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橋本治『人工島戦記』#7 意識の低いバカ息子は自問する

橋本治さんが生涯をかけて挑んだ小説『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』が刊行されました。架空の地方都市を舞台に、戦後から平成に到るこの国の人々を描いた大長編は、未完ながら、A5判2段組みで1,376ページ。圧巻のボリュームです。

刊行後の反響のなかに、「興味はあるものの、読み通せるだろうか」という声が少なからずありました。その杞憂を晴らすべく、先行公開した第一章に続き、第二章から第八章まで、毎日一章ずつ試し読み公開します。(第一章から読む


第いち部 低迷篇

第七章 意識の低いバカ息子は自問する

 なぜ自分は意識が低いのか?
 その第一の答。
「どうしても、〝自然〞という言葉を聞くと、〝宗教〞という感じがしてしまうから」

 どうしてもテツオには、〝自然〞というものが、そんなにもリアリティを持って〝重要〞という風には迫って来ないのだった。
 そりゃテツオだってバカじゃないから、夕焼け空を見ればきれいだと思う。天気のいい青空の下で、豊かな緑を広げている善隣山ぜんりんざんの様子を間近に見れば、きれいだって思う。目の前をトンボが飛んでくのを見れば、「あ、トンボだ」と思う。思うがしかし、そういうことが、いきなり〝重要性〞という言葉にドッキングしてしまう、そのことがよく理解出来ないのだ。
 自分の家が農業をやっていて、それで農薬まいてどうとかして、田んぼの生物がいなくなって、渡り鳥がどうとかということになれば少しは身にしみるのかもしれないが、あいにくテツオは、千州までビデオやオーディオやエアコンの販売促進をやりに来た父親の息子だから、そういうことがピンと来ない。
 不思議と言えば不思議なのが、そういう貿易黒字大国ニッポンを象徴するような日本人の一人でもあるような父親のアキオが、母親――ということは「自分の妻」なんだが――の言うことにはおとなしく耳を傾けていることだ。アキオとヨシミの夫婦仲は、全然悪くない。
「お父さんは会社人間で、お母さんは環境人間で、二人は仲よく手を取り合って、経済と自然の調和を考えていました」というようなもんで、どんなに遅く帰って来ても、父親のアキオは、妻のヨシミの言う――「結局、市のやり方は最低なのよォ」に、フンフンと耳を傾けている。傾けて、いやがらない。
 一ぺんテツオは、「そういうこと聞いてて、お父さんは矛盾とかって感じないの?」と言ったことがあるんだが、お父さんはいたってノーマルに、「自然との調和を考えないで会社やってたってしょうがないだろ」と言った。
 言われてみりゃその通りで、その言い方だって至極ノーマルの当然だったけれども、そうなってくるとますますテツオには、自分の母親の「あんたは、自然というものの重要性を理解してないのォ!」にける〝宗教〞が謎に思えるのだ。
 ちょっとこわい気がして、テツオはそっと、「どうしてあなたは渡り鳥が好きなの・・・・?」とお母さんに訊いたことがある。
「そういうことを訊くのは息子の意識が低いからだ」としか思わないお母さんは、「どうしてあんたには、渡り鳥の素晴らしさが分からないの? 素晴らしいじゃない。ああいうのは、大切に守らなくちゃいけないのよ」としか答えてくれなかった。
「結局なにかが抜けているのだ。なにかが飛躍しているのだ」と、テツオとしては思わざるをえない。
 キザな言い方をすれば、「その、あなたが〝素晴らしい〞と思うところを、他の人間にも分かるような人間の言葉・・・・・で現してくれないか」ということになるのだけれども、お母さんは、「〝素晴らしい〞ということ以外に、人間の言葉ってあるの!」としか考えない人間だ。
「こりゃ、ひょっとして、言い方の問題かなァ?」とか、テツオは思う。

「なぜ自分は意識が低いのか?」と思うことには〝第二の答〞もあって、それは、「お母さんの言うことって、なんか、あまりにも表現が独特でありすぎない?」ということだった。
 たとえば、平気で「予算を計上する・・・・」なんて、市会議員みたいな口のきき方をする。
「どうしたってそれは、普通の人間の口のきき方じゃないけどなァ」と、テツオなんかは思う。
「環境保護で役所とばっかりつきあって、それで特殊な役所言葉がそのまんま口癖みたいになっちゃってることに気がつかないのかなー?」と、テツオなんかは、意識の低いバカ息子だから思う。
 その、「意識の低いバカ息子でさえ・・・、〝人工島なんかいらない〞って言ってるのよォ」というのが、意識の高いお母さんの言う、「庶民感覚に基づいた環境保護運動の論拠でもあるところ」なんだが、テツオにしてみれば、「どうせなー、なんだかなー」というようなもんだった。
 ヨシミの話の「ナンボか億円」とか「ナンボかヘクタール」というところには、実際にはいちいち具体的な数字があてはめられている。そんな数字、テツオにとってはメンドクサイだけだから、みんな〝ナンボか〞という記号に置き換えて聞き流しているけれども、「そういう数字を駆使することに、ウチの母親はヘンな快感を感じているな」と、意識の低い浪費文明にどっぷりと浸された意識の低いバカ息子は、なんとなく感じている。
「環境運動を阻止するのも役所だけど、ひょっとしたら、売り言葉に買い言葉で、環境保護をやってる人間て、いたずらに難解な言葉つかってないか?」と、ちょっとだけ難解語をつかって考えるテツオだった。
「役所も運動もいい勝負で、〝夫婦〞という横の関係を前に出されたら、そりゃァこっちは息子だから、夫婦の間には入れないよなァ」という、ワケのワカンナイ感慨をらすテツオだったのである。
「〝鳥を守る〞っていうことと、この〝オレ〞との間には、きっとまだ見つかっていない〝なんか〞があって、それが見つからない以上は、うかつに・・・・なんか動けないよなァ」と、自分の家でひとりで口をモグモグさせていたテツオは、まだその〝なんか〞が見つかんないでいる以上は、一日も早く人工島建設計画に対して「中止」の二文字が出されることを、祈るばかりだったのだった。
 というわけで話は、改めて第五章の冒頭に戻る――。

第七章 了

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【橋本治『人工島戦記』試し読み】

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