見出し画像

「どうかしてても、大丈夫!」豊﨑由美×平松洋子

2024年12月4日、ジュンク堂書店池袋本店にて、豊﨑由美『どうかしてました』刊行記念トークイベント「どうかしてても、大丈夫」が開催されました。
同世代のお二人が子供時代の昭和な写真を見せながら、お客さんの笑いを誘い、互いの文章の奥義にも触れる対談となりました。

左が豊﨑由美さん、右が平松洋子さん

書評家・豊﨑由美を育んだ「ぬかるみ」へようこそ

豊﨑 早速なんですけど、平松さんから帯文をいただいたじゃないですか。
 
平松 はいはい。
 
豊﨑 「なんですか、このぬかるみ。」って。人から聞かれるんですよ、「どういう意味ですか?」って。この帯文、平松さんは本を読まないうちに作ったんですよね。ある授賞式の帰りに「ビールでも飲みますか」って二人でタクシー乗ってね。そのときに私が「こういう本が出るんですけど、帯文お願いできないですか」って話したら、すぐ出てきたんですよね。
 
平松 正確に言うと、あのタクシーの中でいきなり天から降りてきたのが「なに、このぬかるみ。」あとになって、いや、ちょっと失礼かなと思い直して、「なんですか」に変えたんです。
タクシーの中で私なりに集中して考えたんです。きっとその本の中には、豊﨑さんの知られざる面がいろいろと書かれているんだろうな、それってなんだろうって。そうしたらご託宣のように「ぬかるみ」っていう文字が。
もちろん、その後で他にもっといい文言がないか考えに考えたんですよ。でもやっぱり、「ぬかるみ」以上の言葉はなかった。だから「ぬかるみ」イコール豊﨑由美ってことで、ひらがなで1行、「なんですか、このぬかるみ」。自分の中からこの言葉が湧き出てきて、もう自画自賛です。
 
豊﨑 それ褒め言葉なんですか?
 
平松 もちろんです!
 
豊﨑 「ぬかるみ」っていうと、今はアスファルトのところが多いからなかなかないんだけど、昔はね、土の道だったから、雨が降ると土が泥っぽくなったところをぺったんぺったんってね、長靴を履いた足で。
 
平松 わざわざ入っていきましたよね。
 
豊﨑 あの「ぬかるみ」ですか。
 
平松 そう。なんか沼っぽくもある。
 
豊﨑 納得しました。これからは「豊﨑ぬかるみ由美」と名乗ります。
今回の本は『新文化』っていう、一般の方は読まれたことないと思うんですけど、書店や出版関係の方が読む業界紙に掲載した連載をまとめたものなんですが、ちょうど今日出たばかりの最新の原稿があるので、最初にちょっと読ませてもらいますね。

「新文化」で連載しているこのエッセイが本になりました。『どうかしてました』(ホーム社)。本紙を読んでいる皆さんならご承知の通り、 恥の多い過去をさらしつつ本の紹介をするという内容で、我ながら「よく単行本化してくれたな」「こんなもの読んでくれる人がいるの?」と思わざるを得ない1冊です。
とはいえ、出したからには売っていく責任があるので、12月4日には刊行記念トークイベントを開催。ゲストにお迎えする平松洋子さんの第73回読売文学賞の随筆・紀行賞を受賞した『父のビスコ』(小学館)を読んだのですが、読みながら赤面。読み進むほどに赤色を濃くしていき、読了する前に脳卒中を起こして死ぬのではないかと思うほど真っ赤っ赤な顔に。
そうっ、こういうのが随筆。ザ・随筆! 丹精な文章で綴られる滋味豊かなエピソードの数々に、トヨザキ感服つかまつり候の巻だったんです。
(中略)
……という絶品随筆の書き手である平松さんに拙著を読んでいただいたのが、ありがたいというより、お目汚しで申し訳ない気持ちでいっぱいなわけですが、そんな『父のビスコ』が文庫化されました。未読の方は必読の名随筆集です!

