見出し画像

第11回 アラン・ドロンの陰。レナウン「ダーバン」、アル・パチーノ、〈ハンサム〉の時代をふりかえる 姫野カオルコ「顔を見る」

幼い頃から人の顔色を窺うと同時に、「顔」そのものをじーっと見続けてきた作家・姫野カオルコ。愛する昭和の映画を題材に、顔に関する恐るべき観察眼を発揮し、ユーモアあふれる独自理論を展開する。顔は世につれ、世は顔につれ……。『顔面放談』(集英社)につづく「顔×映画」エッセイを、マニアック&深掘り度を増して綴る!
[毎月第4金曜日更新 はじめから見る



 〈ハンサム〉ということばが、オカシくなかった時代があった。

 現在(2024年)、男性の容姿に対して〈ハンサム〉という形容詞は、まず使われなくなった。
〈イケメン〉に変わったようである。

 〈イケメン〉が『現代用語の基礎知識』に収録されたのは2000年だが、『広辞苑』を出している岩波書店の女性編集者が、1992年に、好みの男性のタイプについて「ハンサムなんだけど雰囲気はバンカラな人」と言うので、「ハンサム? バンカラ?」と私が返し、「え、もしかして死語?」といったような雑談をかわしたことがあったので、1992年の時点ですでに、〈ハンサム〉ということばは、あまり使われなくなっていたと思われる。

 〈ハンサム〉の前は〈二枚目〉〈美男子・美丈夫〉〈男前〉あたりか。

 が、これらは現在でも、使ってオカシくはない。というのも、日常会話ではこれらを使う人があまりおらず、書きことばでの形容詞と化しているのに近いからだ。

 〈イケメン〉は造語である。といっても、〈二枚目〉も、もとは歌舞伎で使ったことばだから、これも造語の一種になるのか。

 〈ハンサムhandsome〉については、《形容詞・男に対しても女に対しても、物や動物に対しても用いる。男に対して用いるときはgood-looking(見目かたちがよい)の意味》というようなことが、いくつかの英和辞書にある。

 ともあれ、
・顔が整っていて、
・長身(すごく長身でなくとも、そこそこに長身も含む)で、
・痩躯(これはマスト)な体型、
 の男性を、〈ハンサム〉と形容した時代が、日本ではけっこう長かった。

 この時代、〈ハンサム〉の代名詞だったのが、アラン・ドロンである。

 2024年現在、アラン・ドロンを知っている*日本人は多いのか少ないのか? 見当がつかない。
 *知っている=名前と顔が一致して、出演作のポスターや写真をウェブなどで見たことがある*

 とりあえず知らない人のために、フランス人の俳優だ、とだけ言っておく。

 1970年、1971年ともに、当時はもっともポピュラーだった映画雑誌『スクリーン』の人気投票で第1位の座に輝き、70年代は他の年でもベスト10内にいた。『スクリーン』に対抗して1972年に『ロードショー』が創刊されたが、その人気投票でも、ほぼ同じような結果であった。

 フランスの俳優が人気第1位が示すように、当時('65~'75くらい)は、フランス映画の人気が高かった。その少し前の'50~'65はイタリア映画も双璧で人気が高かった。だからイタリア人俳優のジュリアーノ・ジェンマが、これまた人気投票で高位だった。

 現在もヨーロッパ映画の人気はあるが、「たとえばアキ・カウリスマキ監督の映画をミニシアターに一人で見に行くような人」に人気があるのであって、映画を見てお食事といった「よくあるデートコース」では選ばれない。

 だがアラン・ドロンが〈ハンサム〉の代名詞だった時代、内省的なフランス(やイタリア)映画が、まるで『美女と野獣』や『ミッション:インポッシブル』のように大きな映画館で上映され、そこで映画を見て、そのあと銀座(など)でお食事するのが、「よくあるデートコース」だった(ようである。筆者自身は当時中学生なので、駅前スーパーの食堂でのデートもできない。後年に、自分より上の世代から聞いた)。

