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橋本治『人工島戦記』#5 テツオとキーポン

橋本治さんが生涯をかけて挑んだ小説『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』が刊行されました。架空の地方都市を舞台に、戦後から平成に到るこの国の人々を描いた大長編は、未完ながら、A5判2段組みで1,376ページ。圧巻のボリュームです。

刊行後の反響のなかに、「興味はあるものの、読み通せるだろうか」という声が少なからずありました。その杞憂を晴らすべく、先行公開した第一章に続き、第二章から第八章まで、毎日一章ずつ試し読み公開します。(第一章から読む


第いち部 低迷篇

第五章 テツオとキーポン

 テツオが再び「こんなのいらねーよなー」と、志附子湾の人工島建設計画を伝えるテレビのニュースを見て言ったのは、それから一年後の、平成五年の一九九三年の五月のことだった。場所はおんなじキイチの部屋だった。
「なァ、キーポン。こんなのいらねーよなー」というテツオは、国立千州大学の二年生になっていて、その言い方は一年の時よりもずっと力なかった。力なかったから、テツオはキイチに向かって、「なァ、キーポン」という、すがるような情けのない声を出したのだった。

 一年前のクラスコンパの席で、キイチは自分のことを、「アダ名は〝イッポン〞と言われてました」と言った。ちょっと伸びかけた坊主頭のイナカ臭いやつが、なんにも考えてないようなヘビメタロゴ入りのTシャツを着たまんま、「ちょっとウケたい」という顔をして、「自分のアダ名」なんてことを言ったので、テツオは「やだなー」と思った。
 友達同士がアダ名で呼び合うなんて信じらんない。名前が生一きいちだから、日本酒の「生一本きいつぽん」になって、それでアダ名が「イッポン」だなんて、どうゆー感覚をしてんだろうと、テツオは思った。平野県の隣りにある大山おおやま県の、県立鍋崎なべがさき高校という山の中の学校から来たキイチは、東京のサイタマ・・・・・・・からやって来たテツオにとっては、ほとんど人間の形をした始祖鳥か三葉虫のように思えた。
「あー、やだやだ、こんなことならやっぱ東京の大学に行けばよかった」とテツオがその時思ったのは、その時が、テツオがイナカの高校出のイナカの大学生をほとんど初めて本格的に見た時だったからだ。
 テツオは、「やだやだ」と思って、「やっぱ東京の大学に行けばよかったかな」と思った。「東京の大学」と言ったって、新東京国際空港が千葉県の成田にあって、東京ディズニーランドが千葉県の浦安にあるご時世だから、東京の大学は今やほとんど東京にはない。「埼玉や神奈川にある東京の大学に行ったって、なんか埃っぽいだけだからなァ」と思うテツオは、ちょうど転勤でお父さんが比良野支店に支店長代理で行くことになってしまったから、「ついでにそっちも受けてみようかなァ」と、千州大学を受けたのだった。
 テツオは、まだ自分にロクな判断力がないことを知っている。キッパリしたいくせにすぐウダウダ迷ってしまうのは、結局のところまだ自分が若くてロクな知識がないから、正確な判断をするための能力がないせいなのだと、自覚していた。
 そこら辺・・・・をもっと正確に言うと、「〝まだ若くて、十分な判断をするための知識がないから、なかなかキッパリした決断が出来ないことを自覚している〞ということにしておけば、意識的でセッカチですぐにさっさと決断を下してしまうお母さんの、〝どうしてあんたはそうグズグズしてんのよォ!〞という非難をかわせるということを、高校生になったテツオは知っていた」ということである。
 ヘタな決断をして、「ホントにあんたは深く考えるってことをしないんだからァ!!」とお母さんに罵られるよりも、「どっちにしようかな、神様の言う通り」という二股を、かけられる時にはかけておいた方がリコウだということを、テツオは知っていたのである。
 両親が千州に行ってしまった場合、自分は一人で東京(のサイタマ)に残るのか、それとも一緒に千州までくっついて行くのか――その決断がどうもテツオにはしづらかった。
「一人で残る」と言うと、「あんまし両親なんかと一緒にいたくない」という理由が濃厚に出すぎてしまうような感じがした。別にそんなつもりはないが、しかしそんなつもりが全
