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【試し読み】橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』第一章全文公開

来る9月24日(金)、橋本治さんが生涯をかけて挑んだ小説『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』が刊行されます。架空の地方都市を舞台に、戦後から平成に到るこの国の普通の人々の意識を描いた未完の大長編です。本書の刊行を記念し、第一章「なに考えてんだ?」を全文公開します。


『人工島戦記』あらすじ
千州せんしゅう最大の都会である比良野ひらの市では、志附子しぶし湾を埋め立てて「人工島」を作る計画が着々と進んでいた。それを知った国立千州大学二年生のテツオ(駒止鉄生こまどめてつお)とキイチ(磐井生一いわいきいち)は、すでにある市民運動に共感することが出来ず、新しい反対運動を立ち上げる。彼らにとって唯一ピンと来るのは、「人工島? そんなのいらないじゃん」という、そのことだけだったのだ。


第いち部 低迷篇

第一章 なに考えてんだ?

 昭和の三十年代というのは、とんでもない時代だった。
 オヤジは野蛮人で、子供は単純で、カミサンはわめき散らし、お姉さんはオドオドと引っ込み思案で、若い男はなんにも考えてなかった。
 地面は江戸時代のまんまの泥だらけで、オッサンは金歯き出しのまんまステテコで外を歩き、ツギの当たったズボンを穿いたガキは親指の先に穴のあいた運動靴を履いて平気で学校へ行き、家へ帰って来ると、「お姉さーん、ボクのゲタどこやったー?」と怒鳴った。
 カレーライスに平気でソースはかけるし、夏になるとバーサンはしなびたオッパイをブラブラさせたまんま庭をほっつき歩いて、ジーサンはまだ日露戦争のことを覚えていた。人工衛星が地球の周りを回っているのに、外国へ行く飛行機はまだプロペラをブルンブルンと回して平気で空を飛んでいた──よく平気で空なんか飛んでいたもんだ。
 日本人はまだ貧乏で、引っ越しになるとどっかからリヤカーを借りて来て、手で引いて人力輪送をしていた。
 そういう人間が「未来」とか「二十一世紀」とかいう言葉を口にするなんて分不相応ぶんふそうおうじゃないかと思うんだが、困ったことに、ステテコを穿いたオッサンも穴のあいた運動靴を履いたガキも、「未来」という単語を知っていた。
「未来」というものは、「土埃つちぼこりと砂煙の向こうでロボットが空を飛んでいる」というもんで、生意気なガキは一本五円の綿菓子さえ買ってもらえないくせに、「未来」という言葉を聞いただけで「スゲェ」と言った。
「未来」と言えば、ブルドーザーだった。しかし、日本中の山野をブルドーザーが砂煙を上げて走り回っている、というわけではなかった。日本はまだ貧乏で、ブルドーザーなんかはそんなになかったからだ。
 日本人は、日本中の山や野をブルドーザーが走り回って、日本中が巨大なコンクリートの塊になってしまう遠い未来を、一杯十五円の氷イチゴのサジを口にくわえたまんま、脳味噌をキーンとさせて考えていた。
「未来」と言えば百年ぐらい先の話で、なんでそんな計算が出来たかというと、百年前はまだ江戸時代だったからだった。
「百年前が江戸時代だったんだから、百年分の進歩はせいぜいブルドーザー三台分ぐらいで、だとしたら、日本中が高層ビルの塊になってそこに高速道路がウネウネ走ってヘリコプターが飛び回るようになるには、きっとまた百年ぐらいかかるだろう」と思っていたからだった。
 日本にはまだ、「環境保護」などという言葉なんかなかった。「環境」といえば、床屋の壁にぶら下がっている許可証に書いてある、「環境衛生法」という文字だけだった。床屋の前のドブからは平気で銀バエが飛び上がっていたから、それでいいのだった。
 まだ下水道というのはなくて、水洗便所もなくて、日本中の便所は汲み取り式で、しかしだからといって、日本中をバキュームカーが走り回っているというわけでもなかった。日本はまだ貧乏だったので、バキュームカーなどというものがそんなになかったからだ。環境衛生法が「消毒」という科学思想を広めようと努力している横では、オワイ屋のオジサンが、銀バエの大好きな臭い臭いウンコやオシッコを、大きなヒシャクで汲み取って、それが入ってタッポンタッポンと鳴る木のおけを、リヤカーに乗せて運んで行くのだった。
 リヤカーを引くのは馬だった。液状になった人間のウンコやオシッコがこぼれて行った道には、だから一緒に、ワラを主成分とする馬のウンコも落ちていたのだった。道はまだ舗装のされていない泥の道だったので、放っときゃそのまんま道にしみ込んで、すべてはどうってことないのだった。
 自然は人間の住む世界の至るところにあって、人間はまだほとんど自然のままだったので、「自然破壊」などという言葉もなかった。汲み取り便所を使っている人間には、まだ自然を破壊するだけの力がなかったからだった。
