賽助×渡辺優【並行宇宙を生きるふたりのぼっち 全5回】 (1)ゲームの話が自己紹介を兼ねる
実は作家デビュー同期だった
──おふたりとも「HB」での連載を経て、初のエッセイ集が刊行となりました。書かれている内容にも親和性がありそう……ということで担当編集同士が盛り上がりまして、ぜひ対談を、とお越しいただいたしだいです。まずはおふたりそれぞれのファンに対して、自己紹介をお願いできますか?
賽助 基本的には賽助として小説家をするかたわら、ゲームをやってそれを人に見てもらっている人間です。
──賽助さんは作家デビューが2015年、『はるなつふゆと七福神』で「本のサナギ賞」優秀賞を受賞されました。実は、渡辺さんとほぼ同時期の作家デビューなんですね。
賽助 えっ、そうなんですか。
渡辺 私もたぶん2015年です(編集部注:『ラメルノエリキサ』で小説すばる新人賞を受賞)。
賽助 なんと。初めて同期の方とお会いしました。
人がゲームしてるのを見るのって楽しい
──ゲーム実況はその前から?
賽助 もう10年以上やってますね。最初はほんと趣味みたいな感じでしたけど。ゲーム実況って見られますか? あんまり見ないですよね。
渡辺 存在は知っていたんですけれど、実際見たことはなく。こんな感じかなという想像だけありました。
賽助 よかった、見られていたら恥ずかしすぎる(笑)。どんな想像なんですか?
渡辺 私もすごくゲーム好きなんですけれど、一番最初にゲームに触れたのが、兄がプレーしているところを後ろから見るかたちで。人がゲームやってるのを見るのって楽しいですよね。それをネットでやっているのかなって想像でした。
賽助 そんな感じです。僕も兄がやってるゲームを見るのが好きだったんですけど、僕らの投稿を見てくださっている方も、誰かがゲームやってるのを横で見てる感覚の方が多いみたいですね。
渡辺 やりながらしゃべるんですか、みんなで。
賽助 しゃべりますね。何人かでやっているものもあれば、ひとりのもあります。なるべく今考えてることをしゃべったり、ゲーム内で起こったことへのリアクションを見てもらう。不思議な文化ですよねぇ。
渡辺 何となくわかった気がします。
賽助 何となくで大丈夫なんで!(笑) 渡辺さんはどこらへんからゲームに入ったんですか。プレステ?
渡辺 最初は、兄がやっているファミコンの「星のカービィ」とか、スーファミの「ドンキーコング」とかを見ていましたね。後ろから「水のステージ行って!」とか言いながら(笑)。
賽助 指示を出す(笑)。
渡辺 そう、ステージ画面が見たくて。
スマブラを通る人生と通らない人生
賽助 初めて自分でコントローラーを触ったのっていくつくらいですか。
渡辺 10歳前後ぐらいですかね。自分でコントローラーを握ってはらはらするのが嫌で、敵が出ないところだけ進んで、そろそろ気配でボスが来そうだと「ちょっとお兄ちゃんやって!」って代わってもらっていたんですけど、いつからか自立心が芽生えて。こんなんじゃダメだって、戦えるようになってきました。
賽助 小学生とか中学生ぐらいのときって、周りのお友達はゲームしていました?
渡辺 してる子もいました。友達にすごい「バイオハザード」が好きな子がいて、それで私、ホラーゲームをやらなきゃいけないという使命感が芽生えて。怖がってちゃダメだ、勇気を身につけなければいけない、と。
あとは小学生でポケモンの「赤」と「緑」が登場して。ずっとゲームボーイをやっていたせいで、視力が2.0から0.いくつぐらいまで下がってしまいました。
賽助 画面ちっちゃいですからね。白黒で。
──賽助さんもポケモンは大好物ですよね。
賽助 僕は30代終わりぐらいに、初めてポケモンやったんです。そしたら……ま〜あ、かわいい。今日もこんなん着てきてしまってめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど(笑)、ポケモンは本当に楽しめる。すばらしい。ありがとうポケモン!
ポケモン柄のシャツを着ていらした賽助さん
賽助 ただ、ポケモンってひとりでやるものだと思ってたら、交換したりとか案外コミュニケーションが必要で……僕、そこを通ってこなかったんですよね。スマッシュブラザーズとかってやってこられました?