然ないというわけではない。しかも困ったことに、「一人で残る」と言うと、お母さんは、「あんたもそろそろ親がウットウシイ年頃なんでしょ」と言うかわりに、「そうよ、あんたも自立していい年頃なんだもん」と、平気で言ってしまう人なのだった。
 あんまし、自分の母親をそんな風に喜ばせたくない。
 テツオのお母さんは、「日本の男は乳離れをしていなくて、自立という考えがない」という主義のくせに、平気で会社人間のお父さん相手の専業主婦をやっている現実主義者で、なかなか理屈だけでは割り切れない。そういう、かなり混濁した理想主義者に対して、「僕は新しい日本男児なので、高校を出たら独り暮しの自立をします」という宣言をするのは、なんかウソ臭いような気がした。「第一、ここで自立なんかしたら、自分の両親に対する関心なんか一挙に風化しちゃうよな」と、テツオは己れの心の中の真実の声を、よく知っていたのだった。
 自立するということは、「自立して互いに愛情をもった生活を営むことなのだ」というのが、お母さんのどうやら信じているライフスタイルだったが、テツオは、精神的にはもうとうの昔から、「自分は自分」の自立精神を持っていたので、「ここではっきり独り暮しをしたら、もう完全に〝関係ない〞状態になっちゃうしなァ」と、そのえにしの薄さを危惧してしまった。
 そういう息子の精神性を知らずに、千州へ行ってしまった両親が〝仕送り〞というのをするのは目に見えていたから、「親は親で関係ないしなァ」と思いながら、親から金をもらって勝手気ままな独り暮しをするという極楽状況を選択するのは、どうやらあんまり精神的にもいいことだとは思えなかった。
 最近はいささか景気が悪いとはいえ、ハイテク日本の電気製品メーカーに入って、千州地区を統括する比良野支店の支店長代理になるくらいだから、お父さんの給料は悪くない。お父さんの給料が悪くないとは言っても、やっぱり親子は(息子が金を稼がない限り)一世帯に同居した方が、経済効率もいいんじゃないかなァというのが、不思議に考え深いテツオの発想だった。
 お母さんは、専業主婦のくせに自立第一主義の経済分散型人間で、「同居の方がとりあえずは、ムダな出費を抑えられるんじゃないの?」という考え方をしなかった。しないからこそ、テツオの方がそういうことを考えた。考えたけれども、うっかりそういうことを言うと、理念の方が過剰に強いお母さんから、「結局あんたは乳離れしたくないから、そういう
チマチマしたつまんないことを考えんのよォ!」という粉砕にあってしまうのだった。
 どうやらお母さんは、「家族=愛、家族だけ中心主義=悪、大家族主義=封建制度の悪のかたまり」と考えているようだった。テツオにはなんとなくそのように思えたけれども、そんなことをうかつに口にしたら、「なに考えてんのォ!」と、合理主義者のお母さんに粉砕されてしまう。テツオの、「どっちにしようかな、神様の言う通り」主義は、うかつなことを言うと純粋理論主義者のお母さんに、「バカじゃないのォ?」と粉砕されてしまう日常の結果だった。
 粉砕されてしまう以上うかつなことは言えないのだが、しかし自分のまだ発言していない言葉が、たんびたんびに渦状星雲のような拡散を強いられることにばかり遭遇しているテツオは、いつの間にか、「真実というものは、〝うかつには言えない〞の〝うかつ〞部分にきっと隠されているのだ」と信じるようになっていた。
「東京に残る」とも言いづらい、「千州に行く」とも言いづらかったテツオは、ちょうど大学受験の時だったから、「どうするか分かんないけど、とりあえずは千州大学も受けてみる」という選択をした。
 取りこぼしのない選択をして、「どうしてあんたはそうマヌケなのよ」と言われることだけは回避したいと思う、ほんのちょっぴりミエっ張りのテツオは、そうして、自分の都合とは関係なく、親の都合とも関係なく、誰とも関係のない国立千州大学の判断基準だけに従って、ここ千州の比良野市に来ていたのだった。
 その、「どっちにしようかな、神様の言う通り」主義者のテツオが、「なァ、キーポン」という情けない声を出したのは、もちろん、ここんところお母さんが、ますます「市のやり方に対するいきどおりを深めている」からだった。
 比良野市と比良野市長は、ここんところ、ますます「環境保護派の市民の神経を逆撫でする」ような方向に突っ走っているのだった。

第五章 了

※誤植などは適宜修正しています。編集部(2021年11月5日)

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