第6回 〈ボンカレー、焼津、おから〉+〈なぜだろうハンサムトリオ〉=昭和は遠くなりにけり 姫野カオルコ
幼い頃から人の顔色を窺うと同時に、「顔」そのものをじーっと見続けてきた作家・姫野カオルコ。愛する昭和の映画を題材に、顔に関する恐るべき観察眼を発揮し、ユーモアあふれる独自理論を展開する。顔は世につれ、世は顔につれ……。『顔面放談』(集英社)につづく「顔×映画」エッセイを、マニアック&深掘り度を増して綴る!
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《出張で焼津に来ています》
当項の担当編集者さんからのLINE。
「やいづ……yaizu……」
焼津といえば、高齢読者には、
「おから」
が浮かぶ人が(どこかには)いるはず。
さらに、
「ボンカレー」
「七変化のお姫様」
も。
しかし、健やかな子供時代を送った、さわやかな高齢者の場合、「おから」も浮かばぬであろう。
健やかなる時間は紙テープ。接着力がない。過去はくっつかない。
かやこすなる時間は工業用ガムテープ。接着力がある。
かやわさな高齢者は、焼津・おから・ボンカレー・お姫様の連想を、録音録画に録臭(造語)して克明におぼえている(「かやこす」、「かやわさ」、ってのは……まあ、逆さに読んでみてくださいましよ。漢字は禍鵺虚巣、禍鵺窪鎖ってとこかな)。
高度経済成長期の日本。TVがメディアと娯楽の王であった。『素浪人 月影兵庫』ならびに、ほぼ同じ設定と主演者の『素浪人 花山大吉』という人気ドラマがあった(以下、〈花山大吉〉とする)。
この時代の人気ドラマの視聴率は、現在のTVドラマの視聴率の相場とは比較にならなかった。
爺さん婆さんから、保育園年少さんまで、幅広い世代が、同時刻に、家に一台きりのTVの前で、そろって見ていたのが〈花山大吉〉だ。
先に挙げたアイテムは、すみません、何ももったいぶることなかったね、たんに往年の人気TV番組にまつわるものです。
剣が立つ渋い風体の浪人、花山大吉は旅をしている。なぜ旅をしているのか、明かされた回もあったと、この番組について検索すると記されているのだが、放映時に子供だった視聴者は、「刀を持ったこの人は旅をしているのだ」と鵜のごとく呑み込んだ。同じ「昔のはなし」でも、NHK大河とちがって、子供にもわかるコミカルなすじなので、すじにひきこまれてしまった。
花山大吉を慕う渡世人も旅についてくる。「おいら、やいづのはんじ、ってんだ」と道中で会う人に自己紹介するので、これまた子供視聴者は、「このおどけた若い男は、やいづのはんじ、という人なのだ」と呑み込み、キャスティングロールに出る筆文字*で「焼津」と書くのだとおぼえる。
「おぢいちゃん、焼津って何?」
「そういう所があるのぢゃ、静岡県ぢゃ」
みたいな会話を、TVの前に勢ぞろいした家族とかわした、かつての子供視聴者もおられるであろう。禍鵺窪鎖(かやわさ)な家にあって、めずらしくなごやかな会話だったなと。
*過去回でもふれたが、かつての映画TVのロールは美しい肉筆だった*
おどけ者の焼津の半次は、花山大吉のことを「おからの旦那」と呼んだりする。大吉の大好物がおからだからである。
かつての子供視聴者が、やがて大人になって、「焼津の半次はおからが好きだった」とケアレスミスの記憶をしているケースが少なくないのは、静岡県から離れた土地在住の子供にとって、「焼津」という地名の遠さかげんと、「おから」という身近な食べ物との組み合わせの対比で、アイテムだけ強く記憶されたものと思われる。
おからをアテに酒を飲む花山大吉を演じていたのは、松方弘樹の実父、近衛十四郎。殺陣のかっこよさは天下一品と絶讃された時代劇俳優。勿論、子供視聴者だった当時は、こうした知識はなかった。
侍がよく似合うなあ、と好感は抱いていたものの、子供なのでどうしても、アクションが大きく、そして若い、焼津の半次のほうに目が行った。
じっさい焼津の半次は、人気があった。だから、世界初の市販用レトルトカレーであるボンカレーのCMに起用された。
