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橋本治『人工島戦記』#20 老中様の手の中で

2021年の話題作の一つである、橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』。その試し読み連載です。12月20日から大晦日をまたいで1月5日まで、毎日一章ずつ公開。題して「年越し『人工島戦記』祭り」!(連載TOPへ


イベント情報

2022年1月5日(水)、編集者・文筆家の仲俣暁生さんと、物語評論家・ライターのさやわかさんが『人工島戦記』をめぐる対談イベントを開催します。詳しいお知らせは、主催ゲンロンカフェのウェブサイトでご確認ください。


第いち部 低迷篇

第二十章 老中様の手の中で

 悪い商人がいる。比良野屋である。悪い老中がいる。老中日本国家守ひのもとこつかのかみである。
 悪いやつは、必ず尻っ尾を出さないようにして、モソモソと悪い計画を練るものなのである。
「尻っ尾を出さないようにする」ことを「言質げんちを取られないようにする」と言う。うっかりへんなことを言って相手に尻っ尾をつかまれないようにしながら、しかし相手の気をもたせて、なんとなく「仲よくしようね」状態を持続させることである。つまり、悪人同士の相談は、「ふっふっふ、御老中様は、どうやらあのように・・・・・・・・・おっしゃっておいでだし……」「ふっふっふ、どうやらこのように・・・・・・・・・申しておけば、比良野屋に万一のことがあっても、こちらは安泰……」という、かなり大ヤバの信頼関係をお互いに妄想しながら進む、ということな
のである。
 老中は比良野屋をあおって、自分においしいような状況を作ろうとした。比良野屋はそれを真にうけて、「じゃァ、悪いことしようかな」と思った。がしかし、悪いことをする比良野屋よりも、何も悪いことをしない老中の方がずーっと悪いやつだというのは、時代劇の江戸時代の水戸黄門的常識なのであった。
 実は、老中が「おいしい話」をもちかけたのは、比良野屋だけにではなかった。老中日本国家守は、比良野屋においしい話を持ちかけるのと同時に、しかも比良野屋より堅実で実績のある野圃のぼ屋にも、同じような話を持ちかけていたのであった──。
 比良野屋の商売は、流通仲買のおろし問屋だった。比良野屋の前にある道をズーッと行ったところにある野圃屋は、鉄を作って売る製鉄屋だった。比良野屋の前には港があって、野圃屋の前にも野圃屋専用の港があった。比良野屋の港は、底が遠浅状態に近いものだが、鉄を運ぶ船の着く野圃屋の港は、重い鉄を載せた船が出たり入ったりしても大丈夫なだけの十分な深さがあった。野圃屋も比良野屋も、まだ国際的港湾業界ではおんなじように二流であったのだけれども、バブル音頭に浮かれていた悪い老中日本国家守は、「お前達、どっちも・・・・一流にならないか」という、おいしい話を持ちかけていたのである。
 野圃屋と比良野屋の両方を召し寄せた老中日本国家守は、おごそかに言った。
「比良野屋、野圃屋、その方達両名に、おかみかみより〝一流になってもいいぞ〞のお許しが出た。つつしんでこれをいただくように」
 比良野屋と野圃屋は、二人揃って「へへー」と頭を下げた。この際大切なのは、老中日本国家守が名前を呼んだ順番が、「比良野屋、野圃屋」だったということである。お上の世界では、序列というものがなによりも重要なものなのであった。「比良野屋、野圃屋」と続けられることは、「比良野屋の方が野圃屋よりも格が上」ということなのである。
 続けて、悪い老中日本国家守は言った。「お上の仰せである。〝一流になってもいいぞ〞のお許しは、野圃屋、比良野屋の順であると心得よ。よいな」
 比良野屋と野圃屋は、また二人揃って「へへー」と頭を下げた。今度の時は、野圃屋の顔が光栄に輝いて、比良野屋の顔は、「なんだっつーんだ」的な不満にくすぶっていた。
 御老中の言うことは、「店の格としては、比良野屋が第一、野圃屋が第二である。がしかし、〝一流になってもいいぞ〞のお許しは、野圃屋の方に優先権がある」だった。
 比良野屋は、もちろん不満だった。「お江戸ではともかく、千州では家格かかく随一の比良野屋が、どうして野圃屋の後に続かなきゃならねーんです?」と思った比良野屋は、後になって一席を設けて、御老中様に「事の真意」をお尋ねしたのであった。
 自分が〝二番目〞になってしまったので文句タラタラの顔をしている比良野屋に向かって、御老中様は言った。
「よいではないか、比良野屋。いかに〝一流になってもいいぞ〞のお許しが出たとて、一流になるためには金がかかる。〝さっさと一流になれ〞と申したとて、このところの鉄鋼商いは、そうそうよいものではない。果して野圃屋にその金の都合がつくか──。な? その時は比良野屋、お前のところにお許しの番が回って来る。お前も、千州一を言われる大商人あきんどだ。公儀も、比良野屋びいきばかりをしておるなどと、いらぬ噂は立てられたくはないということじゃ。な?」
 この「な?」と言って念を押すところで、比良野屋は「ふっふっふ」と笑い、御老中様も「ふっふっふ」と腹の中で笑って、「どうやらあのように・・・・・・・・・」「どうやらこのように・・・・・・・・・」対談は勝手に成り立って行くのだった。

 老中日本国家守は、比良野屋がイケイケになってパーッと派手なことをやってくれると嬉しいんだが、表向きはそうも言えない。もしそう言って、イケイケの比良野屋がコケでもしたら、その責任が自分のところに回って来るので、いざとなったら、「ハテ、ワシは何も知らぬのに」体制を作っておく必要があった。
 つまり、御老中様は、特別に「何をしろ、何をしてもよいぞ」と言ったわけではないのだった。御老中様は、「一流になってもいいぞ」のお許しを出しただけ・・・・・で、具体的に「何をしろ」と言ったわけではない。「どうすれば一流になれるか?」の具体的プラン作りは、比良野屋と野圃屋に任せられたのである。
 そのプランがよくて日本中が喜んだら、「それは、ワシが〝せよ〞と申したのだ」と言って、御老中様のお手柄。そのプランが悪くて日本中が怒ったら、「ワシは知らぬぞ」と言って、御老中様の責任はなし。すべては、「悪徳商人比良野屋の奢おごった罪」ということになるような仕組になっているのだった。
 というところで、現代に戻る──。

第二十章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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