 そこで、寝苦しい夏の夜に木の雨戸を閉めたまんまの暑苦しい部屋の中にカヤを吊って寝ようとしていたけど寝られないまんまウチワでパタパタ体をあおいでいた野蛮な汗っカキのオジサン達は、ブタの吐き出す蚊取り線香の匂いをかぎながら、「ああ、なんとかして自然破壊をしたいなァ」と、鉄とセメントによる文明の力を待ち望んでいたのだった。
 まだ日本には石油コンビナートなどというものが一つもなくて、プラスチックもなかった。エアコンもなくて、いくら暑くても雨戸を開けっ放しで寝れば泥棒が入って来るし、蚊は一杯いるし、テレビを持っている人はほんの少ししかいなかったし、たとえ持ってたって夜の十一時を過ぎたらテレビなんかやってないので、ヘンなことを考える余地だけはいくらでもあったのだった。
 文明というのは、ほとんど預言者モーゼの起こす奇蹟の力とおんなじようなもんで、海を割り、山を崩し、どこまでもどこまでも続くコンクリートと鉄の家が出来上がることだった。
 工業と言えば石炭で、臨海工業地帯という文明の成果を持つことが出来た日本の都市の市長さん達は、煙突から毎日青空に向かって立ち上って行く黒い煙を見ては、「ああ、嬉しい、ああ、誇らしい」と胸を張った。
 日本に「都市」と呼べそうなものはまだ八つぐらいしかなくて、その内の一つの京都なんかは木造家屋しかなくて、工業と言えば「機織はたおり」のことだったから、「都市」と言えばもうそれだけで「未来」で、「臨海工業地帯」という漢字だけの言葉には、ほとんど「戦艦大和」ぐらいの迫力があった。
 しかし迫力のわりには実力がなくて、煙突から吐き出される煙は、うっかりするとすぐ弱くなって、青空に負けてしまいそうだった。臨海工業地帯のあるところの市長や町長や村長や県知事や府知事は、「ああ、空がもっと灰色にならないかなァ、煙がもっとモクモクと出てないと迫力がないなァ、煙突から煙が出ていないところはすぐに借金取りがやって来るから、もっともっと煙だらけにしなくちゃいけないなァ」と、空をあおいでは考えていた。ススと機械油で顔を汚すと、町のアンチャンは誇り高い「労働者」というものになれたので、石原裕次郎のタイヨー族を「カッコいいなァ」と思っていた町のアンチャン達は、脇のゆるいランニングシャツの下であばらの浮いた薄い胸を張って、「もっと汚れたい!」と思っていた。
 土産物屋があって人が一杯いる「名所」というところ以外では、自然というのは「文明のない貧乏」ということだったので、日本中の頭のいい人達は、みんな競争して、自然を破壊し人間の力を愚かな自然の上に確立する方法を考えていた。
「工業地帯は、やっぱり臨海工業地帯がいいなァ」というのが、その最初の結論だった。
「海があると、外国から、イキなパイプをくわえたマドロスさんをいっぱい乗せた貿易船もやって来てくれるし、工場から出る汚い水もすぐに海に捨てられるしなァ」と思っていたからだった。山の中には熊とイノシシとキコリと猟師しか住んでいなくて、さすがに山賊とか野武士は絶滅してしまっていたけれども、「山の中に工場なんか作ってもしょうがないしなァ」と、「未来は海の向こうからやって来る」と考えているオジサン達は、思っていた。
 しかし、海というのは砂浜で、砂浜に大きな煙突を立ててもすぐに倒れてしまうということは、幼稚園のお砂場に行けばすぐに分かった。海の水と言えば塩水で、砂浜の砂をセメントに混ぜてコンクリートを作ると、中に使う鉄筋がびてダメになってしまうので使えないということは、さすがに専門家なら知っていたので、「こういうものは工業に使えない」と思った。
「使えないなら、砂浜ぐるみ海を埋め立てちゃえばいいな」と思った。
「日本人は魚ばっか食ってるから貧乏臭くなって頭が悪いんだ」と信じているオッサンは、いくらでもいた。信じてなくても、そう言われると、「うーん、そうなのかァ……」と、科学的な合理的知識の前に平伏ひれふしてしまうのだった。
「海を埋め立ててしまえば、日本人は肉を食ってアメリカ人やヨーロッパ人のように科学的なものの考え方をするようになって、きっと頭がよくなる」と信じていた、科学と未来と工業とコンクリートと四角いものが好きなオッサン達は、一生懸命ゴミを貯めようとした。
 山を崩して海を埋め立ててもいいのだけれど、まだ日本は貧乏だったので、山を切り崩した土を運ぶだけのダンプカーが、そんなになかった。それで、毎日出て来るゴミを海に捨てて、それで海を埋め立ててしまえばいいと思った。「それはなんという素晴らしい思いつきだ。やっぱり日本人は頭がいい」と、自分はステテコを穿いているくせに科学と未来と工業とコンクリートと四角いものが好きなオッサン達は、ひざを叩いた。
「それはいい、それは一石二鳥だ」と、天井でユラユラ回る扇風機の風の下で汗を拭き拭きパタパタと扇子を使っていたオジサン達は思ったけれど、しかし残念ながら、日本人はまだ貧乏だったので、海を埋め立てられるほどのゴミをそんなに出せなかった。