 そんな時代の〈ハンサム〉の代名詞が、アラン・ドロンだったのである。

 そんな時代のピークを過ぎてしまってから、ホテル『アランド』はできたような記憶があるが、こんなヘンな名前のホテルにしたのは、経営者(命名者)がピークを知っていた世代だったからなのではないだろうか。

 食事のさいに、ちょっとお酒を飲む娘さん→ぽーっとなる→アランドという文字が、なんだかステキな気分にさせて→入ろうよと言われるとOKする……という流れを見込んで名前をつけたのかなあ、令和の娘さんは、アラン・ドロンを知らないから、こんなテは通用しないだろうなあ、などと想像する。

 アラン・ドロンとは無関係の命名かもしれないが、繁華街を歩いている時、あのホテルの看板が目に入ると、少なくとも私は、どうしてもアラン・ドロンを思い出すのである。

 アラン・ドロンという俳優を思い出すというより、〈ハンサム〉ということばがオカシくなかった時代●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●を思い出すというか。

 好きに映画を見たり、好きに本を読んだり、好きに電話したりできることを自由な身とするのであれば、この時代の大半を、他の多くの人のように、私も不自由な身で過ごしていた。

 憎いみうらじゅん(※)のように、大都市在住で明朗な両親のいる家庭に育った人でないかぎり、多くの人は、小さな地方の町に住み、暗い家で育つので、だからこそ『スクリーン』も『ロードショー』も、TV洋画劇場の放映予定を、写真付で表にしたり、見どころを紹介したりして、詳しく教えてくれていたのである。

 といっても、TVは家屋に一台の時代だから、エロがかったシーンの多い映画も、家族の目のある部屋で見ざるを得ないから、みなさん、苦労されていたことと想う。

 「まったく今の若いもんは、スマホで無修正のハダカを見て、意中の女子にダイレクトにLINEしやがって、だから堪え性がないんだ。仕事のコツを教えてやろうと親切にしても、パワハラだとか言いやがる」

 などと、顔が当時より1/3くらい小さくなった今の若者に、理屈の通らぬ文句の一つも言いたくなろうが、当時の不自由な状況ゆえに燃えたエロ欲(ロマンチスト向きには、ときめき欲に換言)の充実感も、あったじゃないかと、同世代同不自由の身出身者としては励ましますよ。

 あの時代、今からすればふしぎなことがいくつかあったが、アラン・ドロンがらみにしぼれば、胸毛とナタリー・ドロンである。

 胸毛については後述するとして、先にナタリー・ドロンのふしぎを。
 アラン・ドロンには交際した(性交した?)女性、同棲した女性が、何人もいたが、唯一、入籍したのがナタリーだった。

 籍については「たまたまだろ」と思うにすぎないが、『スクリーン』と『ロードショー』の女優人気投票結果に違和感をおぼえる。ものすごく人気が高いのだ。『ロードショー』1973年5月号では第2位!

 1位のオードリー・ヘプバーン、3位のカトリーヌ・ドヌーヴという、令和6年のヤング&オールドの両世代もよく知った名前に挟まれて、なぜナタリー・ドロン?

 いや、すてきな女優さんですよ。ほうれい線が深くてシックなルックスですよ。でも、当時でさえ、彼女の出演映画のタイトルを挙げられた人がそんなにいたようには、どうも私には思われないのだが。元妻('69離婚)を人気投票で第2位にしてしまうくらい、アラン・ドロンの人気が高かったということなのだろうか?

