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平山夢明「Yellow Trash」第5回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(5)

平山夢明『Yellow Trash』シリーズ、完全リニューアルして再始動‼
毎週金曜日掲載!
illustration Rockin'Jelly Bean

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「かき揚げ?」
「んにゃ……良かったのぉ。施しを受けられて、ほっほっほ」
 横になった爺さんはべしゃべしゃの冷えた粥(かゆ)を啜(すす)って云った。
「冗談じゃない。こっちは危うく街の連中にリンチされかけたんだ。一体どういう街なんだよ、此処は」
「目暗には天国(ヘブン)じゃが、目明きには地獄(ヘル)かの~」
 おれはガタつくテーブルを膝で押さえながらラムをちびちび舐めていた。
 あれから爺さんの小屋に戻ったおれはすぐに去(ふ)けるつもりだったが、ザックの中身を〈半分コ〉にしようと開げて眺めているうち、酒を味見したくなり、そうすると当然、パンやら缶詰やらも肴になり、そうこうするうち陽が暮れて、辺りは暗くなり、おれの尻は根を生やしていた。
「爺さん、もう真っ暗だ」
「そうか。儂にとっては珍しくは無い」
「まあ、それはそうだな」
 おれはぐびりとラムの瓶に口を付けた。耳の裏がポカポカする。此は上等な酒だという合図だ。下衆な酒(の)だと口の周りが酒精(アルコール)臭いだけとなる。
〈かきたれ……〉と爺さんがぽつりと云った。
「なんだって?」
「あの娘の名じゃ。セラノのな。本当はジャスミンとか杜若(かきつばた)とかいう名じゃったが母親が死んでから、その名は捨てた。噂じゃ、凍った睾丸(こうがん)も水飴並みに垂れ下がる別嬪(べっぴん)ということじゃったが……」
「ああ。そんな感じだ。だが頭(おつむ)は少々足りないか、蟲(むし)が湧(わ)いてるみたいだったな」
「ほっほっほ。それは暮らしが足りとるからじゃ。暮らしも足り過ぎると人は頭が足りなくなり、脳髄に虫が湧くもの」
「云うに事欠いて、おれを好きだなんてほざきやがって……御陰(おかげ)でド偉(えれ)ぇ目に遭(あ)った」
「それは豪儀(ごうぎ)じゃったのぅ」
「雑(ま)ぜっ返すな。そんな与太を真に受けるほどの青春玉は煙も残っちゃいねえよ」
「が、与太ではないぞ。儂の眼がまだ現役じゃった頃、あれが泣くのに出会(でくわ)した事がある。歳は十(とう)を過ぎたか、どうかぐらいでの。街外れの茂みで凝(じ)っと木の根方(ねかた)を睨んでおった。涙は出とるが声は出さん。足下には割れた手鏡があって、白いスカートには血が付いとった」
「ありゃりゃ、犯(や)られちまったのか?」
「うんにゃ。あれは自分の顔を鏡の破片で切っとった」
「うげぇ」
「いやはや儂も驚いて破片を取り上げるとエラい剣幕で暴れてのぅ。自分は醜すぎる!伊達(だて)にしてくれぇ!ちゅうて。結局、セラノの手下(てか)に引き渡したんじゃが捕まえておくのに、まあ苦労したわい。あれは山猫よ」
 爺さんは思い出したのか手の甲を未だ痛むかのように何度も擦(さす)った。
 おれはコップに残っていた水を土間に空(あ)け、ラムを注ぎ、手渡した。
 少し噎(むせ)ながら爺さんはラムを啜る。
「カキタレの美醜の目安が逆転しとるのは確かじゃ。想像するに奴にとってあんたは的(まと)も的、首っ丈(たけ)の的という訳じゃ。良かったのぅ。うふうふ」
「冗談じゃない。あんな奴(の)は、とんだ疫病神だ」
「何故?」
「ふん。此方人等(こちとら)、昨日今日の浮浪者(ルンペン)稼業じゃないんでね。んなことたぁ経験上、ずくっと判ってるんだよ。いつだってこっちの命取りになるようなド災難は、砂糖と蜜をべたべたに塗(まぶ)してやって来る。なにが惚れただ。けっ、御免だね。おれは去(ふ)ける」
「あらま本気か?何時?」
「ポチっとお天道様が上ったらよ。あんたにゃ世話になったようなしたような仲(もん)だ。セラノからせしめた食いものと酒は置いてくぜ。遣(や)ってくれ」
「ありがたいの。まあ其れ迄は呑むべし、喰うべし語ろうべし」
「そうしよう」
 と、板戸が剥がれ、単なる穴ぼこの〈窓(・)〉から光が射し込んできた。
 出ると小屋に立てかけたおれの(・・・)バイクを懐中電灯(ライト)で照らしている者(の)がいた。
『……何をしてるんだ』
 昼間(アノ)のお巡りが、おれが云うべき言葉を投げつけてきた。
 道の端にエンジンを切ったパトカーがある。
『セラノは見掛けほど優しくない。否(いや)、逆に時間が経つほど酷い奴だとわかるようになる』
 そう云い終え、奴は吸いかけの煙草を捨てた。
「良いバイク(単コロ)だ」
