橋本治『人工島戦記』#11 比良野市はどうあっても発展する!
2021年の話題作の一つである、橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』。その試し読み連載を再開します。12月20日から大晦日をまたいで1月5日まで、毎日一章ずつ公開していきます。題して「年越し『人工島戦記』祭り」!(第一章から読む)
イベント情報
2022年1月5日(水)、編集者・文筆家の仲俣暁生さんと、物語評論家・ライターのさやわかさんが『人工島戦記』をめぐる対談イベントを開催します。詳しいお知らせは、主催ゲンロンカフェのウェブサイトでご確認ください。
第いち部 低迷篇
第十一章 比良野市はどうあっても発展する!
発展と繁殖を続ける比良野市は、慢性的かつ潜在的な宅地不足に悩んでいた。そこで、「海洋博の跡地にマンションを建てる」というオシャレなことを考えついた市は、「ついでにいっそ!」と、「マリンゾーンてこね」とは反対側の、志附子湾の西側の海の真ん中に、巨大な人工島を作ることを考
え出したのである。
「そうすれば、宅地不足は一挙に解消する!」と言って、辰巻竜一郎がドンと市長室の自分の机を叩いた時、市役所の上の方の市長の取り巻きをやっているオヤジ達は、「おゥ……」と感嘆の息を吞んで、パチパチと手を叩いた。
そのようにして、人工島は誕生することになったのである。
広大な人工島が完成すれば、慢性的な宅地不足は解消して、「市の発展」につながる。そして、人工島という〝オシャレな発想〞には、他にも様々なメリットがあったのである。
人工島を作れば、比良野市にはオシャレなイタリア人デザイナーの設計したマンションの立ち並ぶウォーターフロントがもう一つ出来て、それと同時に、比良野市が潜在的かつ慢性的に抱えていた「交通渋滞」というもう一つの悩みも解決するのである。
発展を続ける比良野市の〝都心部〞には、既に大きな道路が通っていた。屋根より高い、有料の高速道路も通っていた。比良野市の外には、千州の各地へつながる幅の広い千州縦貫道も出来ていた。がしかし、問題はその〝途中〞にあった。
発展を続ける比良野には、市がメンツにかけても金をかける〝中心部〞と、「なんだかあんましやる気がしないなァ……」的な〝周辺部〞との二つの地域があった。
東京の新宿区と渋谷区を合わせたぐらいの大きさを誇る比良野市は、周辺部の「ここが千州一の大都会かァ?」と言いたくなるような部分まで含めると、もうちょっと広くなる。市の中心部からドロドロとあふれ出した住宅地は、山の麓から海の際にまで広がって、勝手に〝町〞を作ってしまっている。
〝町〞の部分が周辺の自然を侵食して〝郊外〞になり、かつては「あんなとこ比良野じゃない」と思われていたところも、立派に千州一の大都会に通う人々の〝町〞となってしまった。
そういう〝町〞の大部分は、あらかじめ「この程度の道路があれば十分だろう」程度の道路しかなかった。市が金をかける〝都心部〞の道路は、まァ、それでも広くなったりはするのに、そういうところの道路は全然広がらない。道はそのまんまで、家やマンションがバカスカ建って、電車の線路なんかそこまでやって来ないから、どうしたって車は必需品になる。
車は、汚い台所の隅っこのゴキブリのように道にあふれ返って、こないだまでは片側一車線の県道があれば十分だったところが、いつの間にか迂回路のないギューギュー詰め状態になってしまう。
実は、千州で有数の野鳥の飛来地である摺下干潟のある摺下地区は、そういう「車の渦巻く周辺部」でもあったのである。
摺下干潟は比良野市の西区にある。西区は昔、「あんなところ比良野じゃない」と言われていたところである。ここには小捻山という小さな山があって、比良野市の〝都心部〞を出た旧国道はここに続いている。湾岸部を通って、ゴミゴミした住宅地になってしまった摺下干潟の奥を通る旧国道は、この小捻山を迂回するようにして、その先は平野県の西にあ
る、平野県のもう一つの大きな都市──重工業で有名な野圃に続いている。
昔はそんなに交通量が多くなかったからそれでよかったのだけれども、比良野市が発展して、日本が発展して、誰もが自家用車を持つようになって、陸上輸送のトラックがビュンビュン走るようになって、高速道路というのが当たり前に出来るようになると、この小捻山を迂回する国道が狭くなってしまった。
隣の森崎県から山を越えて、新しい国道872号線が伸びて来た。国道872号線は、比良野国際空港の横を通って、小捻山の麓でこの旧国道に合流する。
空港からはまた、比良野の〝都心部〞へとつながる都市高速道路が伸びているのだが、この高速道路は手捏のウォーターフロントから続いている湾岸高速とドッキングして、摺下干潟の手前で旧国道とつながる。つまり、〝旧〞と呼ばれるようになってしまった片側一車線の国道は、その後片側二車線にまで広げられはしたけれども、やっぱり摺下干潟と小捻山の間で二つのでっかい道路につなげられて、ほとんど窒息状態になってしまった。
それだけならまだいいのだが、恐ろしいことに、高速とか新国道とかいうやたらにでかい道路がくっつくぐらいに発展してしまった地域には、もう一つ別の〝新しいもの〞が出来る。
小捻山の向こう側は、地図で見ると、ちょうど十手の先が海に突き出したような地形になっている。