アランとナタリー・ドロン、写真で振り返る美しきカップル。(フィガロジャポンのサイトより)

 アラン・ドロンの顔は、むしろ現在のほうが、すぐに見ることができる。

 彼が〈ハンサム〉の代名詞だった時代には、「映画が好きな人」「映画に関心のある人」しか顔を知らなかった。

 むろん、ポスターで、週刊誌で、写真を「見かけた」ことのある人はとても多かったはずなのだけれど、私が通っていた中学高校の先生・生徒のように「ガイジンの顔は区別がつかへん」と言う人も、全国規模でとてもとても多かったはずなのだ。

 アラン・ドロン(でも他の俳優でも)という人名を口にしたさい、相手が「顔がわからへん」からといって、『スクリーン』も『ロードショー』も教室にあるわけではない。

 当時の、「映画が好きな人」であった中学生の私は「なんで区別がつかへんにゃ」と心中でハラをたてていたが、現在の私は、整形大国韓国のアイドルの顔の区別がてんでつけられないので、こういう感じだったのかと、今は反省している。

 と同時に今なら、手元で《アラン・ドロン 若いころ》で検索すれば即、「顔がわからへん」と言う人に顔を示すことができる。

 アラン・ドロンの顔。
 枯れた老年になった目で、冷静に彼の顔を見れば、目鼻だちが整っているという点では(=整人度は)、ポール・ニューマンのほうが勝っている。笠智衆のほうが勝っている。

 ドロンの顔は、絵に描くなら、下まぶたに、下睫毛を細ペンでちょんちょんと描きたくなる顔、である。

 そばにバラの花を添えるか、バストアップ画像をぐるっと花びらで囲みたくなるような顔、である。

 甘いマスクなのである。

 この甘さが、整人(銀行のATM画面に出てくるような、似顔絵の描きにくい、特徴なく整った造作)を一発でノックアウトして、「ンまあ、ハンサム」と、ヒトに感じさせる●●●●●のである。

 だが陰がある。
 まさにニーノ・ロータ作曲の『太陽がいっぱい』のメロディラインを「顔化」したような顔をしている。

 先のナタリー・ドロンと結婚して渡米したが、彼がハリウッドで成功できなかったのは、監督が明るく撮りたいのに、彼の顔に差す陰が邪魔したせいだ。と、日本の片隅に住む一般人が断言しても多数の同意を得られるはず。

 アル・パチーノの顔にも陰があるが、彼は幸運なことに、暗黒街を背景にした映画に、デビュー早々に出演できたので顔の陰をばっちり活かせていけた。

 アラン・ドロンの場合、アル・パチーノより5年年長なので、ハリウッドがまだ、〈ハンサム〉には明るい映画をわり当てるのが王道だった時代、に在米していたのと、パチーノより背がずっと高く、目の色が青いのとで、WASP的な役でもいけるとふまれたのか、顔の陰を活かせずじまいに終わった。

 アイビー・リーグ卒のスポーツマンタイプの〈ハンサム〉をぼくに求められても困ると、本人は気づいて(たぶん)さっさと帰国したわけであった。

 ではここで、ドロンがらみのふしぎの、もう一つ。胸毛についてだ。
 当時は、男性にとって胸毛があることが「いいこと」だった。

 胸毛のある男性が、女性に(セックスするような関係の相手として)、じっさいに好かれていたかどうかは不明だが(中高校生だったので)、ショーン・コネリーの『007』が大ヒットして、チャールズ・ブロンソンの汗臭さとヒゲが瞬間的に大人気だった時代ではあった。

チャールズ・ブロンソンの立派なヒゲ(IMBbより)

 胸毛(やヒゲ)は、男性のたくましさ(スポーツマンタイプとかいう類も含める)を象徴するものだったのだろう。

 『スクリーン』『ロードショー』には、筋肉を鍛える道具である「ブルワーカー」の広告がよく載っていた。

 ひよわで白いことを、夏の海辺でクスクスと女性たちから笑われていた「ぼく」が、この道具を使って鍛えた結果、女性たちにモテモテになりました、という、日ペンの美子ちゃんふうの漫画が挿入されたこの広告で、道具を推薦しているのは白人の青年(1970年代)だった。

