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橋本治『人工島戦記』#4 とりあえず市長は主役じゃなくて

橋本治さんが生涯をかけて挑んだ小説『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』が刊行されました。架空の地方都市を舞台に、戦後から平成に到るこの国の人々を描いた大長編は、未完ながら、A5判2段組みで1,376ページ。圧巻のボリュームです。

刊行後の反響のなかに、「興味はあるものの、読み通せるだろうか」という声が少なからずありました。その杞憂を晴らすべく、先行公開した第一章に続き、第二章から第八章まで、毎日一章ずつ試し読み公開します。(第一章から読む


第いち部 低迷篇

第四章 とりあえず市長は主役じゃなくて

 最初の「志附子湾大規模埋立計画」が構想された昭和三十二年、辰巻竜一郎は十九歳だった。十九歳で東京の帝国大学へ行っていた辰巻竜一郎は、当然のことながらまだオッサンではなかったが、しかしステテコは穿いていた。
 日本の夏は蒸し暑いから、大切な夏ズボンの裏側を汗で汚さないためにも、ズボンの下にステテコを穿くのは、日本の夏の常識だった。別にステテコは、それだけで外をうろつくための、日本のバミューダパンツではなかったのである。
 だから、まだオッサンではなかった十九歳の辰巻竜一郎も、夏になるとステテコを穿いていた。夏休みになって東京の帝国大学から帰って来ると、比良野市にある実家のお母さんが、夏のズボンとランニングとステテコを一緒に出して来るからだった。
 昭和の三十年代に、ジーパンを穿く大学生はいなかった。ジーパンは不良の穿くものだったから、東京の国立大学に行っているような真面目な大学生は、絶対にジーパンなんか穿かなかった。
 というわけで、「ジーパンを穿く」という選択肢を持たなかった十九歳の辰巻竜一郎は、夏になって帰省をすると、実家のお母さんの出して来るステテコを、おとなしく夏ズボンの下に穿いていた。
 外出の時はズボンを穿いて、家に帰って来るとズボンを脱いでステテコで歩き回るのが、昭和三十年代の真面目な大学生のカジュアルファッションだった。夏になっても男は毛ズネや毛モモを剝き出しにしてうろつき回らないというのが、当時の紳士の美学だったので、県庁に勤める真面目な役人の妻でもあった辰巻竜一郎の母は、高校生になった息子の脚にスネ毛が目立ってくるのを見た段階で、黙って息子用のステテコを買って来たのだった。
 高校生の時からステテコを穿いていた辰巻竜一郎は、だから夏の夕方、県庁から帰って来た父の横で、ステテコを穿いたまま歓談をしていたのだった。
 父と息子が共にステテコを穿いて歓談をしている図が現実にあったなどということを、誰が信じられよう。しかし昭和の三十年代には、ステテコという回路を通して、十九歳の若者は、たやすくオッサンへの門口に立っていたのだった。

 話は変わって、こちらは現代の比良野市に住む現代の大学生である。人工島建設などを計画して、今でも平気でステテコを穿いている市長などというものは悪役に決まっているので、主役ではない。主役は、比良野市に住んで「人工島建設反対」を叫ぶことになる現代の十八歳と十九歳の大学生、駒止鉄生こまどめてつお磐井生一いわいきいちの二人だった。
 現代人の名前だから、カタカナの方がそれらしくてふさわしかろうというわけで、主役は、比良野市に住む二人の大学生、テツオとキイチだったのである。

 平成四年の一九九二年の五月のある日、キイチの部屋でゴロゴロしながらテレビを見ていたテツオは、「こんなのいらねーよなー」と言った。
 テレビは夕方のニュースで、「志附子湾人工島計画に反対する市民の動き」というのをやっていた。
 比良野市長の辰巻竜一郎は、「比良野市の発展と志附子湾再開発のため」に志附子湾の四分の一を埋め立ててしまうような「人工島計画」を発表し、それに対して「環境派の市民団体」が反対を表明しているというのだった。
 テツオは、「環境派の市民団体」というのが好きではなかったので、「そういう〝環境派の市民団体〞が大騒ぎをするようなことはやめてしまえ」という論者だった。つまり、テツオにすれば、「〝環境派の市民団体〞が大騒ぎするような人工島なんていうメンドクサイものはいらない」だったのである。
 テツオのお母さんのヨシミが市民運動をやっていて、「環境問題」でなにか・・・があると、すぐに怒鳴るからだった。新聞を見たり、テレビを見たりしている途中で、テツオの母のヨシミは、突然ゴハンを食べるおハシの動きを止めて、「市はなにをやっているの!!」と怒鳴り出して、一人で演説を始めるのだった。
「メシぐらい黙っておとなしく食いたい」と思うテツオは、「市とか県とかいうものは、そういう〝環境派の市民〞というものを騒がせないように、いろんなことをやりたかったらやればいい」と思うようになっていた。
 志附子湾の西の方には摺下干潟すりさげひがたという、平野県有数というか、千州でも随一と言われる野鳥の生息飛来地があって、志附子湾に作られる人工島は、この野鳥の生息飛来地をだいなしにして、貴重な野生種を絶滅に追いやってしまうことがほぼ確実だったからである。
 テツオは、千州最大の都会である比良野市に住む「都会の大学生」である。両親が転勤で千州に来るまでは、埼玉の某市で高校生をやっていた男である。新譜のCDに関心を持っても、動物とか鳥には関心がない。野鳥のことなんか知らないけど、東京のサイタマ・・・・・・からまだまだ自然の多い・・・・・・・・・比良野に来て以来一段と自然環境への関心の高まって来た母親を騒がせてなんかほしくないと思うテツオは、すべてのややこしい経緯けいいを一挙に通り越して、「人工島なんかいらねーよなー」という、至ってシンプルで、そしてノーマルな結論に達してしまったのである。
 テツオは、「こんなのいらねーよなー」とテレビを見て言って、同じ大学の親友であるキイチも、「なー」と言った。
 市民の間ではこうして既に「人工島なんかいらない」という結論が出てしまっていたので、それでなかなか市民の間には、「人工島建設反対運動」が盛り上がらなかったのである。
 やはり〝今更〞というのは、そう簡単には動かせない厄介な問題だったのである――建設推進派の市長にとってだけではなく、一挙に「反対」を表明してしまった市民達にとっても――。

第四章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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