摺下干潟から続く短い方の突き出しを芋蔓といって、その向こう側には、綜緒岬という更に長い突き出しがある。綜緒岬の先端はぷっくりと膨れていて、ここを鷹巣島という。
「綜緒」というのは鷹の脚に結びつける紐のことで、昔は鷹巣島に鷹がいて、この島と岬の間は離れていた。離れていたから、「綜緒で結んじゃいたいなァ」と思う土地の人達はここを綜緒岬と言ったのだけれど、いつの間にか、この鷹巣島と綜緒岬はくっついてしまった。
綜緒岬と鷹巣島は、外洋から志附子湾を守る防波堤みたいな役割をして、鷹巣島は、昔から遠出の海水浴客の行くところになっていた。──そこに、突然巨大資本がやって来て、「ヘオ・タカノス・リゾート・アイランド」という観光の目玉が出来てしまったのである。
昔は、綜緒岬や鷹巣島に行く人はそんなに多くなかったので、渋滞といってもタカが知れていた。しかしここにオシャレで大きなリゾートホテルが出来て、巨大な遊園地が出来て、「マリンスポーツのメッカ」ということになってしまうと、やたらの数の人間がそこに行くようになる。そういう巨大な
ものは、やたらと金をかけて、「来い!」という宣伝をするからだ。
比良野の市内から、旧国道を通ってやたらの数のマイカーがそこへ行くもんだから、小捻山の周辺部は、渋滞のメッカの二乗くらいのもんになってしまった。小捻山は、山と言っても小さな丘のようなもので、小捻山の向こう側は田園地帯、こっち側は比良野市の通勤圏になっていて、そこには住んでいる人間がゴロゴロいる。国道872号線という大きな道路はあっても、その周りは狭くて小さな道路がウネウネ続いているから、国道872号線や旧国道が大きくて幅の広い分だけ、そこまでの渋滞は激しい。
というわけで、「そんな遠回りをするから渋滞が激しくなるんで、こうなったらもういっそ、海の上から直接綜緒につながる道路を作っちまえ!」という発想も生まれる。
「志附子湾に人工島を作って、このド真ん中をバイパスにしてしまえ」というのが、人工島建設計画のメリットの一つでもあるのだが、この計画は、なんとなく飛躍しているような気もする。なんでそんなにリゾート地を優遇するのかとか。しかし、それを計画する市の方では、「人工島と芋蔓と綜緒岬を海上道路でドッキングさせてしまえば、交通渋滞もなくなり、市民の休養を助けるリゾート地との便もよくなって、市の発展になる」と言っている。言ってるんだからしょうがない。
そして更には、人工島には、もう一つのメリットがあるのだという──。
比良野市は古い城下町だから、古くから文化の中心地でもあって、学校の数は多い。学生の数は多くて大学もあって、がしかし、困ったことに、ここにはその学生を指導する研究者の数が少なかった。「バカ学生ばっかりじゃ役に立たない」とは、市長も決して言わなかったが、その代わりに、「人工島を研究学園都市にして、ここに優秀な人材を集める!」と言った。「優れた学者研究者の集まる研究学園都市があれば、市の発展に役立つ」と言うのである。
そしてもちろん、海の中に突き出した巨大な人工島は、立派な大型船を泊められる立派な港にもなる。
つまり、志附子湾の海中に出現することになるはずの人工島とは、大型船の泊まる港で、大量の車の通る高速道路で、オシャレなマンションの立ち並ぶ静かな住宅地でもあり、落ち着いたハイレベルの研究学園都市でもあるという、そういうとんでもないものだったのである。
それだけゴテゴテの要素を詰め込んで、巨大なる人工島は、現在の比良野市の五分の一ぐらいの大きさにもなるはずで、それが出来てしまえば、志附子湾の四分の一の部分は「もう海ではなくなってしまう」のであった。
それに比べたら、「野鳥の生息地」と言われる摺下干潟は、とんでもなく小さい。干潟の前の海にこういうものがデンと出来上がってしまえば、人工島と干潟の間にある海が、ただの「塩分を含んだドブ川」になってしまうことなど、目に見えている。「海は死んで、干潟も死んで、そこにやって来る
野鳥も──」と、環境派や自然保護派の市民が言うのも、もっともなのだ。
がしかし、辰巻竜一郎の構想する人工島建設計画というのは、そんな一握りの市民達の反対を、「で、なんだっていうの?」と押し潰してしまえるくらいにとんでもなく膨大でゴチャゴチャして、頭がグチャグチャになってしまうくらい大規模なものだったのである。
反対派の市民は、「干潟が、鳥が──」と言い、しかし比良野の市民の大半以上は、鳥に対してそんなにも特別な関心を持っていなかった。
問題は、「野鳥」でもなく「干潟」でもなく、そんなにもこの人工島建設計画が膨大で巨大であることで、東京の新宿区と渋谷区を合わせたぐらいの大きさを誇る比良野市の市民達は、まずその計画の膨大さに対して、一向にピンと来なかったのである。
「鳥」ということになれば、それはまず「地鶏」で、比良野の市民達の誇りで「鳥」ということになれば、「やっぱり比良野の焼鳥はうまい」ということだったのだ。
味のいい自慢の焼鳥をくわえて、地酒の一杯をキュッと引っかけてご機嫌になって、そこに膨大なる人工島建設の話を持ち出してこられたって、市民の声というものは、「なこといきなり言われたって分からんけん!」にしかならないのだった。
第十一章 了
【橋本治『人工島戦記』試し読み】