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第二十話 寒露 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第二十話「寒露」

2024年10月8日〜2024年10月22日

 「かん」とは、朝晩の気温がぐっと下がり「草木に冷たいつゆが降りる」時期のこと。秋が深まり、空気も澄み渡り、夜空を見上げると冴え冴えと輝く月が見られます。暦の上ではここから「晩秋」となり、紅葉も始まります。
 
 そして「寒露」のこう(二十四節気の一気を3つに細分化した「しちじゅうこう」のひとつ)は「きっひらく」。菊の花が開花し、各地で菊の品評会や菊まつりなどが行われる頃です。
 
 菊の花は鮮やかな色と放射状に丸く広がる形から、太陽にたとえられ、延命長寿のきっしょう文様もんようとして、古来、公家くげや武家の家紋、そして器の意匠などに使われてきました。
 
 そんな「寒露」の器は、永樂善五郎家十一代・保全ほうぜん(1795~1854)の『むらさきこうきくざら』です。

  菊の花の形を模した「菊皿」は、元々は樂吉左衛門家の定番の器のひとつ。それが樂家九代・了入りょうにゅう(1756〜1834)の時に、永樂家に伝えられたと考えられています。
 
 ただし永樂保全は、樂家の様式を踏襲するのではなく、自らが得意とする「交趾焼」(なまりゆう陶磁器の一種)の技法を用いて、永樂家オリジナルの造形に果敢に挑んでいます。
 
 端的に違うのはその形。菊皿の基本である円形を楕円形に変え、花弁の先を細く尖らせることで、現代のアート作品にも通じるような、モダンで洗練されたデザインになっています。紫交趾の発色も美しく気品があり、京焼の名工として知られる永樂保全の力量のほどが窺えます。
 
 この器に盛る『懐石辻留』の「寒露」の料理は『向付 戻りかつを 菊の花 浅草のり 大根けん わさび』。

 「浅草のり」は「アマノリ類」に属する食用の海苔の一種で、干し海苔(または焼き海苔)を水で戻したものが、あしらいに用いられます。江戸時代に浅草近くの海辺で採取されたことが、その名の由来です。
 そして「戻りかつを」は、秋に獲れるカツオのこと。カツオは回遊魚で、春に九州の南部から太平洋側を北上し、秋になると三陸沖のあたりから逆方向に南下するため「戻り」と呼ばれます。初夏のカツオに比べて脂がのっているのが特徴です。
 
 『懐石辻留』では、カツオを三枚におろしてから、皮と身の間の脂肪を残すように切って、角造りにします。こうすることで脂の甘みを堪能することができるのです。
 
 紫交趾の器の中で、カツオの浅緋色、菊の花の黄色、わさびの黄緑色が鮮やかに映えます。あたかも、色づき始めた秋の山々の賑わいを思わせる、見事な盛りつけです。
 
 もうひとつの器は、樂吉左衛門家四代・いちにゅう(1640〜1696)の『赤楽菊皿』。

 こちらは、十六弁(16枚の花弁)の菊花をかたどった、樂家伝統の「菊皿」です。
 
 樂一入は、16歳(数え17歳)で家督を継ぎ、作陶を始めているので、おそらく17世紀半ば、今から350年ほど前に、向付として作られたもの。歴代の菊皿の中では薄造りで端正な姿をしており、釉調(釉薬の色あい)も明るく、上品で柔らかい印象の器です。向付としては見込みが深く、鉢に近い形状なので、温かい料理を盛るのにも適しています。
 
 器に盛る料理は『たきあわせ さば味噌煮 焼豆腐 はりしょう』。

 秋に旬を迎える「鯖」と、味の相性のいい「味噌」を組み合わせた料理です。「針生姜」とは、針のように細く切り、軽く水にさらした生姜のことで、くせを消す薬味として添えられます。
 
 『懐石辻留』では、鍋に日本酒、みりん、生姜の薄切りを入れ、そこに仙台味噌とはっちょう味噌を溶き混ぜた煮汁で、サバを炊き、後から焼豆腐を加えて、焚合にします。
 
 仙台味噌のほどよい塩味がサバの脂の甘みを引き出し、そこに八丁味噌のコクと旨みが加わることで、嚙むほどにほうじゅんな味わいが舌に広がる、極上の焚合。深まる秋にぴったりの一品です。

 プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/永樂善五郎

 室町時代から土風炉どぶろ(土器の風炉)を制作してきた善五郎家が、向付や皿などの食器を焼くようになったのは、十代了全(1770〜1841)以降のこと。
 その了全と十一代保全ほうぜん(1795〜1855)の陶技を高く評価した紀州藩主の徳川治寳とくがわはるとみ(1771〜1853)から「永樂」の銀印を拝領したことを機に、善五郎家は「永樂」を陶号として使うようになった。
 十一代保全は歴代の中でも名人として知られ、こうやき、古染付、祥瑞しょんずい、金襴手といった中国陶磁の写しを得意とした。
 中でも緑、黄、紫など色鮮やかな釉薬を使った交趾写しと、質の高い呉須(顔料)を用いた古染付写しの美しさは、本歌(オリジナルの器)に勝るとも劣らない。
 保全の高い技術と美的センスは十二代和全(1822〜1896)以降も脈々と受け継がれ、今も京焼を代表する窯元として、端正にして華やかな器を作り続けている。

注釈/樂吉左衛門

 千利休の求めで茶碗を焼いた樂長次郎(生年不詳〜1589)を初代として、現在十六代を数える樂吉左衛門家。
 茶碗の窯として創始したため初代から三代道入(1599〜1656)までの作品に食器は少ないが、四代一入(1640〜1696)以降は菊皿、膾皿なますざら蛤皿はまぐりざらなど、様々な茶懐石用の器を手掛けてきた。
 樂家の食器はすべて樂焼と呼ばれる軟質施釉陶器だが、同じ形の器でも釉薬の微妙な違いによって趣が変わる。とりわけ赤樂の食器は各代ごとに赤の発色や窯変が異なり、それが見どころとなっている。
 歴代の中で多くの食器を残しているのは四代一入、六代左入(1685〜1739)、九代了入(1756〜1834)、十二代弘入(1857〜1932)で、中でも「樂家中興の祖」と呼ばれる了入は、皿や鉢、向付を得意とし、へら使いの技巧を施した名品も伝世している。

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