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思い出だけが残り、ものはないのが楽でいい|吉行和子『そしていま、一人になった』(4)【最終回】

女優・吉行和子さんのエッセイ集『そしていま、一人になった』(2019年)から、これまでお仕事の話題を通じて、凛とした生き方の魅力をご紹介してきました。最終回は、潔い考えが印象的な、ものとの付き合いかたのお話。もしかしたら、ものや過去に執着しないことは、長く活躍し続ける秘訣なのかもしれません。
妹の芥川賞作家・吉行理恵さん、母のあぐりさんの遺品整理についても語られ、人生に思いを馳せさせる一節です。

吉行和子『そしていま、一人になった』

(第五章「人生の残り時間を楽しむ」より) 

私の終活

 ものが増えると部屋が重くなる

 終活問題がいまや大きな話題となっている。いろいろなかたがそのことを書いている。女優さんがトラック何台分の服を捨てた、という話も多い。
 私の部屋はものが少ないから、私がいなくなったとき片づけてもらうのにはわりと楽だと思う。それは計画的でもある。
 以前から、使わないものは処分する、という性格だったので、ものは少ない。それでも長く暮らしていると、ものというのは増える。部屋が重くなっていく感じだ。 これは息苦しいと家中を見まわし、軽くすることを心掛ける。
 まずは洋服類だ。これはずっと前から実行している。当時は舞台を頻繁にやっていたので、舞台衣装に使えそうな変わったデザインや、色彩のものを見つけると、いつかは使うかもしれないと、買っておいた。
 実際に何年もたってからピタリと当てはまるものもあり、そんなときは予知能力があったと、嬉しくなる。
 前述の「MITSUKOーミツコ 世紀末の伯爵夫人ー」(※注)という一人芝居のときも、主人公のミツコは百年以上も前の人物。舞台で掛けていた大きなストールは、実際に百年以上も前に、どこかの婦人が使っていたものだった。
 そのストールを見つけたのは二十年くらい前、ヨーロッパの古着屋さんだった。茶色の地に小さくいろいろな色の花が刺繍してあり、周りにフリンジが付いている、いかにもヨーロッパ風の優雅なものだ。
 お店の人が、これは昔女優さんが持っていたものですよ、と言う。一万円。こんなストールを使う役なんて演りそうもないとは思ったけれど、とりあえず買った。それが十年もたって、実にぴったりとはまった。
 ミツコは実在の人物で、伯爵夫人となってヨーロッパに渡り、ウィーンで亡くなる。ミツコが自分の人生を顧みる長いシーンのとき、このストールを肩に掛けた。これ以上似合うものはない。このストールのおかげで、ずいぶんミツコの気分になれたものだ。
 そういうことがあるから、やはり何かの役に、と買っておく。そんな、いつ出番が来るかわからないものが、だんだん増えていった。私服は最小限度少なくしていても、 全体にはかなり多かった。

 なくなって悲しむものは持たない

 舞台をもうやらないと決めた八年前からは、それらを処分しはじめた。あまりにもったいないものは、実際に舞台活動をしている劇団に送った。私服は三人の友人に、それぞれ似合いそうなものを送る。たいていは喜ばれる。だから、私の遺した洋服等は簡単に片付くはずだ。
  もともとものも持たない主義だから、簡単だ。とくに高価なものは皆無と言ってもいい。
 ずいぶん前から、もし家が火事になったとき、あれが焼けてしまったと悲しむようなものは身の周りには置かないと決めている。
 思い出だけが残り、ものはないのが楽でいいと、ちょっと痩せ我慢ではあるが、これでよし、と納得しよう。

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舞台で長年使ったストールはヨーロッパの古着屋さんで買ったもの。これも舞台を辞めるにあたって処分した。

