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橋本治『人工島戦記』#25 やっとヒロインも出て来る

「年越し『人工島戦記』祭り」こと橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』の最終日です。2021年の話題作ですが、2022年も引き続き盛り上げていきます!(連載TOPへ


イベント情報

2022年1月5日(水)、編集者・文筆家の仲俣暁生さんと、物語評論家・ライターのさやわかさんが『人工島戦記』をめぐる対談イベントを開催します。詳しいお知らせは、主催ゲンロンカフェのウェブサイトでご確認ください。


第いち部 低迷篇

第二十五章 やっとヒロインも出て来る

 テツオに問われて「うーん……」と言ったのは、ニコニコ笑っているカンノだけだった。
 カンノは、ニコニコと笑いながら「うーん……」と言って、ニコニコと笑いながら、「むずかしいなァ」と言った。
 グループの中でだけ〝自分〞を存在させているカンノは、自分のグループがシラン+タナカで構成される三人のグループから、シラン+タナカ+テツオ+キイチの五人のグループに拡大されたことを知って、それで安心して自分の声を表明出来たのである。そこにいる全員は〝同じグループ〞になって、もう〝外部〞というものは存在しなくなったから、それをしてもよかったのである。
 タナカは、明らかに関心のない様子で視線を宙に走らせて、「そんなことか」と言った。シランは、相変わらず「ああ、アレか」の余韻の中をさまよっているから、まだ何を言ってもムダである。

 タナカが「そんなことか」と言うもんだから、テツオは、「関心ないの?」と言った。
 タナカは、「関心ないだろう。関係ないよ」と、他人事のように言って、「お前ら、自然保護なの?」と言った。
 それはほとんど、「お前ら、特殊な新興宗教の信者なのか?」と問われているのと同じようなことで、そう言われりゃテツオも遂に、「チクショオ、敵の無関心の壁は厚いなァ」と思わざるをえないのだったが、しかし、それと同時に、テツオの中にはムクムクと首をもたげて来る、「オレは自然主
義じゃねェぞォ!」という闘志だってあったのである。

「お前ら、自然保護なの?」と言われて、テツオの口の端がひきつった。ひきつったまんま、「関係ないじゃん」と、タナカに向かって言い放った。
 言い放つと同時に、テツオの視線は、タナカの横にいるカンノの方に向かった。
 向かって、「あ、ちょっとヤバイ」と思ったのは、その「普段=ニコニコ」であるカンノの顔から、ニコニコの笑顔が消えていたからである。
 カンノは、もうニコニコしてはいなかった。それでテツオは、キイチの方を見た。キイチは、もうとうの昔に、「こりゃだめだ」という顔をして、黙っていた。
「カンノが笑ってないのはヤバイ」と、テツオは思った。「オレ達は危険思想の持ち主じゃない」と思いながら、しかし同時に「オレ達は危険思想の持ち主でありたい!」という矛盾したことを思ってしまうのは、やはり〝運動〞に情熱を傾けざるをえないことを本質とする、あの母・・・の息子だからであろうが、しかしテツオは、気がついたらこう叫んでいた。
「自然保護が悪いのかよォ? あの市長はなァ、お前ら知らねェだろうけど、とんでもないイケイケなんだぜェ!」

 テツオの言うことは、今までテツオの言うことにつきあって来た人間にはとってもよく分かるような、分かりきった当たり前のことだった。がしかし、それがいきなり口にされて市民達の共感を得るものでないことだけは、ほとんどとっても確実だった。
 タナカの目が、丸くなった。硬直して無表情になっていたカンノの顔に、なんだか人間らしい表情が戻って来た。
「オレは危険な思想家だ! オレは危険な思想の方が好きなんだから、所詮〝自然保護〞なんていう穏健な思想で拒絶しないでくれ!」というテツオの魂の叫びは、カンノの無表情に働きかけて、彼の人間らしい好奇心を呼び覚まさせたのである──オーバーなことを言えば。

 ちょっとオズオズと、そしてちょっと大胆な一歩を踏み出すようにして、カンノが言った。
「イケイケって、なんなんですか?」
 そう言い終わったカンノの顔には、以前と同じようなニコニコが宿りかけていた。
 そのカンノに、タナカが言う。
「お前、イケイケって知らないの?」
 タナカは、〝イケイケ〞という言葉と〝鼻血ブー〞を、ほとんど連動させている。
 カンノは、ニコニコと笑いながら言う。
「知ってますけどォ、コマドメさんの言う〝イケイケ〞って、別に女の人のことじゃないでしょう?」
 言われてテツオは、「ああ、やっとここに〝同志〞が一人いるのかもしれない」と思った。