 「たくましい白人(のスポーツマン)」のような外見が〈ハンサム〉だとする価値観だった時代ならではの「負け惜しみのセリフ」が、私は忘れられない。

 やはり『スクリーン』か『ロードショー』で見たセリフである。
 寄稿エッセイではなく、読者と編集部をつなぐおしゃべりコーナーみたいなところだったと思う。

 編集部側の男性が、自分が「たくましくない」ことをコミカルに(おしゃべり調に)書いていて、《フーンだ。アラン・ドロンだって胸毛はないもん》としめくくっていたのである(正確ではないが、このようなことを)。

 胸毛が「いいこと」だった時代でしか通じない「コミカル」であり、しめくくりなのだが、しかし、アラン・ドロンに胸毛があったら、上半身裸のシーンの多い『太陽がいっぱい』の成功はなかったような気がする。たかが胸毛だが。

 アラン・ドロンの顔に差す陰、これと胸毛は、塩だけで焼いてレモンをかけた白身魚にボルドー・ワインを合わせるようなものだっただろう(※)。

 あの陰が差しているから、若くなくなってもノワール映画にまり、長く人気俳優としてフランスで活躍できた(アル・パチーノがそうであるように。逆にトロイ・ドナヒューが若くなくなると人気凋落してしまったように)。

 彼の顔に差すあの陰を、「卑しい」とか「育ちが悪い感じ」などと評する人もいた。

 まさに『太陽がいっぱい』のトム・リプリー。裕福な家に何不自由なく育ち、働く必要もないフィリップ・グリーンリーフに憧れ愛し妬み憎む、貧しい家に育ったリプリーの役は、彼の顔に差す陰あってこそ。

 幸運な俳優であった。だって、パチーノしかり、俳優の幸運は、骨についた皮であるに「ばっちり」な役にめぐりあうこと。ヴィジュアル表現である映画の場合、ルックスが合う・合わないという、演技力ではいかんともしがたい、演技力の前段階での、合う・合わない、があり、その合う役に、めぐりあえない俳優が大勢いるのだから。
 
 〈ハンサム〉の時代に、不自由な環境にあった中学生の私は、アラン・ドロンの映画を、憎いみうらのように映画館で見ることはできなかった。

 先述のとおりTV洋画劇場だけが頼みの綱だが、せっかく放映されても見られないこともよくあった。

 家の人が在宅している時間というのは、しゃべるとか笑うとかしてはならず、すべては家の人の命令どおりに動かないとならないからだ。

 このあたりのことはアラン・ドロンから逸れるし、綴ったところでほとんどの人を困惑させるだけだろうから省くが、それでもTVで放映される映画を見られるチャンスは、「家の人が二人とも外に勤めに出て、勤め先からもどってもまた用事ができて外出することのよくあった家の一人っ子」だった私には多かった。

 『お嬢さん、お手やわらかに!』『太陽はひとりぼっち』『世にも怪奇な物語』『地下室のメロディー』『太陽がいっぱい』を見たが、鑑賞環境を、優良可の3レベルで分けると、

〈可〉TVのある部屋に家の人もいるときに、食器洗いなどをしながら見る
〈良〉TVのある部屋には一人だが、すぐ隣室に、客に対応する家の人がいて、頻繁に用事をいいつけられながら見る
〈優〉部屋に一人ではなく、家の中に一人の状態で見る
 である。

 〈レベル良〉で見られたのが『世にも怪奇な物語』、〈レベル優〉で見られたのが『太陽がいっぱい』だったので、この二作に、自己評点★の数は多かった。

 脚本といい音楽といい撮影といい、『太陽がいっぱい』は名作であるが、成人後に見直しているので、不自由下で見た他の作品と比べるのはフェアではない。

 むしろ、〈レベル可〉で見たのに、『太陽はひとりぼっち』が映像と音楽(※)と雰囲気が印象的だった。共演のモニカ・ヴィッティのファンにもさせられた。

 また、〈レベル良〉で見た『世にも怪奇な物語』は、オムニバスの1話のみの出演だが、私がアラン・ドロンの顔から期待する役柄(トム・リプリーよりも期待する役柄)だったので、とても満足した。ドレスを脱ぐ(シーンが少しある)ブリジット・バルドーの、くやしさをこらえた表情も色っぽかった。