渡辺 私は大人になってから、一昨年ぐらいに初めてやりました。
賽助 僕とほぼ同じだ。ニンテンドーって、64(ロクヨン)とかゲームキューブとかパーティーゲームが多いじゃないですか。そこ、ことごとく通らなかった人生で。やる相手いなかったから。今、ゲーム仲間とやろうってなっても僕だけがそこで初プレー。あぁみんなこうやって仲よくなってたんだなぁと大人になって知るという……ちょっと寂しい。
渡辺 「どのキャラ使ってるあるある」みたいなのがわからない。
賽助 そうですね。どれが強いとかも分からない。
渡辺 うちもプレステばっかりで。パーティーゲームはほとんどやりませんでした。子供時代は兄がやってるのを使わせてもらっていたんですけど、そう考えると兄もぼっちだったのかなって、この年になって気づきました。
「なるべくしてひとりになった」25歳から小説家をめざしたふたり
賽助 ……あの、ゲームの話ばっかしてますけど大丈夫ですか?
──大丈夫です。おふたりの本のテーマがじわじわと出てきていますから。
賽助 よかった。
──渡辺さんはゲーム以外の自己紹介、いかがですか。
渡辺 4、5年前に作家デビューさせてもらって……今に至ります。
賽助 簡潔(笑)。
渡辺 細々と頑張っております(笑)。
賽助 いやいや、すごいですよ。いくつぐらいから物語を書きはじめたんですか。
渡辺 私は大人になってからです。大学卒業後に翻訳家を目指していたんです。出勤したくないので家でできる仕事をしたくて、翻訳なら家でできると思ったんですけれど、全然英語ができなくて……。
賽助 英語ができるから目指したわけではないんですね。
渡辺 そうです。どうしようかと思っているときに、訳すんじゃなくて、自分で書いてみようと、25歳ぐらいから書きはじめて。応募しはじめて3作目でデビューになりました。
賽助 いやあ、すばらしいですね。
渡辺 すいません、華々しい話が何もなくて。
賽助 いやいや、僕の活動もほぼ家でやってますから。華々しくない。
──賽助さんが作家を目指されたのには、何か理由があるんですか。
賽助 外で働きたくなかったわけじゃないんですけど、自分で表現することにより何かしらうまいこといったらいいなとはずっと思っていたんです。でも、高校・大学と卒業後もやっていた演劇があまりうまくいかなくて、バイトと両立しつつもうちょっと少人数でできることをと考えて、コントみたいなことを細々とやっていまして。でもそれもうまくいかず。さらに少人数でできることを考えるうちに、自分で物語を書けばひとりで完結するぞと……だんだん人数が減って、なるべくしてひとりになった。よかったです、今こうして居られて。人生どうなるか分からないですね。
渡辺 すごいわかります。ここに居られてよかった。
──賞にはどのくらいの期間、応募していたんですか。
賽助 僕は25、6歳から、10年ぐらいですかね。ゲーム実況もやりながら書いていたけど、うまくいかない時期が長かった。
渡辺 書いているということは誰かに言っていたんですか。
賽助 最初は言っていなかったんですけど、ある時期から、人に読んでもらって感想を訊いていました。渡辺さんはどうだったんですか。
渡辺 一切言わずにいました。25歳過ぎて、急に小説家になりたいとか言い出したら心配されると思って。「大丈夫かな」って思われそうで。なれたら言おうと思ってました。
賽助 僕は芸術系の大学に通っていたから、まわりも30歳ぐらいまでは役者目指しますみたいなのが多かったんで、自分もふわふわしていられたんです。でも30を超えたら、みんなちゃんと家庭や仕事を持ちはじめて、僕ひとりどんどん孤立していった。だからちゃんとしている人が恐ろしい。名刺とかも持ったことないし。偉い、みんな偉い。
──渡辺さんは、小説を書いていたことをご家族には話していましたか。
渡辺 言っていないです。翻訳学校に通っているのに全然英語できてなさそうな感じはおそらくばれていたので(笑)、心配はされていたと思うんですけれど。なので、本当によかったです。
賽助 ほんとですね。
エスカレートする撮影陣からの要求に、耐えきれず噴きだす渡辺さんと動じない賽助さん。
賽助さんの本はこちら
渡辺優さんの本はこちら
【並行宇宙を生きるふたりのぼっち 全5回】