平松 ……(うつむく)。あのう、これは公開処刑か何かですか(笑)。
 
豊﨑 なんでですか! 精一杯のおもてなしですよ。
 
平松 おもてなしでしたか、ありがとうございます。

ザ・随筆! 平松洋子著『父のビスコ』(小学館文庫)

多動のトヨザキをそっと導いてくれた小学校の先生たち

平松 豊﨑さんのご本、表紙に使われている写真について解説していただけますか。
 
豊﨑 2歳くらいですかね。私、歩けるようになってからは、必ずこうやってズボンやスカートのお腹のところから下半身に手を入れて歩いてたんですよね。そうすると落ち着いたんでしょうかね。
猿に似てたので、家族には「秀吉」って呼ばれてました。9歳上の姉なんか、スリッパ持ってきて私に「あたためよ」なんて(笑)。当時私まだ幼稚園児で、何言われてんのかよくわからないまま、スリッパを懐に入れてましたね。
 
平松 ちょっと足が外向きに開いてタメをつくってる構えなんか、本当、ザ・豊﨑由美ですよね。
 
豊﨑 動けるようになってからはもうずっと落ち着きのない子でした。
 
平松 本の中でも書いてらっしゃいますよね、多動だって。最初に自分の傾向について気づいたのは、どんなときだったんですか?
 
豊﨑 やっぱり、小学校に上がって教育というものを受けるようになってからですよね。朝礼がすごく苦手でした。じっと立っていることができなくて、どうしてもこう、動いちゃう。そうすると、先生がぱっとやってきて「大丈夫かっ!」って、貧血で倒れそうなのかと思われたんですよね。
 
平松 多難な人生の始まり(笑)。いやあ私、今回のご本、いろんなところで泣きそうになっちゃって。
 
豊﨑 笑ってくださいよ!
 
平松 基本は笑いなんですけどね、読んでいて湧き上がってくる感情があちこちにあって。まさにその多動についてのお話も書かれていて、4行ぐらいなので、どんなふうに豊﨑さんが書いてるか興味深いので、ちょっと読みますね。
タイトルは「いつかどこかで死んでいたのかも」。

落ち着きのない子供だった。小学校低学年の頃に教壇の前が定位置だったのは、 授業中に勝手に立ち上がろうとするからだ。でも、それは「わざと」ではない。気がつくと立ち上がっているのだ。なので先生は、気配を察すると長い定規で優しく頭を押さえてくれた。すると、我に返ることができたのである。

カバーに掲載され、「フーテンの寅さんのよう」とも言われた2歳の頃の豊﨑さんの写真。

豊﨑 ……平松さんの声で朗読してもらうといいエッセイのように思えてきますね(笑)。1冊全部朗読してほしいぐらいですよ。
 
平松 (スルーして)この箇所、すごくデリケートですよね。私、この4行にぐっと来たんです。「気配を察すると長い定規で優しく頭を押さえてくれた」。
 
豊﨑 (ハンカチを取り出して顔を拭う)……泣いてませんよっ、汗拭いてるんですよ。
 
平松 あの頃の、昭和40年代? こういう先生とのやわらかな関係性。言葉にはしなくても、その子のことを理解していて、ふっと思いやりを示してくれたり包んでくれたりする。そういう時代の教室の気配みたいなものもいっしょに蘇ってきました。
 
豊﨑 今の学校の先生ってすごくかわいそうだって思うのが、父兄(保護者)や世間はうるさいし、上からは厳しく管理されちゃってるじゃないですか。まるで会社の平社員みたいに。私たちが子供の頃って、もうちょっと先生に裁量がありましたよね。
小学校のときにね、木曽川が近くにあったから、みんなで魚をとってきたんですよ。で、先生に見せたら「じゃあ池を作ろう」って花壇の一部を勝手に掘っちゃって。みんなでビニール敷いて、「どうしたら水が漏れないか」なんつって知恵を絞って。校長先生の許可なんか得ないし、怒られたりもしなかったみたいでした。
昭和って時代は、悪いこともいっぱいあるんだけど、そういうおおらかさがありましたよね。
 
平松 そうですね。私が小学生のときの担任に、給食の時間に学校を抜け出してひとりで近所の定食屋に行って昼ご飯を食べていた先生がいたんです。その理由が「給食はマズイから」(笑)。完全な職場放棄。いまだったら大問題になるけれど、当時はなーんとなく許されるようなユルさもあった。今日はそんな私たちの子供の頃の写真を持って来ましたので、お見せしながらお話ししましょうか。

場の力関係を見切る! 大谷家のデコピンに共感

豊﨑 平松さんのお写真はこれ、生まれてすぐくらい?

当時はモノクロでしか撮れなかった家族写真を見ながら。

平松 写真アルバムに母の字で「洋子 5ヶ月」って書いてありました。私は昭和33年の2月生まれなので、夏、7月ぐらいですかね。私と、母と父ですね。豊﨑さんの方はお母さんとお姉さん?
 
