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書けないし読めないし──究極の「積ん読術」とは? ナカムラクニオ

ゼロから1冊の本が生まれるまでのプロセスを、著者のナカムラさんが実験的に日記で公開していきます。#6
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ナカムラクニオ


 2022年の夏。なぜか突然、何も書けなくなった。『こじらせ恋愛美術館』の企画がスタートして数ヶ月後のことだ。

 理由はよくわからない。とにかく、書こうとしても目の前に巨大な本の山が立ちはだかるだけなのだ。本を読むことすらできなくなっていた。一番大事なのは、自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章で書くということ。それはわかっている。しかし、心に、ゆとり、遊び心が無くなっていた。この頃、長野に古民家を借りて畑を耕したり、ドイツの映画の撮影をしたりていたことも関係あるかもしれない。毎日、色々な作業に追われ、夏から秋にかけて、本当に一行も書けなかった。

 文章を書くということは、苦痛をともなう作業でもある。ずっと書けないこともあれば、せっかく書いたのにまったくおもしろくないことも多い。自分の中に埋まっている言葉を掘り出す方法は、いまだによくわからない。ミケランジェロが大理石からダビデ象を彫り出したように、運慶が仁王像を木の中から彫り出したように、自分の中から言葉の弾丸を掘り出すのは、とても難しい。

 そんな時は、とりあえず「どく作戦」だ。とにかく、枕元、テーブルの上、棚の中、目に入る場所に、読みたい本や読むべき本、関連する本を積んでおく。そうやってしばらくすると、何かしらを吸収して、ひらめくことがあるのだ。ある種の透視術のようなものにも近い気がする。

「積ん読」は、潜在的なイメージを「本という塊」に投影している状態なのかもしれない。日常的に積まれた本を眺めているだけのようにも思えるが、無意識のうちに「読みたい」「知りたい」という気持ちが高まり、結果的に新鮮なひらめきが生まれるらしい。

 さて、今回はいつになったら言葉が溢れてくるだろうか。まだまだ完成は遠い……。

資料や美術品の保管場所を兼ねて、最近アトリエにした諏訪の古民家。鎮座しているのは、フランソワ・ポンポンの彫刻《Ours blanc》の原寸大フィギア。フランソワ・ポンポン展の解説の仕事をしたご縁で、主催元から展示物を譲ってもらった。

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【「こじらせ恋愛美術館」の本づくり日記】
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