カップの封を切ってお湯を注ぐだけでラーメンになる日清カップヌードルもそうだが、鍋のお湯であたためれば、ちゃんと具材の入ったカレーができて、ごはんにかけるだけでいいという大塚のボンカレーも、それはそれは画期的だった。
えっと驚くこのカレーを、アップに結ったヘアに着物をお召しになってお淑やかに宣伝していらしたのが松山容子である。
『琴姫七変化』というTV時代劇の主演をした女優だ。
高度経済成長期、TVドラマでは時代劇が(というより、どフィクションとしてのチャンバラが)幅広い年齢層に人気が高かった。
第11代将軍・徳川家斉の末娘でありながら、江戸城を飛び出して冒険の旅に出るお姫様を演じた松山容子は、男性にも人気があったろうが、少女の憧れの的の、大人気TV女優だった。四国愛媛出身。
『琴姫七変化』は、四国鳴門を創業の地とする大塚の一社提供であった。もとは化学原料メーカーで、点滴用製剤も作っていて、これがボンカレーに役立った。具材の入ったカレーを、鍋のお湯であたためても破れたり、中身が壊れたりしないよう、点滴液を高温処理で殺菌する技術を袋に応用したのだそうだ。(ボンカレーならびに大塚ホールディングスの公式サイトより)。
新発売時¥80のボンカレーの初期CMには、四国出身の(松山容子)琴姫様と、焼津の半次(役の俳優)が、二人で仲良くお湯であたためるバージョンもある。
《ボンカレーは新婚の味》
というコピーがCMの最後にナレーションされるまでの、あたためているあいだには、
♪おれは変わらずボンカレー、同じお前もボンカレー どうせ二人は新所帯♪
という替え歌が流れる。
なんと『船頭小唄』のメロディーに乗せられていた。
「船頭小唄」で動画検索してみればわかる。レコードの出た大正時代には「かような陰気な歌が流行るから関東大震災が来たのだ」というデマが広まったくらい厭世的な歌詞と悲しい曲調の歌である。
そんな歌を、なんでまたCMに使ったのだろうと、ふしぎではあるが、そのふしぎさもパッと吹っ飛ぶ、焼津の半次の歌いっぷりである。〈花山大吉〉で見せる、鼻をヒクヒクさせるような表情が特徴の彼は、明るくたのしく、アップテンポに歌う。
「細かいこった、こちとら気にしないってんだ、さあ、旦那、おからよりカレー食おうぜ」みたいな調子で、ノリのよい歌に変化させていた。
音楽アレンジャーの技術の功績であるのだが、焼津の半次のキャラクターあってこその功績であろう。
『船頭小唄』の次は、『五木の子守唄』の替え歌で、
♪ボンは早よで~き~て 早よ喰え~る♪
と、明るさとたのしさは、初代CMよりさらにレベルアップしていた。
とにかく、半次は陽気だった。
ファンキーモンキーでおどけていた。
さあ、ここでやっと、名前を出そう。
半次を演じていたのは、品川隆二である。焦らせてごめん。
令和六年現在、90歳で(何度かの大病と手術を乗り越え)ご健在の俳優だ。
88歳時の写真を毎日新聞がウェブにアップしており、かつての子供視聴者は驚いた。「美形ぶりは変わらず、ではないか」
と。
焼津の半次を演っていた品川隆二しか知らない、かつての子供は、彼と「美形」という形容の組み合わせに違和感をおぼえるかもしれない。半次を、なつかしく思い出せるかつての子供ほど、違和感が強いかもしれない。
そんな、禍鵺窪鎖(かやわさ)な読者には、今日はぜひ品川隆二についてのミニミニ情報(昭和な表現)をお伝えしよう。
もしかしたら既知の事柄やもしれぬが、家の住人全員がTVの前にいようとも、笑い声ひとつたたなかった家で、半次の愉快でファンキーモンキーな様子は、後年にも記憶されていると思うから、数少なくはあった胸中だけのたのしい思い出をふりかえるひとときとしてとしてお読みいただければと。
品川隆二は、「ミスター日本」コンテスト(スポニチ+大映のイベント)でベスト5入りして大映に入社し、大映は彼を二枚目俳優として売り出しにかかったのである。
