見出し画像

待ち会、ふたたび 千早茜「ときどき わるい食べもの」

新直木賞作家となった千早茜さんのもうひとつの代表作、「わるたべ」シリーズが早くもHBに帰ってきました! 直木賞選考会当日、編集者たちとの「待ち会」はこんなことになっていたようで……華やかな受賞会見の舞台裏が垣間見えるエッセイです。
[不定期連載]

illustration:北澤平祐


 どんよりとしながら竹の皮を水に浸していた。からからに乾いた茶色い竹の皮はなかなか柔らかくならない。
 体調がひどく悪かった。ベッドで湯たんぽを抱きながら横たわっていたいのに、今日は十六時に新潮社へ行かねばならなかった。ふたたび、待ち会があるのだ。
『こりずに わるい食べもの』を読んでいない人のためにもう一度説明すると、「待ち会」とは文学賞の選考会などがあるとき候補者が編集者たちと結果を待つために催す会のことをいう。

 大事な日はだいたい体調が悪い。昔からだ。いや、小説家デビューした頃からかもしれない。授賞式、講演会、対談、サイン会……自分の都合ではずらせないイベントがある日に限って体調が悪くなる。これは緊張のせいではなく、月のものがばっちりぶつかるせいだ。おまけに、私は持病もあって絶不調になる。要するに、間が悪い。
 この間の悪さを、デビューの頃から担当だったT嬢は熟知している。いつも私のワンピースをめくりあげ背中にカイロを貼り、青い顔をしている私のそばで「またですか。もうお約束ですね」とカレーを食べていた。

 話を戻そう。その日は直木賞の待ち会であった。直木賞は受賞が決まったらすぐに全国に中継される記者会見がある。そのため、どこで待っているか、すぐに記者会見場に駆けつけられるか、リモートにするか、誰と待つか、担当編集者の連絡先は、念のため待っている場所の固定電話は、と猛烈な勢いで事前確認される。逃げ場がない。作家という社会性のない人種を信用していない気配がひしひしとするが、他賞とはいえ待ち会に遅刻したことがある身としてはなにも言えない。当日になって「やっぱり家で待ってます」と言える雰囲気ではない。よって、私は水を張ったトレイに竹皮をじゃばじゃばと浸し、酒瓶で重しをして、洗って浸水させた新潟米を炊飯器にセットした。

 なぜ竹の皮か。それは、待ち会が持ち寄り制だったからだ。神楽坂にある新潮社クラブという古民家で、担当編集者たちとわいわい食べながら待とうということになっていた。
 最初、一月ということもありガレット・デ・ロワにしようという話がでた。フランスの郷土菓子で、アーモンドクリームが入った模様の美しいパイのようなものである。みんなで集って切り分ける。中にフェーヴという陶製の人形がひとつ入っており、それが当たった者は王冠を被り、一年間、幸運に恵まれるという。イベント感があっていいんじゃないかと盛りあがり、はたと「自分が当たってしまったらどうしよう」と一抹の不安がよぎった。王冠は被れたのに、賞自体は落選だったら場が気まずくなる。私のネガティブオーラを感じたのかガレット・デ・ロワは流れた。

 新潮社の担当の中で一番食いしん坊なYさんに「なにか持ってきて欲しいものはありますか?」とメールすると「ウメのおにぎりが食べたいです」と速攻で返事がきた。「ウメのおにぎり……」てっきりケーキとか華やかなものをリクエストされると思っていたので面食らう。ウメとは候補作『しろがねの葉』の主人公だ。作中には確かに握り飯を作る場面がある。しかし、ウメは物語にしか存在しないので、おにぎりを作るとしたら私だ。「私が握るものでいいんでしょうか」「はい、ぜひお願いします」「Yさんは他人が握ったおにぎりが平気なのですか」「はい、むしろ人の握ったものが食べてみたいです」というようなやりとりがあり、私は手作りおにぎりを持参することになった。
 どうやらYさんはおにぎりが好物らしかった。自分のでも、人のでも、どんとこいらしい。他人の握ったおにぎりがどうも受け付けない私からしたら食の絶対強者だ。思えば、『しろがねの葉』の取材で三日間、石見いわみ銀山周辺の山々を歩きまわったときもYさんは食欲旺盛だった。仙ノ山せんのやまの頂上で私がドライフルーツ入りのパンをかじっていたらYさんの視線を感じたので、「いります?」と訊いたら「ありがとうございます!」と三分の一ほどむしり取っていったことがあった。トンビが獲物をかっさらうが如き速さだった。