 トリビアコメントとしては、重要な設定の部分が、小学生の時に読んだ(つまり、この映画の日本公開年のころに、都会では公開されているとも知らずに読んだ)青池保子先生の漫画『黒ばらのほほえみ』(『なかよし』の別冊付録)と同じだったこと。

 エドガー・アラン・ポー原作の映画なのだから、漫画にも同じ設定があっても、おかしなことではないのだが、田舎中学生としては、「なぜ、ワタシが小学生の時に読んだ日本の少女漫画と、フランス映画が同じなの??」と、訊くのに適当な大人もそばにいないため、一人でびっくりしていたものだった。

 ほかにドロンの映画は、ロードショー公開時に映画館で見たものが、実は一本ある。

 カトリーヌ・ドヌーヴと共演(当時の人気ナンバーワン同士の共演)した『リスボン特急』。家の人がらみの偶然が重なって、京都河原町のスカラ座か東宝公楽で見る幸運を得た。

 だけど、ルルルル(『あしたのジョー』のテーマのふしで)、時間の都合で、○時○分から上映の回の途中から「fin」まで見て、次の×時×分から上映の回で始まりから、○時○分から上映の回で見たところまで見て、映画館を出るというような見方をせねばならず、平坦な展開の話だったのですじがよくわからず、家の人の事情を気にしてばかりいたため、味わう余裕はまったくなく、再見もしていないので、令和現在も、どういう映画だったか理解できていない。

 この程度でしかアラン・ドロンの映画を見ていないのに、もっとたくさん見ていた感じが残っている。もしかすると同世代の多くが、そうではないだろうか。

 その理由は、レナウンの紳士服『ダーバン』による。

 日曜洋画劇場のスポンサーの一つがレナウンで、毎週『ダーバン』のCMで、アラン・ドロンがムーディな場所で歩いたり話したり笑ったりするムーディな映像を見ていたものだから、彼の映画をたくさん見ていたような錯覚が残っているのである。

 CMの最後は、アラン・ドロンがキャッチコピーをフランス語で言い、字幕が出た。
”ダーバン、現代を支える男のエレガンス”

 このCMのアラン・ドロンは、CMゆえに当然ながら、彼の顔に差す陰を活かしておらず、私にはつまらないキャラだったが、代わりに、まさに日本人が思う、「ハンサムなフランス人」に撮ってあった。

 が、アラン・ドロンの出演作として、ポピュラーに訴えるという点では、もしかしたら『太陽がいっぱい』よりも勝っていたかもしれない。

 そして、ここに野沢那智の功績が加わる。

 アラン・ドロンの吹き替えは、ナッちゃんだけがしていたわけではないし、私も『スクリーン』か『ロードショー』の声優特集では、堀勝之祐がドロンの声優として寄稿していたのを読んでいる。が、おそらく〈ハンサム〉の時代に、吹き替えがデフォルトだったTV洋画劇場を見ていた日本人の9割が、アラン・ドロンの声としては野沢那智しか耳に蘇らないのではないだろうか。

 野沢那智とアラン・ドロンの顔は、黄色人種と白人種、頭蓋骨からちがう。目と鼻の形もちがうし、じんちゆうの按配もちがう。ようは似ていない。そもそも二人は声が似ていない。

 声が似ていない証拠を、私はすぐに提出できる。『ロードショー』創刊一周年記念特大号のプレゼント企画に応募してもらった、レコードを、私は持っている。

 アラン・ドロンの写真がプリントされたドーナッツ盤半径45回転のそのレコードで、ドロンはヴェルレーヌの詩を朗読している。レナウンのCMで、“D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.”と言う、あの声である。低い声である。

 声は体から発するから、「ブルワーカー」を買おうかしらと思ってもいいくらいのナッちゃんとドロンの体格はちがうので、声は似てなくてあたりまえだ。野沢那智の声はドロンより、はっきり高い。

 にもかかわらず! 野沢那智の声は、まるでアラン・ドロンのよう●●●●●●●●●●●●●なのだ。「えー、なんでー♡?」と、うれし恥ずかしでクネクネしちゃうぜ。

 野沢那智が、野沢那智としてTVに出て、薔薇座の劇団活動だったか自分の生い立ちだったかについて語っているのを見ても、かたちは似ていないのに、彼の顔に、アラン・ドロンの顔がかぶった。心霊写真みたいに。

 インド人の作るカレーと、ハウスやエスビーのカレーの素で作る日本のカレーとはちがう味だが、アレが日本のカレーで、みんな大好きだろう?