「白スーツのさ」
 お巡りが燃料タンクに触れた。親指の爪が深々と縦に割れている――が、古傷だ。
「知ってる……俺も何か因縁(あや)付けてブン捕る腹だった。こいつは三年前、奴のお袋さんが誕生日にプレゼントしたもんだ」
「良いお袋さんが居て、奴は幸せ者だ」
「確かにな」
「屹度(きっと)、ママがまた新しい玩具(おもちゃ)を買ってくれるさ」
 お巡りは首を振った。
「否、其れは無い。奴の誕生日の翌日、お袋さんは肝臓をまるごと売った。今は金持ちの腹ン中だ。残りは灰になって樹の下。買ってやりたくても、もう買う腕がない」
 虫の音が止んだ。
「……だから俺は手を付けなかった」
 おれは黙っていた。
「が、おまえは付けた」
 奴がおれの顔を照らした。光の輪の外が闇黒くなった。
「斯(こ)うして見ると尚更、凄いな。巨大な機械に挟まれた顔か踏み潰された福笑いの人形だ」
「其れを云うなら腹話術(・・)の、だろ」
「醜い奴はいちいち細かいな」
「ママのレバーを買ったのは?」
「おまえも知ってる奴さ」
「セラノか」
 奴は鼻を鳴らし、おれを明かりから逃がした。
「カルド(やつ)は知ってるのか」
「個人情報の盗み見は、お巡りだけの余禄でね」
「ふん。どうしようもないね」
「何故、直ぐ出て行かない」
「日が暮れそうだったし、セラノの屋敷で酒を飲んじまった。あんたに敬意を表して法律を守る気になったのさ」
 すると奴が乱暴におれを掴み、小屋に押し込んだ。
「おい!爺さん!不法侵入だぞ!何とか云え!」
 爺さんは呑んでいた酒瓶を口から離し、じわじわ地べたに置くと鼾(いびき)を掻き始めた。
「莫迦!狸寝入り(たぬき)やってる場合かっ!警察呼べ!ケイサツケイサツ!」
 警官は拳銃を抜くと銃口を椅子に向け、ゆらゆらさせた。
 おれは座った。
 奴はおれを凝(じ)っと見ていた。顔には怒りよりも困惑や何か得体の知れない……落巣した雛(ひな)がブーツで踏まれるのを見たようなものが浮かんでいた。
「狂ってるのさ。此の街の奴らは皆んな。特に醜いものに対しての嫌悪は異常だ。醜くても生きていて良いのは一部の動物か昆虫だけときてる。おまえはそんな街に踏み込んだんだ」
「いつからそんななんだ?」
 お巡りは首を振った。
「わからん。俺は最近になっての出戻りでね。街の奴らの話じゃ、何かゆっくりと街全体が変わっていった感じだ。いつでも引き返せる、まだ騒ぎ立てるほどのことじゃないと思っていた……が、気がつくと修正限界(フェイル・セイフ)はとっくの昔に超えてたのさ。今や下手な正論は街を出て行くか死ぬかの選択になる」
「明日、出て行くよ」
「暗いうちが良い。カルドが殺しに来る。多分、おまえの死体は発見されない」
「奴には悪いことをしたな」
「人間到る処、剣山(けんざん)ありと云うだろう」
「青山(せいざん)だよ」
 奴は片頬で笑うと銃を仕舞い、爺さんの瓶を拾い上げた。
 一瞬、爺さんは〈う゛ぁ〉と云ったが、直ぐ頭を寝床に戻した。
 お巡りは爺さんを見、おれに頷いた。
「なあ、無事に去(ふ)けのびたらバイクを奴に返したいんだが……」
 板戸を押し、外に一歩踏み出した足を奴は止めた。
「何故?売れば良い金になるぞ」
「臭い泡(あぶく)銭より、文無しの方が性(しょう)に合ってる」
 奴は声を出さずに笑った。
「二十キロほど行くと牧草地になる。屋根の赤い貯蔵庫(サイロ)が街の境界だ。其の辺りの木なり柵なりに立てかけておけ。後で回収してやる」
「猫糞(ねこばば)するなよ」
「俺は悪徳警官だ。屑屋(くずや)じゃない」
「よかった」
 おれは片手を挙げた。
「ひとつ良いことを教えてやる」
「なんだ」
「カルドは花婿候補のひとりだ。あれだけの男前なのに娘は頭が発狂(レコ)で洟も引っかけねえ。仕方なくセラノは娘が正気に戻った時の為に邸(やしき)で飼ってる」
「実(げ)に美しきは親の情愛ってやつだな」
「嗚呼(ああ)、全く泣ける。仮令(たとえ)其れがスーツの人食い鮫でもな」
 爺さんが堪(こら)え切れなくなった屁をブッ放し、おれとお巡りとの話し合い(チャット)は終わった。
 パトカーの音が遠ざかると爺さんは〈酒泥棒め〉とボヤいた。
 土間の隅で躯を丸めたおれは返事をしなかった。その代わり屹度(きっと)、明日は多かれ少なかれ厄介な日になるという予感がした。云っておくがおれの予感が当たった例しはない。
 が、その時だけは大当たり(ビンゴ)だった――。

(つづく)

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連載【Yellow Trash】
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。

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