橋本治『人工島戦記』#10 干潟でも野鳥でもなく
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橋本治『人工島戦記』#10 干潟でも野鳥でもなく

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2021年の話題作の一つである、橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』。その試し読み連載を再開します。12月20日から大晦日をまたいで1月5日まで、毎日一章ずつ公開していきます。題して「年越し『人工島戦記』祭り」!(第一章から読む


イベント情報

2022年1月5日(水)、編集者・文筆家の仲俣暁生さんと、物語評論家・ライターのさやわかさんが『人工島戦記』をめぐる対談イベントを開催します。詳しいお知らせは、主催ゲンロンカフェのウェブサイトでご確認ください。


第いち部 低迷篇

第十章 干潟でも野鳥でもなく

 テツオとキイチは、その夜改めて、人工島問題の〝正体〞を突きとめにかかった。それは、「一体どうしてオレ達は、簡単に〝人工島なんていらねーよなー〞という結論に達してしまえるのか?」という、謎の正体を究明する作業でもあった。
 人工島問題には、「なぜそんなものを市長は作りたがるのか?」という、今までに誰も解いてはいない、深い謎があったからだ。
 それでは一体、平野県の県庁所在地比良野市の市長辰巻竜一郎は、どうして志附子湾の海中に、東京の新宿区の半分ぐらいの大きさのある人工島なんかを作ろうとしているのであろうか? 辰巻竜一郎は、「オレは鳥が嫌いだから、人工島を作ってあいつらを絶滅させてやる!」と言っているわけではないのである。

 辰巻竜一郎が人工島を作りたいと言う最大の理由は、「市の発展のため」である。
 比良野市のある志附子湾は、古くからの貿易港、商業港として栄えたところである。だから、志附子湾には志附子港というのがちゃんとある。そこに新しい人工島を作ってしまえば、港の機能も新しく拡大されて、市の発展になる。

