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橋本治『人工島戦記』#2 そんで?

橋本治さんが生涯をかけて挑んだ小説『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』が刊行されました。架空の地方都市を舞台に、戦後から平成に到るこの国の人々を描いた大長編は、未完ながら、A5判2段組みで1,376ページ。圧巻のボリュームです。

刊行後の反響のなかに、「興味はあるものの、読み通せるだろうか」という声が少なからずありました。その杞憂を晴らすべく、先行公開した第一章に続き、第二章から第八章まで、毎日一章ずつ試し読み公開します。(第一章から読む


『人工島戦記』あらすじ

千州せんしゅう最大の都会である比良野ひらの市では、志附子しぶし湾を埋め立てて「人工島」を作る計画が着々と進んでいた。それを知った国立千州大学二年生のテツオ(駒止鉄生こまどめてつお)とキイチ(磐井生一いわいきいち)は、すでにある市民運動に共感することが出来ず、新しい反対運動を立ち上げる。彼らにとって唯一ピンと来るのは、「人工島? そんなのいらないじゃん」という、そのことだけだったのだ。


第いち部 低迷篇

第二章 そんで?

 平野ひらの県の県庁所在地である比良野市は、千州最大の都会で、東京の新宿区と渋谷区を合わせたぐらいの大きさがあった。
 南には広い印度灘いんどなだに続く志附子湾、北には善隣山ぜんりんざん井桁山いげたやまの緑を持つ比良野市は、千州最大の都会でありながら、豊かな自然に恵まれたところでもあった――ということは、東京の新宿区と渋谷区に、山があって海があるというような、そんなとんでもないようなロケーションを持った〝大都会〞だったということだった。
 たとえば、渋谷の109で買物をした後でちょっと代官山に寄ると、そこがもう海だということだった。比良野市内の井桁山という丘みたいな山のふもとは広々とした「比良野国際空港」になっていたが、それは、新宿から山手やまのて線で二つめの早稲田大学のある高田馬場が、もう羽田の「東京国際空港」になっているようなものだった。
 近代的なオフィスビルや流行の最尖端を行くファッションビルの立ち並ぶ五軒町ごけんまちは比良野市のメインストリートで、そこからちょっと行くと千州最大の歓楽街――ふぐと比良野ラーメンとハモ鍋で有名な笊座ざるざがあって、その辺りは新宿の新都心から歌舞伎町の感じだったが、五軒町にJRの駅はなかった。比良野市の表玄関である、新幹線の停まるJR比良野駅は、笊座から二キロほど離れたところにあった。
 ということは、新宿の新都心からぶらぶら歩いて新宿御苑の方に行くと、新宿御苑のところに東京駅が立っているというようなものだった。
 新宿から山手線に乗って代々木、原宿、渋谷と行くと、そこら辺はずーっとオシャレな若者の街なのだが、比良野市でそんなことをしてしまうと、渋谷の辺がもう埼玉県の川越になってしまっているという、そんな狭さだった。東京だと南青山とか西麻布とかいうような辺が、比良野市だと、もう「郊外」になって、青々としたそこの竹ヤブでは、春になるといい竹の子が取れた。
 山手線の高田馬場から渋谷までの間に、横浜から千葉までの距離が収まってしまうようなシュールな地方都市が、千州六県に君臨する人口百十万人の大都会比良野市なのであった。

 比良野市はオシャレな大都会なので、千州に住む人達の憧れのまとだった。休日になると、千州の人はみんな車を飛ばして、比良野市の「ウォーターフロント」や、「都心」に遊びに来た。
 二十階以上の高層ビルのない比良野市では、高層ビルがないとどうしても大都会にならないので、それがほしさに、十年前に志附子湾の一部を埋め立てた後に、「ウォーターフロント」を作ったのだった。
「ウォーターフロント」には、百五十メートルの高さのある比良野タワーと、高層マンションと、どういうわけか、屋根つきの比良野コロセウムという野球場まであった。千州縦貫道せんしゆうじゆうかんどうを通って比良野までやって来た人達は、この比良野コロセウム――略して「ヒラコロ」もっと略して「ヒィコロ」まともに略すと「コロセ」――に来て、野球のやってない時には、レーザー光線を使った屋根の開閉ショーを見るのだった。
 比良野市役所の人達や比良野マスコミの人達や比良野財界の人達は、いつの間にかジュリアナ比良野やファッションビル・チチカカ21のある五軒町の辺を「都心部」と呼ぶようになっていた。「市心」だときっとヘンなのだろう。
 そこで、比良野市役所の人達や比良野マスコミの人達や比良野財界の人達は、比良野市を、平野県の県庁所在地ではなくて、「県都けんと」と呼ぶようになっていた。スーパーマンはクラーク・ケントと名乗って、普段はデイリー・プラネット社の新聞記者になっていたが、それはこの際関係がなかった。
 要するに、比良野市の人達は、「比良野は千州最大の都会だから、千州の東京だ」と思っていたのである。だから、高田馬場から渋谷までの間に、東京駅と羽田空港と埼玉県とウォーターフロントをブチ込んで、ちっともヘンだと思わなかった。テレビのチャンネルだって民放が五つもあったし、テレビ東京系の深夜番組だって映ったので、誰も比良野を「地方」だとは思わなかった。
 どうしてこういう不思議なことになるのかという話を、本篇に入る前にしておかなければならない――。

第二章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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