第十五話 大暑 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造
第十五話「大暑」
2024年7月22日〜2024年8月6日
「大暑」とは一年で最も暑くなる頃のこと。梅雨が明け、強烈な陽射しが照りつける日が続きます。
この時期に行われる風習に「打ち水」があります。これは水分が蒸発する時に地面の熱を奪い、周囲の温度を下げる「気化熱」を利用した生活の知恵で、玄関前や庭先に水をまいて涼を得るという、夏の風物詩。
そして、打ち水をした庭に花を咲かせるのが「朝顔」です。朝顔は花が涼しげというだけでなく、つるが垣根や簾などに巻きついて日光を遮ることから、気温を下げる「緑のカーテン」の役割も果たしています。
そんな「大暑」の器は、古伊万里の『色絵 草花文輪花皿』。今から200年以上前の寛政から文化年間(1789〜1818)の頃に作られた器です。
輪花皿とは花の形を模した丸い皿のこと。見込みには色絵でカラフルな草花文が、口縁には「墨はじき」で可愛らしい朝顔の花が描かれています。
「墨はじき」とは、器の素地に墨で図案を描き、その上に染付をして焼成すると、墨が蒸発して白抜きの模様になるという伝統の技法で、青藍色の地に白抜きで描かれた朝顔が、浴衣の柄のような涼感を表現しています。
器に盛る『懐石辻留』の「大暑」の料理は『うなぎ白焼 山葵 塩』。
日本では古くから、暑気あたりの予防のために鰻を食べており、それが「夏の土用(立秋の前の約18日間)の丑の日に鰻を食す」という習慣として定着しました。
「土用の丑の日」は「大暑」と重なることが多い(今年は7月24日と8月5日)ので、鰻は「大暑」の時期には欠かせない食材となっています。
『懐石辻留』では、背開きにした鰻をまず炭火で焼いてから、蒸し器で10分ほど蒸します。そして再び炭火で焼き、さらに両面に日本酒を塗りながら炙って「白焼」にします。醬油や味醂などは一切使わず、塩と山葵だけを添えて供します。
焼き上げた鰻の丁子色と、器の口縁の青藍色は補色に近いため、重ね盛りにした鰻の輪郭が鮮やかに浮かび上がります。
そして口に含めば、かぐわしい香りが鼻腔をくすぐり、脂の甘みが舌に広がって、思わず笑みがこぼれます。
もうひとつの「大暑」の器は『サンルイ 金彩ロココ装飾文 ティーボール&ソーサー』。
「サンルイ(Saint-Louis)」は、1767年にフランス国王ルイ15世(1710〜1774)から「サンルイ王立ガラス工房」の称号を与えられた、フランス最古のクリスタルガラスブランド。グラスや皿などのテーブルウェアから、花瓶や照明といったインテリアに至るまで、さまざまな製品を手がけています。
この『ティーボール&ソーサー』は、1890年代に紅茶を飲む器として作られたもの。クリスタルガラスにエッチングと金彩で、ロココ様式(ルイ15世時代のフランスを中心に欧州で流行した美術様式)の文様が描かれています。
「サンルイ」のガラスは透明度が高く、金彩にも上質な金が使われているため、気品と風格があり、和食の器として使っても違和感がありません。
器に盛る料理は『冷物 蓴菜 山葵』。
「冷物」とは、和食で「水や氷などで冷やして食べる料理」のことを言います。
蓴菜はスイレン目ハゴロモモ科の水草で、ゼリー状のぬめりに包まれた若芽(未発達の葉と茎)の部分を食べます。味そのものは淡白ですが、その見た目と、つるりとした喉ごしに清涼感があることから、夏の「冷物」によく用いられます。旬の盛りは6月から7月末までと短く、新鮮なものほど食感が良いとされています。
『懐石辻留』では、秋田産の蓴菜の中から新鮮で小粒なものを選び、ほんのわずかな濃口醬油と山葵を加えて、その自然な風味を引き立てます。
金彩の器の中で緑青色に煌めく蓴菜は、まるで翡翠かエメラルドのよう。目にも舌にも美しい、夏限定の一品です。
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/古伊万里
古伊万里は有田、三川内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。
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