見出し画像

第十六話 立秋 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
[二十四節気ごとに更新 はじめから読む

Photo:岡田敬造、高野長英


第十六話「立秋」

2024年8月7日〜2024年8月21日

 「りっしゅう」は立春、立夏、立冬とともに四季の始まりを意味する「りゅう」のひとつ。「秋が立つ」と書くように「秋の気配が立ち始める」頃のことです。
暦の上ではここから秋が始まりますが、実際は夏の盛り。まだまだ暑い日が続きます。
 
 この時期の風習に「残暑ざんしょ見舞い」があります。「立秋」以降の暑さのことを「残暑」と呼ぶため、お世話になった人の健康を気遣う挨拶状も「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に変わります。
 
 そんな「立秋」の器は、永樂善五郎家十一代・保全ほうぜん(1795~1854)の『染付 扇面せんめん向付』です。

  永樂保全は永樂家歴代にあって、最も技巧に優れた陶工のひとり。染付そめつけしょんずい、赤絵、こう金襴きんらんなど、中国の古陶磁の写しを得意とし、いずれも完成度が高いことから、あお木米もくべい(1767~1833)、にん阿弥あみ道八どうはち(1783~1855)と共に、幕末の「京焼三大名工」に数えられています。
 この器は古染付(中国みん時代末期の天啓てんけい年間(1621~1627)頃に中国江西こうせい省の景徳鎮けいとくちん民窯みんようで作られた染付磁器)の写しと考えられていますが、古染付よりも上質な呉須ごす(染付の顔料)を用い、丁寧な絵付けと焼成が施されています。
 
 そして「扇面向付」とは、扇のがみ(扇に張るために形を合わせて切った紙)の形をした向付のこと。涼しげな印象を与えるため、残暑の時期にぴったりの器です。
 器の中心には、水墨画を思わせるタッチで、中国の文人らしき人物が囲碁に興じる様子が描かれています。場所は山巓さんてん(山の頂上)にも見えますが、器の側面に船と釣り人が描かれていることから、はんであることがわかります。

 永樂保全はきょうのう派の狩野永岳えいがく(1790~1867)から絵画を学んでおり、その筆遣ふでづかいは実に見事です。
 
 器に盛る『懐石辻留』の「立秋」の料理は『あこう湯引き みょうけん 青とさか むら芽 梅肉醬油』。

 青とさかは鶏のとさかに似た形の海藻、むら芽は赤紫蘇しその若芽のことで、どちらもあしらいとして添えられます。
 あこうはスズキ目ハタ科の魚で、標準和名はキジハタ。上品な白身ですが、夏でも脂がのっていることから、大阪など関西地方では「冬のフグ、夏のあこう」として珍重される高級魚です。
 
 『懐石辻留』では、あこうの余分な脂を落とすため、40~45度のお湯で洗ってから氷水に落とす「湯引き」にします。こうすることで身を引き締め、旨みを引き出すのです。
 
 薄紅うすべに色をまとったあこうの白い身を真ん中に、夏草に似た青とさかと、紅葉を思わせるむら芽を左右に配置した盛りつけが、夏から秋への季節の移ろいを表現しています。
 
 もうひとつの器は、五代中村宗哲そうてつ(1764~1811)の『よしぬり 煮物椀』。

 中村宗哲は初代から当代(十三代)まで約四百年続く塗師ぬし(漆芸家の古称)の家門。中でも五代宗哲は、茶の湯、書画、俳諧に造詣が深い人物で、数多くの名品を残しています。
 そして「吉野塗」は、奈良県吉野地方で作られていた漆器のこと。元々はこの地方の特産品ですが、豊臣秀吉(1537〜1598)が吉野山の花見をした時、同行した茶人が見出し、その様式を茶の湯道具に取り入れたとされています。くろうるしの地にしゅうるしで文様化したもくようの花が描かれているのが特徴です。
 木芙蓉の花は8月から9月にかけて見頃を迎えるため、初秋の器としてよく用いられます。
 
 この器に盛る料理は『すまし仕立て だいそうめん 結び卵 つる菜 あお柚子ゆず』。

 「小鯛そうめん」は、茹でた素麺そうめんを小鯛(鯛の幼魚)の身で包んだ『懐石辻留』の名物料理。「すまし仕立て」は、丁寧に引いた一番だしをわずかな塩と薄口醬油で調味し、透明なつゆに仕立てた椀物のこと。
 
 小鯛の身からもだしが出ているため、その澄んだ色からは想像できないほど味わいは深く、たっぷりとつゆを含んだ素麺を食べれば、昆布、鰹節、小鯛、三つの旨みが舌の上で調和し、至福の美味へと昇華します。そして、添えられた青柚子の爽やかな香りが、夏の名残を感じさせます。

プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/永樂善五郎

 室町時代から土風炉どぶろ(土器の風炉)を制作してきた善五郎家が、向付や皿などの食器を焼くようになったのは、十代了全(1770〜1841)以降のこと。
 その了全と十一代保全ほうぜん(1795〜1855)の陶技を高く評価した紀州藩主の徳川治寳とくがわはるとみ(1771〜1853)から「永樂」の銀印を拝領したことを機に、善五郎家は「永樂」を陶号として使うようになった。
 十一代保全は歴代の中でも名人として知られ、こうやき、古染付、祥瑞しょんずい、金襴手といった中国陶磁の写しを得意とした。
 中でも緑、黄、紫など色鮮やかな釉薬を使った交趾写しと、質の高い呉須(顔料)を用いた古染付写しの美しさは、本歌(オリジナルの器)に勝るとも劣らない。
 保全の高い技術と美的センスは十二代和全(1822〜1896)以降も脈々と受け継がれ、今も京焼を代表する窯元として、端正にして華やかな器を作り続けている。

<前の話へ  連載TOPへ  次の話へ>

【エッセイ・目で味わう二十四節気】
二十四節気ごとに更新

更新のお知らせや最新情報はXで発信しています。ぜひフォローしてください!