豊﨑 母と姉はすごく似てるんです。私だけ父親似なもんだから、一見、もらわれてきた子みたいになってますね(笑)。
私が生まれたのって、すごく暑い日だったんですって。もちろんクーラーなんてない時代だから、母親は「やだやだやだやだ」と思いながら産んだらしいんだけど、「出たな」と思った後に先生が「あっ」って言って。どうも床に落としたらしいんですよ、私のこと(笑)。それで頭デコボコしてるんですよ。
髪の毛もね、写真見ていただくとわかると思うんですけど、ぽよぽよしていて、親も心配したんですって。「人らしいものになりうるのかね、これは」って(笑)。
 
平松 「ぬかるみ」の源泉がここに(笑)。
 
豊﨑 姉と9つ離れていたから、物心ついたときから家族の中ですごく疎外感があって。一人だけ会話にも入っていけない。それで私がやったのが、森進一の真似とか、おちゃらけ系。
 
平松 へえー。9歳のギャップは大きいですもんね。年齢差が早熟な方向へ向かわせたんですねえ。自分の家族の中にどうやって入っていこうかっていう、それ、なかなか繊細かつ周到な話ですよ。
 
豊﨑 だからほら、大谷翔平さんとこのデコピンみたいな。誰がボスで誰が優しくてって、見切るのが得意なんですよ。知ってる人があまりいない飲み会なんかに行っても、しばらくじーっと見ててね、力関係を見切る(笑)。
 
平松 見切る(笑)。小さいときから、状況判断を下して動く練習を重ねていた、と。
 
豊﨑 これはもう少し大きくなってからの話ですけど、家から私がいなくなったんですって。家族みんなで探してたら、ソファの下から、くちゅくちゅ音がする。覗いてみたら、私がね、なんか、足の裏についたゴミをつまんで食べていたと(笑)。
 
平松 どういうこと(笑)。
 
豊﨑 母親が、「きれい好きな子になるね」って(笑)。
 
平松 むやみに叱らないお母さんだったんですね。そのあたりの話は本にもありましたね。耳垢を集めるのが大好きで小瓶に入れておいたのをお母さんに捨てられて泣いたって話。
 
豊﨑 そう、「きれい好き」じゃなくて「汚いもの好き」になっちゃったんですよ(笑)。
 
平松 1周、2周回ったり、反転したりして、いろんな要素が混じり合ってトグロを巻いてる感じがたまりません……。
 
豊﨑 私ね、本を読んでなかったら、サイコパスになってたと思うんですよ。心理学を勉強している友達にすすめられて診断受けたことがあるんです。そうしたらまんまと出たんですよ、境界性人格障害って。
やっていいことと、やってはいけないこと、言っていいことと言ってはいけないことの境目を、自分本位で決めちゃうんです。以前、中学生が耳が不自由なホームレスに熱湯をかけたという事件がありましたけど、その子が「やりすぎた。石投げるぐらいにしとけばよかった」って言ったんですって。これなんですよ。やったこと自体を悪いことだと思ってない。
私も子供の頃のことを書くようになっていろいろ思い出すと、かなりそういうところがありました。危険人物です。もし私が本を読まずに大人になってたら、特殊詐欺団の一員みたいな、社会の害悪になってた可能性がすごくありますよ。
だから今日ここで喋ることは、決してXとかに上げないでくださいね。犯罪的なエピソードも明かしちゃうかもしれないので。

本を読んでなかったら、サイコパスになっていた!?

本の中に探すのは自分の姿? それとも他者?

平松 じゃあその本との関わりが書かれているところを、また読んでみようかな。「溜める人」という一篇。途中からですけど、本が溜まって大変なことになってるってところ。

わたしには本を“溜めて”いる意識はない。わたしは本を溜めているわけでも、集めているわけでもない。本はわたしのところにやってきて、ただ、ここにいるだけなのだ。本は、かつての耳垢やスーパーボールやミニカーや石たちのようには、わたしに近しくない。わたしは本に自分を見たりはしない。わたしは本に他者を探している。

……という名文でございます。
 
豊﨑 平松さんが読んでくれるといい感じになりますけど、たいしたこと書いてないですよ。
 
平松 まあそう仰らずに。あのね、本との相対し方って、年齢によってもすごく違いますよね。本に他者を探す、見出すって、やっぱり自意識が生まれてからだと思うんです。
私の場合は、本当にちっちゃいときは、たとえば絵本の中の人物に自分を投影したりしていましたね。自分を投影することで、自分が違う人物になったり、思いもかけない冒険に出たりする。想像力をふくらませるスタート地点でもあったし。そのあたりはどんなふうに感じていましたか?
 