 妹の部屋、母の部屋

 妹の理恵のときは大変だった。
 彼女は「私は収入が少ないから小さいところで」と言い、このマンションのいちばん小さい部屋に住んでいた。二部屋の一つが本で埋まっていた。
 本箱から溢れ出た本は床に山積みだった。そこまでとは知らなかったので、以前はよく「あの本持っていたら貸して」などと気軽に頼んでいた。どうも時間がかかると思ったことがあるが、真面目な妹は姉の頼みに応えようと、その山のなかからいちいち見つけ出してくれていたらしい。
 もう、とても手が付けられなかった。一冊ずつ見ていたら、勿体もったいなくて処分できない本がたくさんあるのはわかっていた。そんなことは無理だ。ざっと上の方だけ見て、 妹が尊敬していた詩人のかたの本を何冊かだけ残して、あとは人にお任せすることにした。
 あっという間にトラックに積まれ、運び去られた。心が痛んだが、仕方ない。
 母あぐりは十年寝たきりになってしまっていたので、まず着るものの整理はすぐできた。母もものを持たない人だったので、それもすぐ片が付いた。
 ただ、何十年も前に使っていたハサミやコテ、電気アイロンなど、古色蒼然としたものを少々残してあった。これをどうするかと少し悩んだが、やはりあってもどうしようもないと処分した。
 これは後悔している。いまでもあぐりさん人気は高く、思い出の品の写真を撮りたいと言われることがあるので、そのたびに早まったと、胸が痛む。
 母はオーストラリアに住んでいた親戚のケイコさんという人と仲良しだった。何十年も会わないのに、一週間にいっぺんくらい手紙のやりとりをしていて、その手紙だけはひとまとめにして残してある。
 そして母の仏壇にと、千代紙で折り鶴を折って送ってくれたのも、ちゃんと飾ってある。ケイコさんは母が寝たきりになってからは、日曜ごとに電話をくれた。ケイコさんの声は明るくハキハキしていたのでよく聞き取れて、母も楽しそうに話していた。
 母がいなくなったことを私はケイコさんに知らせた。「そーお、残念」と言った。そしてケイコさんもその三週間後に突然亡くなってしまった。八十代の終わりぐらいだと思うが、どうしたのだろう。そして、少したってから折り鶴が届いた。
 オーストラリア人の夫は早くに亡くなっていたが、一人娘がいた。その人の名は、 どうせ私達は覚えられないと思ったのだろう、「サユリ」と呼んでくださいとのことだった。
 サユリさんがこの間訪ねてみえたので、仏壇の折り鶴を見てもらった。日本語は少々わかるので、なんとか会話はできた。
「母はあぐりさんが大好きでした。たった一人の日本人の友達でした。折り鶴を送ると言っていたので、私が送りました」
 ベジタリアンだと言うので、近くのおそば屋さんで野菜の天ぷらそばを食べながら、「なぜ亡くなったのですか」と聞くと、「ビョーキです」ということだった。でも少し前まで運転をしていたそうだ。長患いをしないで亡くなったのはうらやましいと思った。

(第五章「人生の残り時間を楽しむ」より)

※注「MITSUKOーミツコ 世紀末の伯爵夫人ー」……吉行和子さんによる一人芝居。1993年初演、全国で公演し、大好評を得て4回のヨーロッパツアー公演も実現。2005年に13年にわたる公演を閉幕した。

***

年齢を重ねたいまだからこその仕事への取り組み、人生の楽しみ、などなどが綴られたエッセイを、ぜひ書籍でもお楽しみください。

『そしていま、一人になった』目次より

はじめに そしていま、私は一人になった
第一章 母・あぐり、百七歳の静かな旅立ち
九十一歳の海外旅行/百歳のヒミツ/最後は空をつかんで……/ ほか
第二章 私にとっての吉行家
父・エイスケ、三十四年の人生/母・あぐりの半生/妻・あぐりを夫はこう見ていた/ほか
第三章 劇団民藝からはじまった女優人生
幼い私を苦しめた喘息/私は女優になる!/小劇場に心奪われて/ほか
第四章 兄・淳之介、妹・理恵との日々
家族のなかの淳之介/四歳違いの妹、理恵/妹と過ごした最後の日々/ほか
第五章 人生の残り時間を楽しむ
女友達とインドへ、そしてスペインへ/山田洋次監督と奇跡の出会い/私の終活/ほか

個性派揃いだった家族との思い出、女優としての来し方とこれから。吉行和子が明かす、あふれる想い。

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吉行和子(よしゆき・かずこ)
1935年東京生まれ。女優。父は作家・吉行エイスケ、母は美容師・吉行あぐり、兄は作家・吉行淳之介、妹は詩人/作家・吉行理恵。女子学院高等学校を卒業。在学中に劇団民藝付属の研究所に入り、1957年舞台「アンネの日記」でデビュー。59年 映画「にあんちゃん」などで毎日映画コンクール女優助演賞、79年映画「愛の亡霊」、2014年「東京家族」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞。02年映画「折り梅」、「百合祭」で毎日映画コンクール田中絹代賞、その他テレビ、映画、舞台の出演作多数。

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