 彼女の純度の高い食欲を満たさねばと思い、ネットで竹細工の店を探し、竹の皮を買った。ウメは戦国末期から江戸時代を生きた女だ。ラップで包んだおにぎりではいけない。竹の皮を水に浸けて充分に湿らせ、よく拭いて、端を細く割いて紐を作る。Yさんは新潟の酒が好きなので、炊きたての新潟米を粗塩をまぶした手でぎゅっぎゅっと握る。三角をふたつ並べて、塩だけで漬けた梅干しをひとつ。それを竹の皮で包んで、竹の紐で結んだ。まるで、トトロのお土産のような、どっしりした素朴な包みができた。よし、と悦に入って、こんな体調の悪い日になにをしているんだろう、と思った。米が余っていたので、焼きたらこのおにぎりを数個作って、普通にラップで包んだ。なんとなく、ひとつだけ梅干し入りを作ってしまう。

 おにぎりと菓子と中国茶器が入った紙袋は重かった。ますます具合の悪くなった私は新潮社クラブに着くとすぐにこたつで丸まった。編集者たちは楽しそうにカツサンドやわらび餅やマカロンなんかをテーブルに広げている。
 Yさんに「約束のものです」と竹皮の包みを渡すと「おー、ウメのおにぎり!」と歓声をあげた。良かった正解だったと思っていたら、Yさんがおもむろにおにぎりにかぶりついた。「受賞連絡があったときに食べるんじゃないんですか?」と思わず声をあげてしまう。Yさん「いえ、いま食べます」と涼しげな顔でもぐもぐしている。え、単に食べたかっただけ? 待ち会、関係なく? と混乱している間に、Yさんはふたつとも平らげてしまった。他の人たちもおにぎり欲が刺激されたのか「私も食べていいですか?」とおにぎりに手を伸ばす。このままではおにぎりがなくなってしまうと焦り、私もひとつ取った。頬張ると、中は梅干しだった。当ててしまった……ガレット・デ・ロワをやめた意味がない……と呆然として見まわすと、もうおにぎりはひとつもなかった。選考会がはじまってまだ三十分足らずの出来事だった。連絡がくると言われている時間まであと一時間半以上ある。なんだろう、これ。

 なんだかピークを越えてしまった感があった。配られる菓子を食べ、中国茶を淹れた。新しく下ろした梅の刺繍の茶巾に、茶はウメの最後の夫となる龍にかけて「龍鳳峡高山茶」にした。菓子は愛する虎屋の「夜の梅」。願もかけ疲れ、おにぎりを食べたあとに飲んだ薬も効きはじめ、うとうとしだした頃合いに電話が鳴った。結果は報道の通り。喜ぶ編集者たちと記者会見の会場へ行き、次の日の打ち合わせを終えたら私はもうぐったりで、家に帰って作り置きのミネストローネを食べて湯船に浸かって寝た。Yさんたちは日付が変わるまで祝杯をあげていたらしい。

 担当編集者たちはタフだ。間の悪い私がぐったりしていようが、食べられるときに食べ、飲めるときに飲んでいる。私より彼女たちのほうが真の「わるたべ」野郎な気がする。
 今回、Yさんに「『わるたべ』に書いてもいいですか?」と訊いたら「あの日から覚悟していました」との返答だった。どこか見透かされている感じがずっとある。

 ちなみに、直木賞を受賞してからはエッセイ地獄だった。受賞の言葉から新聞各社の受賞エッセイ、文芸誌の直木賞記念エッセイなどなど、二週間で九本書いた。これが十本目である。もし「わるたべ」をやっていなかったら、エッセイが苦手な私はとてもこなせなかっただろう。T嬢はこの日のために私を鍛えてくれていたのだろうか。だとしたら、ちょっと怖い。

       連載TOPへ  次の話へ>

【ときどき わるい食べもの】
不定期更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『男ともだち』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『ひきなみ』など。エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『胃が合うふたり』(共著・新井見枝香)がある。
Twitter: @chihacenti

関連記事

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

更新のお知らせや最新情報はXで発信しています。ぜひフォローしてください!