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第十九話 秋分 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第十九話「秋分」

2024年9月22日〜2024年10月7日

 「しゅうぶん」とは太陽の中心が「秋分点」(天の赤道を北から南へ横切る点)を通過すること。この通過する日を「秋分日」と呼び、3月の「しゅんぶん日」と同様に太陽が真東から昇り真西に沈むため、一日の昼と夜の長さがほぼ等しくなります。
 
 この「秋分日」をちゅうにちとして、前後3日を合わせた7日間が「秋のがん」です。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、この頃には暑さも和らぎ、空にはいわしぐもが広がり、野には秋の花々が咲き揃います。
 
 そんな「秋分」の器は、山田平安へいあんどうの『煮物椀 うち嵯峨野さがの』。

 「山田平安堂」は大正8年(1919)に東京日本橋で創業した、宮内庁用達ようたしの漆器店。茶道人口が増えた戦後の高度経済成長期を中心に、煮物椀や吸物椀、しきうすちゃ(薄茶を入れる容器)など、さまざまな茶の湯の道具を手がけてきた老舗です。
 そしてこの器は、熟練の職人が、高度なまきうるしの技を駆使して、京都嵯峨野の夏から秋への季節の移ろいを表現した煮物椀で、おそらく茶懐石の道具として作られたもの。
 
 椀の内側と蓋の裏側のの部分には「研出とぎだし蒔絵」が用いられ、そこにいろうるしで、百合や鉄線てっせんなどの夏の花と、きょうや菊、蘭といった秋の花が、繊細な筆遣いで描かれています。
 「研出蒔絵」は、蒔絵の上にさらに漆を塗り、乾いてから木炭を使って研ぎ出すという難しい技法。それが蓋の裏側にまで施されているのは、かなり珍しいのではないでしょうか。

 この器に盛る『懐石辻留』の「秋分」の料理は『椀盛わんもり 松茸 ごりはも れんそう すだち あお柚子ゆず』。

 和食を代表する味覚の「松茸」と「鱧」を組み合わせた、贅沢な椀盛です。「芽蓮草」はほうれん草の新芽のことで、色どりとして使われます。
 そして「名残鱧」とは、秋に獲れる鱧のこと。本来は夏の魚である鱧を、夏の名残を感じながら味わうため、この名で呼ばれます。秋の鱧には脂があり、夏とは違う味わいがあります。
 
 『懐石辻留』では、鱧のぬめりを丁寧に落とし、包丁で骨切りをしてから、薄口醬油と塩で調味した一番だしに生のまま入れて、火にかけます。こうすることで鱧の身からもだしが出るのです。
 上質な脂がのった名残鱧と、旬の松茸は相性抜群。鱧の脂の甘みが松茸の旨みを引き出し、松茸の馥郁ふくいくたる香りが鱧の風味を引き立てる、至高の一品。そして、すだちの柔らかい酸味が、味に余韻を与えています。
 
 もうひとつの器は、古伊万里(古九谷様式)の『色絵さい ざくりん皿』。

 「五彩手」とは、古九谷様式の色絵磁器の中で、こんじょう、赤、紫、緑、黄の五色の絵の具で彩色した器のことを言います。絵の輪郭を黒で線描きし、そこに絵の具を盛り上げて塗るのが基本で、同じ古九谷様式の「あお」とは異なり、器の余白を生かした表現になっているのが特徴です。
 そして「柘榴」は秋の果実のひとつ。その実の中に多くの種があることから、子孫繁栄のきっしょう文様もんようとして、器の意匠や着物の柄などに用いられてきました。
 
 この輪花皿は、江戸時代前期の明暦めいれきから寛文かんぶん年間(1655〜73)の頃に作られたもの。見込みの中心に「柘榴」の枝と葉、そして熟して割れた実が、五彩で描かれています。赤色の絵の具にはベンガラ(酸化鉄を主成分とする顔料)が使われており、その渋く深みのある発色が、強く印象に残ります。
 
 器に盛る料理は『子持ちあゆびたし はじかみ』。

 「子持ち鮎」とはお腹に卵を抱えた鮎のこと。産卵のため川を下るので「落ち鮎」とも呼ばれます。そして「はじかみ」は、金時きんときしょう(葉生姜の一種)の新芽の甘酢漬けで、主に焼き魚のあしらいとして用いられます。
 
 『懐石辻留』では、炭火で焼いた子持ち鮎を、水と日本酒に、濃口醬油、みりん、生姜の薄切り、梅干しを入れて調味したつゆでコトコト煮て、煮詰まる前に火を止め、そのまま煮浸しにします。
 
 卵がぎっしり詰まった鮎の身は、ほくほくとした食感。嚙めば、たっぷり旨みを含んだつゆが舌に溢れ、思わず笑みがこぼれます。食べ終えると、吉祥文様の柘榴の実が現れるという盛りつけも、遊び心のある趣向です。

 プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/古伊万里

 古伊万里は有田、三川内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
 古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
 肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
 古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。

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