第十三話 夏至 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英
第十三話「夏至」
2024年6月21日〜2024年7月5日
「夏至」とは、日本を含む北半球で、1年のうちで太陽の南中高度(真南に来た時の地平線との間の角度)が最も高くなり、日の出から日の入りまでの時間が最も長くなる日のこと。
本格的な夏の始まりで気温も上がりますが、日本の多くの地域ではちょうど梅雨にあたるので、日照時間の長さはあまり実感できないかもしれません。
この時期には、各地の神社で「夏越の祓」が行われます。これは、
一年の前半の穢れを落とし、残りの半年の無病息災を祈願するための神事で、茅や藁を束ねて作った直径数メートルの輪を潜ることで厄災を祓う「茅の輪くぐり」などが催されます。
そして「夏至」の頃を代表する味覚といえば「鮎」です。天然の鮎は、場所によっても異なりますが、11月から6月上旬あたりまでを禁漁期としている河川が多いため、6月下旬から本格的な鮎釣りが始まります。
鮎は爽やかな匂いを持つことから「香魚」と呼ばれ、その清楚で美しい姿は、器の意匠としても用いられています。
そんな「夏至」の器は、古伊万里・柿右衛門様式の『染付 双鮎文皿』。17世紀の末頃に作られた器で、清流の中を泳ぐ二匹の鮎が生き生きと描かれています。
このように二匹の魚を向い合わせて文様化したものを「双魚文」と呼びます。魚は沢山の卵を産むことから、子孫繁栄の吉祥文様とされてきました。
よく見ると、右側の鮎が口を開け、左側の方は閉じていますが、これは仲睦まじいつがいを示す「阿吽の呼吸」で、夫婦和合を表したものと考えられています。
器に盛る『懐石辻留』の「夏至」の料理は『揚げ出し 加茂茄子 花かつを しょうが 大根おろし』。
加茂茄子(賀茂なす)は、京都の上賀茂地域を中心に栽培されてきた伝統野菜のひとつで、夏に旬を迎えます。直径10センチ余りと大きく、果肉が締まっていて形が崩れにくいため、炒物や揚物などによく用いられます。
『懐石辻留』では、皮をむき水にさらした加茂茄子を、油の温度を少しずつ上げながら時間をかけて揚げることで、甘みと旨みを引き出します。
そして、揚げたての茄子におろした大根と生姜をのせ、濃いめのだしに濃口醬油とみりんを加えたつゆをはり、仕上げに鰹節を細く削った「花かつを」を盛って、揚げ出しにします。
うずたかく盛られた「花かつを」は、「夏越の祓」の「茅の輪」の形を思わせます。茄子を食べ終えると、下から鮎が顔を出すというのも、楽しい趣向です。
もうひとつの器は、古伊万里(古九谷様式)の『青磁 牡丹文長皿』 。こちらはさらに古く、約350年前の「古九谷様式」の時代(1640〜1670年代)に作られたものです。
こうした幅六寸から七寸(約18〜21センチ)くらいの長皿(長方形の皿)を「鮎皿」と言います。
懐石料理や本膳料理(冠婚葬祭などの儀礼の時に出す正式な日本料理)で使われる、焼物を盛るための器で、鮎に合うサイズであることからこの名で呼ばれます。盛りつけがしやすいように、見込みの部分が一段低くなっているのが特徴です。
この器に盛る料理は、もちろん『鮎塩焼き たで酢』。
『懐石辻留』では、塩焼きには必ず天然の鮎、しかも骨ごと食べられる「若鮎」を使います。
身を躍らせた姿にするため金串を通し、火の通りにくい頭の近くに炭を置いて、じっくり焼き上げてから、すりつぶした蓼(独特の香りがあり薬味として用いられるヤナギタデの葉)に酢を入れた「たで酢」を添えて供します。
清流を思わせる青磁の器の上に若鮎だけを置き、他には何も添えない盛りつけは、シンプルで美しく、今にも泳ぎ出しそうな生命感にあふれています。
若鮎はすぐに成長し、骨が硬くなってしまうため、まさにこの時期にしか味わうことのできない、至高の一品です。
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/古伊万里
古伊万里は有田、三川内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。
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