけれども、日本とアメリカが戦争をやっていた太平洋戦争の末期に、それがなくなってしまった。
「大東亜の聖戦を完遂かんすいするためには、大日本帝国の首都である東京をもっともっと強化して、一大司令部としての機能を持たせねばならない」という理由で、「東京市」というものは廃止されてしまったのだった。東京都の中で〝点〞に近かった東京市はなくなって、色鉛筆を持てば塗り絵が出来るぐらいの規模に広げられて、ここに東京二十三区という特別区が作られてしまったのだった。
 たとえて言えば、日本中の「市」というものは、緑の田んぼや畑の海に浮かぶ島のようなもので、東京市というのも初めはそういうものだった。それが、第二次世界大戦の最中に、東京市という島は、周りの海をゼーンブ埋め立てて、島から「大陸」に変わってしまっていたのだった。
 他の県の市は「島」だから、外へ広がって行くのは大変だけれども、東京はゼーンブを「地続きの大陸」にしてしまったから、いくらでも外側に侵略して行くのが可能になった――というようなものだった。
 それでまた、東京のある関東平野というところが、途中に山のない日本で一番だだっ広い沖積ちゆうせき平野だったということもあったけれども、周りの田んぼの海を埋め立てて全部を「都会の一部」という陸地に変えてしまった東京都は、その勢いのまんま、隣りの埼玉県や千葉県や神奈川県の県境まで侵略してしまって、そこを全部「首都圏」という大帝国に変えてしまったのだった。
 東京に住んではいても、でもそのまんまじゃ暮して行けないような人達はいっぱいいて、そういう人達はチバやサイタマやカナガワの新天地に移民に行って、そこを大東京帝国の植民地に変えて行ったのだった。
 戦争中の満州帝国は建国に失敗したけれども、戦後の大東京帝国は見事に成功して、「五族協和」の旗の下にメザマシイ繁栄を誇っていたのだった。(ちなみにその「五族」とは、都内族・都下族・神奈川族・千葉族・埼玉族の五つを言う。きっと試験には出ないから、覚えても無駄な努力にしかならないであろう)

 だから、東京と比良野市を比較するのなら、東京都全体が「比良野市」に当たって、東京と神奈川と千葉と埼玉と、それからヘタすりゃ群馬と茨城と山梨までも含んだ、〝首都圏〞という広大な地域が「平野県」に当たるのだ――ということを考えなければならない。(「すいません栃木県も首都圏に入れて下さい」と、今栃木県出身の編集者が言った)
 そんなムチャな比較は、ほとんど「象もウサギもおんなじ哺乳類だからおんなじ大きさだ」というような比較とおんなじで、意味なんか持てない。そういう膨大な大きさの差なんていうものは、普通の人間にはまずピンと来ないもんだから、日本全国の有名な県庁所在地の都市の親玉連中は、そういう〝広さの違い〞を考えないで、平気で東京と張り合ったり、「東京レベル」とかいうことを口にしてしまうのだった。
 だからその結果、新宿と渋谷の間に〝海〞や〝山〞や〝飛行場〞や〝埼玉県〞を平気でブチ込んでしまうという、とんでもないシュールな大都市が日本の各地に出来上がって、そこの市長さん達に、「まだまだ東京に及んでない!」という、不思譲な妄想的競争心を植えつけてしまうのだった。
「志附子湾を埋め立ててしまえ!」と言う、「都心」と「ウォーターフロント」とジュリアナ比良野と比良野国際空港を持つ――そしてついでに比良野のウォーターフロントには今はやりの白いベイブリッジもあったのだが――千州最大の都会比良野市の市長・辰巻竜一郎たつまきりゆういちろう(五十五歳・イケイケ)も、そういうオッサン市長の一人だった。

第三章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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