 アラン・ドロンは野沢那智の声とセットで、日本では、「ンまあ〈ハンサム〉~♡」に仕上がったのである。

 野沢那智の声はドロンより高いし、日本の成人の男声としても高めだが、落ち着いた静けさがある(深夜放送ラジオ ナッチャコパックで、ギャグをとばすときも、なんだか静けさがあった)。なにより、彼の声は、乾燥している。あの乾燥が、アラン・ドロンを、「おフランス」ではない、「フランス」にするのである。

 さあ、レナウンのCMの最後のナレーションふうに言おう。
 オリジナル・ジャパニーズ・アラン・ドロン、それは〈ハンサム〉の時代を支えた男二人の合体!

 このあとは、各自で『あまい囁き』(野沢那智・金井克子バージョン)を検索してご鑑賞のこと。

野沢那智さんインタビューここで読めます(吹替え専門サイト ふきカエル大作戦!!より)

※憎いみうらじゅん
 額面通りに受け取られる方はよもやおられますまいが、念のため、他社刊ながら拙著御参照のこと。『忍びの滋賀 いつも京都の日陰で』。

※ワインと料理のマリアージュ
 日本映画『月の満ち欠け』で、お母さん役の柴咲コウが、錦糸玉子をふりかけたちらし寿司を食べながらボルドーグラスで赤ワインを飲んでいるのが、ものすごく合わなそうで気になった。

※『太陽はひとりぼっち●●●●●●』の音楽(ジョヴァンニ・フスコ)
 太陽は太陽でも、〈いっぱい〉ではなく、〈ひとりぼっち〉のほう。
 ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『L'eclisse(日蝕)』をこんな邦題にしたのは、〈いっぱい〉がヒットしたゆえであろう。
 じっさい、〈ひとりぼっち〉のほうは、映画もそうだが、音楽も、〈いっぱい〉と比べると、イタリア以外ではほとんど知られていないかもしれない。だが、私は、この曲(歌)に痺れる。
 自分が知っている、クラシック純邦楽歌謡曲ジャズロック民謡、あらゆるジャンルの曲の中でベスト10に入る。
〈レベル可〉で見たので、映画の内容と関係なく、この曲は、初めて聞いたときから何十年たっても、聞くと「刹那的」という感情がこみあげてきて痺れる。
 残酷な出来事や残酷な仕打ちを受けた心痛は、そのままの形で伝わるが、冷たい悲しみというものは、たいていの場合、悲しんでいる当人からは、ゲラゲラ笑いのマントをはおって他人に伝えられる。『太陽はひとりぼっち』は、どこかそんな旋律なのである。

 <前の話へ  連載TOPへ  次の話へ>

連載【顔を見る】
毎月第4金曜日更新

姫野カオルコ(ひめの・かおるこ)
作家。姫野嘉兵衛の表記もあり(「嘉兵衛」の読みはカオルコ)。1958年滋賀県甲賀市生れ。『昭和の犬』で第150回直木賞を受賞。『彼女は頭が悪いから』で第32回柴田錬三郎賞を受賞。他の著書に『ツ、イ、ラ、ク』『結婚は人生の墓場か?』『リアル・シンデレラ』『謎の毒親』『青春とは、』『悪口と幸せ』『顔面放談』などがある。
公式サイトhttps://himenoshiki.com/index.html

更新のお知らせや最新情報はXで発信しています。ぜひフォローしてください!