通行人的な出演ではなく、役がつき始めた『娘の人生案内』では主人公のお兄さん役、『誘拐魔』では新人刑事役を演じた。
大きな役がついたのは市川崑監督の『日本橋』。
原作=泉鏡花、脚本=和田夏十、主演女優=淡島千景、山本富士子。これだけで物語背景である明治時代の美術も豪華なことがわかる、昭和31年度芸術祭参加の大映映画。ヒットした。
明治の芸者さんに扮した淡島と山本の、島田髷を高く結って帯を締めて裾の長い着物に草履を履いての、あでやかな所作は、令和の女優ではもう見せてもらえない、まさに美の競演。
この映画で、品川隆二は、淡島千景扮する芸者から惚れ抜かれる東大医学部の先生に扮している(鏡花の原作では「国手」と書いて「せんせい」と読ませている)。
大学構内に専用の部屋を二部屋も与えられている東大医学部の先生は、出演時の品川の年齢(23歳)からすれば若すぎるが、小津映画で、笠智衆がある映画では原節子の父、次の映画では原節子の兄になったりしているのでもわかるように、五社協定(*後述)がきつかったころは製作映画会社が自社俳優を作品に出すので、俳優の実年齢と演ずる役の年齢はぜんぜん合わないことが、あたりまえにあった。
で、品川扮する先生は、早くに親を亡くし、姉の自己犠牲的苦労で学位を得たことに悩んでいる。まじめ一本槍を通り越して、辛気臭さ一本槍の性格。いやあ、辛気臭いのなんの。横浜市のゴミの分別より辛気臭い。
大映から東映系会社に移籍してから出演した、小沢茂弘監督の『新選組血風録 近藤勇』(1963)では、沖田総司役である。こっちは地味。
この映画での品川は、やむなくの事情での映画会社移籍だったことや、時代劇俳優に欠かせない殺陣の技術もまだ本格的に習得していなかったせいか、出演場面もセリフも少ないため、地味さだけ目立つ。颯爽とした役どころを、木村功扮する浪人が請け負っているので、よけいに地味に見える。
ただし映画そのものは、幕末ものによくある単純二分割(新撰組をひとえに良いもんする/ひとえに悪もんする)タイプではなく、秀作。二分割ではあるが、あまりな二分割ではなく、ゆえにチャンバラシーンが重厚に仕上がっている。流血の迫力とアクションもいい。
「ううむ、やっぱ殺陣は東映だのう」と、いっぱしの時代劇ツウぶりたくなるのは必定。焼津・おから・ボンカレーに関心がわかない方でも、時代劇好きならお薦め。配信あり。
またTV時代劇でも、品川は、〈花山大吉〉の後番組である『さむらい飛脚』で、クールで寡黙な黒い着流しの浪人を演っている。TVドラマとあって、二のセンの役柄ではあるが辛気臭くなく、派手で、さまになっている(目下、東映の公式チャンネル・東映時代劇YouTubeで第1話と第2話が見られる)。
品川隆二本人は、こうした二枚目の役のほうが、もしかしたら好きだったのかもしれない。
「好き」というのは、「顔のいいオレには、こういう役のほうが似合ってるはずなのに」というような意味ではない。二枚目の役のほうが、悩んだり沈んだりする場面があるので、そういう場面のほうに、演技者としての張り合いを感じたかもしれない。世代的に。
しかし、私は88歳時の毎日新聞の記事での写真に言うのである。
「品川隆二は焼津の半次を演って、幸運だっねえ」
と。
若いころの画像を検索すれば、さらに言うのである。
「ものすごく幸運だったと思うよ」
と。
彼は美形である。
同じTV時代劇で大人気となった栗塚旭*と比べても(京都在住同士で比較してみた)、どちらが「美剣士度」が高いかといえば、そうだなあ、僅差で品川隆二かも……。顔だけを見るなら。
*昭和40~60年代の長きにわたり、大衆の土方歳三像は栗塚旭だった。*
大映から「やむなく(東映系に)移籍した」との旨、先述した。やむなき理由というのもこうだ。
永田ラッパ(=大映のワンマン社長、永田雅一の仇名)の一人息子が、自社の女優を好きになってアプローチすると、「あたしは品川さんが好きなの」とハネつけられた。ご立腹の親子が、にわかに品川を冷遇するようになったのだとか。
