第十四話 小暑 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造
第十四話「小暑」
2024年7月6日〜2024年7月21日
「小暑」とは暑さのピークを迎える少し前の頃のこと。日本の多くの地域では梅雨の晩期にあたり、晴れる日が増え、夏の熱気が感じられ、気温が日に日に上昇していきます。
この時期の風習のひとつに「暑中見舞い」があります。夏の盛りに、普段会えない人やお世話になった人の健康を気遣う挨拶状のことで、暑中(「小暑」の始まりから「立秋」の前日までの間)に出すのが礼儀とされています。
そんな「小暑」の器は、フランスのクリスタルガラス製品のブランド「ラリック(LALIQUE)」の『シスル(Thistle)三日月形プレート』です。
クリスタルガラスとは高品位の無色透明ガラスのこと。光の透過率が高く、涼しげな印象を与えることから、和食では夏の料理の器として用いられます。
そして「ラリック」は、フランスのガラス工芸家で宝飾デザイナーのルネ・ラリック(1860~1945)が、1926年にパリで創業したブランド。ジュエリーや装飾品だけでなく、食器も数多く手がけています。
この『シスル 三日月形プレート』は、ルネ・ラリックの息子のマルク・ラリック(1900~1977)がデザインした皿で、クリスタルガラスに「フロステッド技法」(透明ガラスを曇りガラス風に仕上げる技法)で6輪のアザミの花(シスル)が描かれた、盛夏にふさわしい爽やかな器です。
器に盛る『懐石辻留』の「小暑」の料理は『鱧落とし 花穂じそ 莫大 梅肉醬油』。
花穂じそとは紫蘇の花穂(穂のような形に咲く花)のこと。莫大は「ハクジュ」という植物の乾燥した果実を水で戻したもののことで、どちらもあしらいとして添えられます。
鱧はウナギ目ハモ科に属する魚で、和食、とりわけ京料理には欠かせない食材です。梅雨明けの7月上旬から脂がのって旬を迎えますが、それが京都の「祇園祭」(千年以上の歴史を持つ「八坂神社」の祭礼)の時期と重なることから、鱧の料理は京都の夏を象徴する風物詩のひとつとなっています。
『懐石辻留』では、鱧の小骨を「骨切り」と呼ばれる包丁技で切ってから、身を熱湯に通し、すぐに氷水で冷やします。この一連の技を「落とし」と言います。湯に通して余分な脂を落とし、氷水で締めることで旨みを引き出すのです。
鱧の身を山の形に盛り、花穂じそを立てた姿は、あたかも「祇園祭」の「山鉾」(山の形の作り物に鉾や長刀を立てて飾った、祭礼の山車)を思わせます。梅肉醤油をつけていただくその身は、白く涼やかで、栄養価も高く、暑気払いにはぴったりの料理です。
もうひとつの器は、永樂善五郎家十六代・即全(1917~1998)の『仁清写 麦藁飯茶碗』。
永樂即全は色絵、金襴手、染付、交趾など、多彩な技法を使いこなす永樂家屈指の名工であり、仁清写は「京焼の祖」とも呼ばれる野々村仁清(生没年不詳)の陶器の写しという意味です。
そして「麦藁」とは、器の縦方向に規則的に線を引いた文様のことを言います。縦線が麦藁(麦から穂を取った茎の部分)のように見えるため、この名で呼ばれます。
永樂即全の描く「麦藁」は、藍、緑、赤、茶、そして金の五色を用いることで、野々村仁清の色絵の雅趣と清涼感を、見事に表現しています。
この器に盛る『懐石辻留』の料理は『鱧皮ご飯 刻みしそ 白胡麻 針生姜』。
蒲鉾などの練り物を作る際に余った「鱧皮」を利用した料理で、食通として知られる北大路魯山人から『懐石辻留』の先代主人に伝授されたものです。
細く切り、煮切り酒(アルコール分を蒸発させた酒)と濃口醬油で炊いた鱧皮と、刻んだ大葉、針生姜(針のように細く切った生姜)をご飯にのせ、上から煮汁をかけて、炒った白胡麻を指で軽く捻ってから振るという、シンプルな小丼ですが、鱧皮の旨みともちもちとした食感が、驚くほどご飯に合います。
炒りたての胡麻と濃口醬油の香ばしい匂いも食欲をそそる、夏にこそ食べたい一品です。
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/永樂善五郎
室町時代から土風炉(土器の風炉)を制作してきた善五郎家が、向付や皿などの食器を焼くようになったのは、十代了全(1770〜1841)以降のこと。
その了全と十一代保全(1795〜1855)の陶技を高く評価した紀州藩主の徳川治寳(1771〜1853)から「永樂」の銀印を拝領したことを機に、善五郎家は「永樂」を陶号として使うようになった。
十一代保全は歴代の中でも名人として知られ、交趾焼、古染付、祥瑞、金襴手といった中国陶磁の写しを得意とした。
中でも緑、黄、紫など色鮮やかな釉薬を使った交趾写しと、質の高い呉須(顔料)を用いた古染付写しの美しさは、本歌(オリジナルの器)に勝るとも劣らない。
保全の高い技術と美的センスは十二代和全(1822〜1896)以降も脈々と受け継がれ、今も京焼を代表する窯元として、端正にして華やかな器を作り続けている。
【エッセイ・目で味わう二十四節気】
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