 比良野市は、古くからそういう商業港として栄えたところである。市内には萩原川はぎわらがわという大きな川が流れていて、これが志附子湾に流れ込む河口のところが、志附子港になっている。
 比良野市は古い城下町で、昔から埋め立てというのが、ほとんどずーっと続けられている。江戸時代の初めの頃には、志附子港はもうちょっと川の内陸部にあって、ここには大きな回船問屋が五軒あったので、五軒町ごけんまちと言われていた。これが今の比良野市の「都心」と言われる部分の歴史である。
 古い城下町は県庁所在地になって、古い港町はその後も千州の流通の中心地となって、発展と拡大を続けて来た。比良野市は、周りの田んぼや野っ原や池や小川をつぶして拡大を続け、人口が増えて「宅地不足」ということになって、そのことに潜在的に悩まされて来た。なにしろ、町の中心部のちょっとした空地にはすぐにアパートが建って、アパートに住みついた独り者のサラリーマンや労働者はほどなく女とくっついて、更にほどなく子供というものを作って、どんどん繁殖して行くのであるから。
 比良野市の〝都心部〞と言われるところは、昭和の三十年代までは、ただのゴチャゴチャしたところだった。大きな新聞社とデパートと映画館のビルの周りは、ゴチャゴチャとスシ詰め状態になった商店街と飲み屋街が続いていて、その間に古くからの民家とアパートと屋台が並んで、「このまんまで行くと香港の九龍城クーロンじよう状態になってしまう」と、市役所の人間は思った。市役所の人間がそう思う前に、狭い部屋の中で子供の泣き声とカミさんの怒鳴り声に悩まされるようになっていたかつての独身青年は、そう思っていた。そう思う前に、独身青年と結婚して「現代社会に生きる主婦」となっていたかつての若い娘は、怒鳴っていた。「いつまでこんなとこにおるんッ! 子供かてもう大きいなるんよッ! なんであんたは稼ぎがないんッ!」と。
 そこで、県と市は公営住宅を作って、地元の土地持ちや不動産業者もぼちぼちと宅地とか一戸建てを作って、比良野の市街地は鉄パンの上に搔き出されたお好み焼きのように、ドロドロと周辺部へ広がって行ったのである。
 お好み焼きの場合だと、ドロドロの小麦粉ペーストが搔き出される鉄パンは火で熱せられているから、水溶きの小麦粉とキャベツとそれからお好みによって入れられた豚だのイカだのエビだのは、すぐに「お好み焼き」という固形物に変わるのだが、比良野市の周辺部は別に熱い鉄パンなんかではなかったので、都心部からドロドロとあふれ出して来る人口は、ずーっとドロドロの拡大を続けていた。
 それが比良野市の〝発展〞で、比良野市が千州最大の都会であればあるほど、ここに千州の他の地域からの人間が集まって、お好み焼きの九龍城状態は拡大して行ったのである。
「なんだか、市全体がゴチャゴチャしているような気がする」と、あっちこっちに公営住宅というコンクリートの塊を作り続けていた比良野市役所の人間達は思った。
 比良野市は慢性的な住宅不足に悩まされていて、そして、その頃の東京には、後に〝バブル〞と言われることになる金が集まり出していたのである。
 比良野市は、思い切って海岸の一部を埋め立てて、「ウォーターフロント」なるものを作ってしまった。どうせ比良野市は江戸時代から埋め立てばっかりを続けていたのだから、それをしても大した文句は出なかった。しかもこの時には、その埋め立て地で「海洋博マリンピア」をやるということに
なっていた。
 日本の地方の一九八〇年代というのは、あっちでもこっちでも「ナントカ博覧会」をやる、お祭の時代であった。お祭以外に地方には売り物がなくなって、「博覧会やれば若者が東京に行がなぐなる」という発想で、けたたましいドンチャン騒ぎをやっていた。テレビからは歌番組がなくなって行ったが、それは地方で博覧会をやっていたせいなのだった。
 比良野市の東側にある手捏てこね海岸は、この時に埋め立てられて海洋博の会場になった。比良野のウォーターフロント「マリンゾーンてこね」がそれである。
 海洋博の会場跡地にはオシャレなマンションが建って、比良野でも一番ススンだところになろうとしているはずだった。
 海洋博があって、オシャレになって、そこが住宅地になるというモスラの三段階変化のようなやり方を覚えてしまった比良野市の上の方のオヤジ・・・・・・・は、女子大生でもないのにイケイケになって、「そうだ、今度はイイワケ抜きの人工島を作ろう!」と言い出したのである。
 やっぱし、「オシャレなものを作る」ということになると、地方のオヤジ役人にはビビリが出てしまうのであった。「おめーはァ、食うこともかんげえねーで、色気づきゃあがってー」と、青春の日に整髪料を髪につけただけでバーさんに怒られた経験がトラウマになって残っている地方財政をあずかるオッサン達は、「オシャレになりてーなー、でもそんなことして天罰が当たらねーかなー」と思っていたのである。
 だからこそ、「これはオシャレでもなんでもねー、地方の発展を祝う博覧会だでよー」と、一九八〇年代の日本の地方は、めったやたらの博覧会ブームだったのである。
 博覧会を見事にこなして、「大金をかけてロクでもないことをしても誰からも怒られない」という経験をしてしまった地方のオヤジは、それをいいことにして、更に大それたことを企んだのである。
「海を埋め立ててオシャレなもんを作る」ということにどうやら成功して気をよくしたオヤジは、「あの感激をもう一度!」のノリで、「志附子湾の沖に人工島を作ろう!」と言い出したのである。
 言い出して考えてみると、その計画は、もう昭和の三十年代の初めからあった。繁殖する人口と発展する屋台のために〝都心部〞がゴチャゴチャになりかかっていた昭和の三十年代に、既に比良野市には、「志附子の海を半分埋め立てよう!」という恐ろしい計画があったのである。 昭和の三十年代というのは、既に人も知るような「とんでもない時代」であったので、そういうとんでもない「科学の夢」を言い出すアホタレもいっぱいいたのだが、昭和も五十年代の後半になって六十年代に近づいて来ると、かつてはリンゴの芯もロクに捨てられなかった日本人達は、ハイテク大国の金持ち人間になってしまっていた。もうそれは「とんでもない計画」ではなくて、ゼネコン建設会社に相談すれば「あ、出来ますよ」といたって簡単にOKされてしまうようなものになっていたのだった。
 海洋博のオシャレな感動を忘れられなかった比良野のオヤジ達は、それを知ってワクワクした。ワクワクしているオヤジ達の前に姿を現したのが、新しく市長に当選した悪いイケイケオヤジ、辰巻竜一郎だったのである。

第十章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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