永田親子側には別の言い分があるだろうが*、さておき、20代の品川隆二は、若い娘さんから「いやん、カレのほうがイイわ」と選ばれてしかりな美男ぶりのピークであった。
*永田ラッパの、他にも多々ある強引冷酷なやり方を鑑みれば、さもありなん、ぶじ移籍できただけでもよかったじゃん、と思ってしまうのは一人二人だけではあるまい。*
しかし、品川のきれいな顔は、見る人によっては、落ち着かなくなるバランスなのである。
くりかえすが、イケメンなのだよ。だが、イケメンだと認識する前に、ちがうもの(要素)が立ちはだかり、そっちに目を奪われるのだ。小山明男くんなのだ。
小さな市の小学校の三年一組で同級だった小山明男くんは、当時の言い方をするならハンサムだった。なのに、クラスの女子の全員は同意してくれない。
女子にいやなことをするわけでも、クラスでしょぼい立ち位置なわけでも、経済的に苦しい家の子なわけでもないのに、ハンサムだと認める前に、別の何かに注意が行ってしまう顔。
小山明男くんは品川隆二と同じタイプのハンサムだった。もう一人、加藤茶を加えて〈なぜだろうハンサムトリオ〉である。
「焼津の半次のイメージがあるからでは?」
「ドリフターズでふざけていたイメージがあるからでは?」
と、読者は思われるかもしれない。
ううん。反対なのだ。
品川隆二の焼津の半次、加藤茶のドリフターズでの活躍は、品川と加藤のような顔だちが活かされた「結果」だと、私は思うのである。
小山明男くんの現在はわからないが、三人の顔に共通するのは、お色気である。
男についてお色気というのは……、どう言えばいいか、「海老蔵には役者色気がある」とか言う時の「お」ナシの色気でも、「津川雅彦・岡田眞澄がエロい。高田美和・鰐淵晴子がエロい」と言う時のエロでもない。ぜんぜんちがう。
「白粉気(おしろいけ)」「白粉っぽさ(おしろいっぽさ)みたいな」とでも言えば、すこし伝わるか。
ドアストッパーに代用できそうな、重たい女性ファッション誌(集英社なら『eclat』とか『SPUR』とか)に夥しく入っている企業(DIORだとかBVLGARIだとかBRUNELLO CUCINELLIだとか写して打つのもメンドウな)の広告写真のモデルがしているような世界に発表すべくの難しいメイクではなくて、おかあさんが、 B.Gさんが、お出かけ前にコンパクトをパチンとあけて、パタパタと顔に白粉(おしろい)をはたいて、ちょこっと口紅を塗ったようなメイクをした後のお色気。
小山明男くんと加藤茶と、そして品川隆二は、顔の造作より先に、顔一面にパッと咲いたお色気のほうに、人の注意が行ってしまう顔をしている。
だから、加藤茶はドリフターズでの大成功を、品川隆二は焼津の半次での大成功を、得られたのだと思う。
ドリフターズでの加藤茶の立ち位置も、焼津の半次のキャラクターも、大衆的な愛嬌を前面に出すように設定されていた。もしこの設定が、難しいメイクのような顔にのっていても、そこそこの成功だったのではなかろうか。お色気のある顔にのっていたからこそ、あれほどの成功をおさめたと思うのである。
*五社協定=ある映画会社専属の俳優は他社製作の映画に出演してはいけない。ある会社専属の俳優を他社が引き抜いてはいけない。とする映画界での協定。破ると干されたりした。松竹、東宝、大映、新東宝、東映が1955年に調印した。*
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連載【顔を見る】
毎月第4金曜日更新
姫野カオルコ(ひめの・かおるこ)
作家。姫野嘉兵衛の表記もあり(「嘉兵衛」の読みはカオルコ)。1958年滋賀県甲賀市生れ。『昭和の犬』で第150回直木賞を受賞。『彼女は頭が悪いから』で第32回柴田錬三郎賞を受賞。他の著書に『ツ、イ、ラ、ク』『結婚は人生の墓場か?』『リアル・シンデレラ』『謎の毒親』『青春とは、』『悪口と幸せ』『顔面放談』などがある。
公式サイトhttps://himenoshiki.com/index.html