 リンゴは芯まで食べて、それでも剝いた後の皮を見ては、「もったいないなァ……、食べられないかなァ……」と思っていた。ハナをかむ時でも、四角く切った新聞紙をグチュグチュと揉んで柔らかくしてから「チーン!」とかんで、鼻の頭を黒くしていた。一ぺんハナをかんだ後の新聞紙でも、開いて乾かしてしまえばまた使えると思っていたので、日本人の家庭からはまだあんまりゴミが出なかった。
 タマゴの殻はてーねーに植木鉢の縁に並べられていたし、使った後のお茶の葉は畳の上にまいてお掃除の役に立てていたし、生ゴミはみんな庭に埋めて肥料にしていたし、暖房用の練炭れんたんの灰や炭俵すみだわらは、冬になって霜柱が立った後の道がドロドロになった上にまいたり敷いたりするためにとっておいたので、ゴミはそんなに出なかった。
 国のエライ人と会社のエライ人は集まって相談をして、「そんなにケチケチしてゴミを出さないでいると、諸外国の人達の手前カッコが悪いから、これからはもっとドンドン燃えないゴミを出すようにしましょう」と言って、燃えないゴミを作るための石油コンビナートを作る計画を進めた。
 それまでの日本には、「燃えないゴミ」というものがなかったのだった。「燃えないもの」はゴミじゃないので、ゴミになったものはみんな燃やして、焼却場の煙突から新しい種類のガスを出していた。
 新しく発明されたポリエチレンの袋は、一枚一円もしたものだから、それを「もったいない」と思ったオバーサンは、一ぺん使ったポリエチレンの袋を洗って、何べんも何べんも使った。何べんも洗って小さな穴がいっぱいあいてしまったポリエチレンの袋は子供にあげて、子供はそれを水遊びのジョーロのかわりに使った。何べんも洗ったポリエチレンの袋に水を入れると、不思議な感じにいろんなところから水がって、ジョーロみたいに見えるのだった。頭のいい子は、使い古したポリエチレンの袋に水を入れたのを木の枝につるして、「シャワーだ!」と言った。
 日本中は、発明と発見と科学の心にき立って、「もっと大きな臨海工業地帯が出来ないかなァ。もっと大きな煙突から黒い煙がモクモクと一杯出ないかなァ」と、ブルドーザーが走り土煙が上がり、ゴミが海を埋めつくすぐらいに一杯出る、素晴らしい工業の未来が来るのを胸を躍らせて待っていた。中には時々ゴホンゴホンと咳をするオバーサンもいたのだけれども、そういうオバーサンは文久ぶんきゆう元年の生まれだったりもしたものだから、「まだ生きてるのが不思議だ」と思われていた。
 ゴミは出なくてもダンプカーがなくても、失業している人の数だけは一杯あったから、そういう人達に仕事をあげるためにも、海は埋め立てた方がよかった。オジサンやオバサンは、モッコという江戸時代のかごのようなものに泥を入れて、人力でかついで運んだのだった。
 昭和の三十年代に、日本人は「よいしょッ!!」という掛け声をかけながら、一生懸命海を埋め立てていたのだった。
「このまんま行けば日本の領土は二倍になるかもしれない」と、崩しがいのある富士山を眺めて考えていた小学生だっていた。
 科学は万能で、どれだけムチャなことを考えられるかが、科学者の使命だった。科学者はムチャなことを考えて、まだ貧乏だったからエネルギーがいくらでも余っていた野蛮なオッサン達は、「ムチャなことをするのが男だ!」と信じていた。
 いくらそういうことを考えても、まだそれを具体的にやれるだけの力というものはなかったから、まだ誰も、「そんなムチャなー」とは言わなかった。「ムチャだー」と言うかわりに、「それが出来たらスゲェなー」と思っていたので、男のカイショーとでっかい夢を誇りに思う、科学と未来と工業とコンクリートと四角いものが好きなステテコを穿いたオッサン達は、いくらでもムチャクチャなことを考えていた。
 東京を遠く離れた千州せんしゆう比良野ひらの市でも、というわけで、もう昭和の三十年代の初め頃から、「目の前にある志附子しぶし湾を半分ぐらい埋め立ててしまおう」ということを考えているオジサン達がいたのだった。

橋本治(はしもと・おさむ)
1948年東京都生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。大学在学中よりイラストレーターとして活躍。77年「桃尻娘」が小説現代新人賞佳作入選。以後、小説、評論、戯曲、古典の現代語訳等幅広く活動する。96年『宗教なんかこわくない!』で新潮学芸賞、2002年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞、05年『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞、08年『双調 平家物語』で毎日出版文化賞、18年『草薙の剣』で野間文芸賞受賞。2019年1月29日逝去。享年70。

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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