新鮮な驚きの連続。山田洋次監督との出会い|吉行和子『そしていま、一人になった』(3)
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新鮮な驚きの連続。山田洋次監督との出会い|吉行和子『そしていま、一人になった』(3)

女優・吉行和子さんのエッセイ『そしていま、一人になった』(2019年)から、その足跡を振り返る第3回。今回は何度目かの大きな転機になったという、山田洋次監督との初仕事のエピソードをご紹介します。

「男はつらいよ」「学校」シリーズなどで知られる名匠・山田洋次監督は吉行さんの4歳年長です。長く映画の世界で活躍を続けてきたお二人ですが、一つの作品に取り組むことになったのは、21世紀に入ってしばらく経った頃でした。
監督生活50周年記念の映画「東京家族」に出演することになった吉行さん。間近で見た山田監督とは……?

吉行和子
『そしていま、一人になった』

(第五章「人生の残り時間を楽しむ」より) 

山田洋次監督と奇跡の出会い

 最後の親孝行

 はじめて山田洋次監督にお目にかかったのは、二〇一二(平成二十四)年だった。 この年をもって、私の女優生活は何度目かの大きな変化を迎える。こんなに長く続くとは想像もできなかった女優生活は、こうして何度か息を吹き返しながら続いてきていた。
 こんなことが起きるなんて、奇跡だ。遠い遠いところにいらした山田洋次監督の作品世界に私が入れるなんて、あ〜長くやっていてよかった。母に報告すると、もう寝たきりになっていた母は、ベッドの上で両手を上げてガッツポーズを作った。よほど嬉しかったのだ。
 最後の親孝行ができてよかった。「東京家族」の台本のはじめに、監督の言葉が記されている。
「この作品を小津安二郎監督に捧げる」と書いてあり、「東京物語」へのオマージュ として製作される旨が記されている。
 その言葉は、次のようなものだ。

『東京家族』製作にあたって
 2011年4月1日クランクインを目指していたこの作品は、準備の段階で3・11 の東日本大震災、それに引き続き福島原発メルトダウンという歴史的な事件に遭遇し、 製作を延期することにしました。3・11以後の東京を、或はこの国を描くためには、どうしてもそれが必要だと考えたのです。
 あれから一一ヶ月。新たに書き直した脚本でクランクインを迎えます。これは、 2012年5月の東京の物語です。
 長く続いた不況に重ねて大きな災害を経験し、新たな活路も見いだせないまま苦悩する今日の日本の観客が、大きな共感の笑いと涙で迎えてくれるような作品にしたいと、心から願いつつ撮影を開始したいと思います。
 2012年3月 山田洋次

 山田監督は「こわい」と以前から聞かされていた。いろいろなエピソードが伝わっていたし、インタビュー記事や、ご自身の著書などを読むと身が縮む思いがした。
 蒼井優さん以外は山田組に全員初参加、みんなそれなりに緊張している。
 橋爪さんが「ぼくと吉行さんは劇団育ちですからどんなに怒られても大丈夫です。 どしどしおっしゃってください」とまず挨拶。監督は、「アッハッハ」とほがらかに笑われた。やっぱりコワイ。

 思えば出る

 柔らかくて静かで、ゆったりしていて、それでいて緊張の張りつめた現場が待っていた。すべてが怖かったが、委縮した気持ちにはならなかった。どちらかといえば、いい気分。どうとでもしてください、と落ち着いた気持ちでいられた。
 不思議な幸福感を感じながらの撮影がはじまっていた。一本の映画に四カ月近くかかったのも、はじめての経験だった。メジャーの作品に出るのもはじめてだったので、 何もかも新鮮な驚きだった。スタッフの人数の多さにもびっくり。そしてみんな親切で、恐縮してしまうくらいだった。
 撮影中、山田監督はじっと見ておられる。ちょっとでもわざとらしい演技は見逃さない。心のなかから自然に出てくる言葉にしてくださいね、とおっしゃる。
 顔の表情や、動きで演技をしないでください。自然に動くのはわかります。自然に出る表情はわかります。そこは充分思い切ってやってください。心とつながっていれば、大丈夫です。
 しかし、ここが難しい。自分ではよくわからない。
 でもビビらないでってみて、問違っていれば必ず指摘してくださることを信じるしかない。心とつながっていれば......。
 女優をはじめた頃の宇野重吉さんの言葉を思い出す。あれこれやるな、その役の心を深く深く考えていれば、自然に出てくるんだ。「思えば出る」だと、何度も言われた。遠い国から、宇野さんの笑顔が見えてくる。「ほらオレの言った通りだろ」と 自慢しているようだ。

(第五章「人生の残り時間を楽しむ」より)


『そしていま、一人になった』目次より

はじめに そしていま、私は一人になった
第一章 母・あぐり、百七歳の静かな旅立ち
九十一歳の海外旅行/百歳のヒミツ/最後は空をつかんで……/ ほか
第二章 私にとっての吉行家
父・エイスケ、三十四年の人生/母・あぐりの半生/妻・あぐりを夫はこう見ていた/ほか
第三章 劇団民藝からはじまった女優人生
幼い私を苦しめた喘息/私は女優になる!/小劇場に心奪われて/ほか
第四章 兄・淳之介、妹・理恵との日々
家族のなかの淳之介/四歳違いの妹、理恵/妹と過ごした最後の日々/ほか
第五章 人生の残り時間を楽しむ
女友達とインドへ、そしてスペインへ/山田洋次監督と奇跡の出会い/私の終活/ほか

個性派揃いだった家族との思い出、女優としての来し方とこれから。吉行和子が明かす、あふれる想い。

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次回の更新は10月28日(木)です。


吉行和子(よしゆき・かずこ)
1935年東京生まれ。女優。父は作家・吉行エイスケ、母は美容師・吉行あぐり、兄は作家・吉行淳之介、妹は詩人/作家・吉行理恵。女子学院高等学校を卒業。在学中に劇団民藝付属の研究所に入り、1957年舞台「アンネの日記」でデビュー。59年 映画「にあんちゃん」などで毎日映画コンクール女優助演賞、79年映画「愛の亡霊」、2014年「東京家族」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞。02年映画「折り梅」、「百合祭」で毎日映画コンクール田中絹代賞、その他テレビ、映画、舞台の出演作多数。

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