 テツオは改めて椅子に座り直した。
「そうなんだよ、つまり〝イケイケ〞っていうのはさ」と言うテツオの声に、カンノは、「あ、座ってもいいですか?」という言葉で応えた。
 テツオは「うん」と言って、カンノはガタガタとテーブルの横から自分の椅子を引っ張って来て、タナカは「どうすんだよ、やめろよォ」と言いたい態度濃厚になって、キイチは、「何が起ころうとワシャ知らん」という態度を平然と保ちっ放しにして、ボサーッと突っ立ったまんまのシランは、その
まんま時間が停まったように、ボーッとしっ放しだった。
「人工島、野鳥」というのなら、「ああ、あれか」で分かる。がしかし、そこに突然「イケイケ」に出て来られたら困るのだ。
「人工島」とか「野鳥」という単語は、「自然」とか「海の上」とかいう単語と一つのグループを作って、「政治」とか「よく分かんない」とか「社会」という単語のグループと共に、どっか遠くの方でボーッと霞んで淀んでいるようなものだ。それは、内陸部の都市領域に、「フーゾク」というカタカナ言葉と共に生息している「イケイケ」という具体性生物とは、どうしたって一つにはならない。
 カンノがガタガタと椅子を引きずって来て「よいしょ」という擬態語をわざわざ口から発して腰を下ろしているその横で、ボーッとなったシランは、腰のところに大きな穴がカットされている白いエナメルクロスのミニスカートが大音響と共に揺れ踊っているシーンを脳味噌に思い浮かべ、「イケイ
ケがどうしたっていうんだろう?」と、不条理なその場の成り行きに苦悩していた。
 するとそこに現れたのが、その、腰のところに大きな穴がカットされている白いエナメルクロスのミニスカートだった。そういうものに外表面をまかせている肉体の主が、「ゴロちゃん、なにしとう?」という声を発してやって来た。「イケイケ」の話をしていたら、そこにホントのイケイケがやって来てしまった、というのである。

「なんじゃモクレン、そのカッコーは?」と、〝ゴロちゃん〞のシランが言った。
「えやないの、なにしとう?」と言って、その〝モクレン〞なるイケイケが平然とやって来るものだから、談話室の中にいた「大学生」という名のムサイ男の形をした人の性欲は、ワサワサワサッと振り返った。
 がしかし、そんなことに動ずるような女ではなかったのが、このモクレンという女だった。

河合木蓮かわいもくれん」と書く。
 祖父は、「ああ、モクレンはカワイイ」と言う。言われたモクレンは「バッカみたい」と思うが、五軒町にある、一階は床屋、二階は喫茶店、三階は雀荘というビルのオーナーをやっている河合家の三女は「木蓮」という名前だったからしょうがない。
「木蓮」の姉は「紫苑しおん」、その上の姉は「桔梗ききよう」と言う。孫娘に片っ端から花の名前をつけていたのは、五軒町俳句協会
の会長をやっているオジーチャンの趣味だが、そのオジーチャンも、ヘタすりゃ尼さんの名前みたいな末娘が、比良野一のボディコン娘になろうとは思わなかった。
 モクレンは、日焼けサロンで丹念に焼いた肌と、美容院でメッシュ交りに脱色した髪と、ピンクの口紅と、それから金鎖をジャラジャラさせながら、シャネルのNo.5の匂いを夜間飛行させるように漂わせて、所詮は国立大学の学生部屋である談話室の中へやって来た。
 漂うシャネルのNo.5は、人の形をした性欲にとってはタブーの同義語だが、しかしカワイ・モクレンがこの国立千州大学教養学部の学生であったことだけは事実だった。
 モクレンの白いエナメルクロスの上部では、きっと腕とおんなじように褐色なのかもしれない肉の塊がユサユサと揺れていた。それが近づいて来たものだから、タナカ・ナダヒロの頭の中では、〝イケイケ〞という言葉が、ほとんど〝鼻血ブー〞の状態になってしまっていた。

 タナカの視線は、あからさまに、白いエナメルクロスの中にカットされている〝大きな丸い穴〞の内部に向かう。
 また、あからさまに大きくカットされている白いエナメルクロスの穴は、「どうぞご覧ください」と言わんがために開けられているのだから、タナカの行為をとがめるものではなかった。
 言語から独立して、ユサユサとジャラジャラとブンブンを引きつれてやって来る〝イケイケ〞を見て、カンノ・ヨシオの目が、恐ろしいものを見るように大きく見開かれ、カン高い坊や声の出るあどけない口も、少しく大きく開かれた。
「ああ、どうしたらいいんだろう……」とカンノは思うのだが、そのイケイケに「ゴロちゃん」と呼びかけられたシラン・ゴロウは、そういう状態からは超然として関係がなかった。
 五軒町の貴金属店から嫁にやって来たゴロウの母は、モクレンの父の妹だったからだ。
 モクレンはボディコンだが、しかしそれはシランにとって、「オネショ垂れの従妹いとこがヘンなカッコしとる」のとおんなじことだったのである。

「ボディコンが、妹同然の幼なじみだったら、もうこの世に楽しみはない」ということを、ボディコンと鼻血ブーを一緒にしている世間の男達は知らない。
 外ではミもフタもないイケイケが、内ではミもフタもないただの〝女〞なのである。
 シランは、ボディコンには一切感じなくて、志向がボディコンに向かっているような服装の女にもほとんど感じなくて、「だとするとこの先、自分の性的アイデンティティというのはどういうことになっちゃうのか」と、いささかながらの不安を感じ始めてもいるような年頃なのであった。
 ついでながら、高校三年生の時のシランの初体験の相手は、その時はまだイケイケ予備軍のジョシコーコーセーだった、校則のうるさい女子校に入ったばかりの高一のモクレンだった。
 幸福なのか不幸なのかよく分からない男というのは、ちゃんとこの現実の上にも存在しているのであった。

第二十五章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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