豊﨑 もちろんそうだと思います。私は『長くつ下のピッピ』がすごく好きでした。でも、自分を投影するというよりは、憧れる、という感じで、やっぱり他者だったような気がします。友達かもしれないけれど、他者でしたね。
 
平松 私は、リカちゃん人形が流行る前、アメリカのバービー人形が全盛期のときに着せ替えごっこをして遊んでたんですが、もう大好きで。大人になったらこういうロングヘアになるのかなとか、いつかこういうパーティドレスを着られるのかなとか夢見てたなあ。おままごとなんかでもそうじゃないですか。お母さんになって、急におしゃまな口をきいたりして。
 
豊﨑 私はいっつもお父さん役やらされてた。全然楽しくないんですよ。朝「行ってきます」って出るじゃないですか。あとはずっとブランコのとこにいなきゃいけない(笑)。帰ってきていいよ、みたいな合図があったら、「ただいま」って帰る。なにが楽しいんだ、って。
夢中になったのは「大渋滞」でしたね。集めたミニカーをガーッて並べて、家中の廊下という廊下に大渋滞させる。
 
平松 え? なんだか大人っぽい遊びじゃないですか!?
 
豊﨑 色川武大さんの小説に、子供の頃、パタパタってやる相撲の紙のおもちゃに夢中になって、「土俵があるなら国技館も欲しい。国技館の前には町がある」って、どんどん遊びのスペースを広げた話があって、それが自分の狂気のはじめだったみたいに描かれていたんですが、私も、そういう遊びが好きでしたね。大渋滞の果てに極楽のような場所を作ったり。
 
平松 やっぱり早熟だったんだなあ。男の子的な発想も混じってるし。当然メンコ遊びとかも?
 
豊﨑 大好きでしたよ。すごいインチキしてました(笑)。メンコを買ってくるとまず、 やすりで四方を丸くするんです。角を作らないようにする。で、裏に蝋をこすりつけるんですよ。そうすると絶対にめくられない。
 
平松 あのう、そういう技はどうやって習得するんですか。
 
豊﨑 父親に教わりましたね。そうやれば絶対に取れるって。投げ方もこんな感じで(席を立って実演)、セメントの地面に間違えて指を叩きつけるると血豆がブワーッとできちゃって。
 
平松 幼少時の遊びからして修羅ですね。
 
豊﨑 サイコパスですから。

今だから言える「どうかしてました」エピソード

平松 この写真はお父さん。お正月ですか?
 
豊﨑 父はホテルマンで、復帰前の沖縄で仕事をしていて、ドル建てで給料をもらってたんです。1ドル360円時代だったから、当時はうちは結構、裕福だったんですよね。
それが、こっちに戻ってきてマンモス団地で暮らすようになって。あるとき家に友達を呼んだとき、たまたま父が休みで在宅していたんですが、私が友達に「うちはね、沖縄っていうとこにいるときは、すごくお金があったのに、今はない。貧乏」って言ってたのを聞いて、しみじみ悲しくなったらしいです(笑)。
 
平松 お父さんのお話、読んでみます。タイトルは「父の予言はよく当たる」。

高校一年生の時だったか、大三(ダイゾウとはお父さんの名前です)の小銭入れから時々二百円ばかり失敬していたのだけど、ある朝、とうとう激怒。
「お父さんが知らないとでも思っておるのかしらんが、毎日毎日、ひとの財布から小銭を盗んで……。お前のようなこそ泥は、そこらの店で数万円盗ってお縄になるような、ちっちゃい事件で新聞に載るに違いないっ」
わたしはわたしで、内心「小銭が数枚なくなってることに気づくなんて、ちっちぇえ男だなあ」と侮蔑したのではあるが、いつか原稿依頼がなくなった時、コンビニに押し入っている自分の姿が、最近目に浮かんでしかたないのである。
そんな大三が、三月末、九十二歳で逝った。最後まで好きになれなかったこの人が骨になるのを待つ間、わたしは本を読んでいた。早晩忘れ去ってしまえるような小説だった。

豊﨑さんの父、大三さんの写真の前で、彼について書かれた箇所を朗読。

豊﨑 父と私はそっくりなんですよ。性格とか、顔も。姉と母が亡くなった後、ふたりになってからは、似た者同士だったからかな、ずっと折り合いが悪かったんですよね。
 
平松 お父さん、お写真で拝見しても、一度お会いしてみたかったな、っていう感じの方ですね。笑い顔も、剽軽ひょうきんというか、オリジナルで(笑)。それにしても今回、子供の頃の写真をということで、あらかじめ豊﨑さんの写真との並びを見せていただきながら思ったことがあるんですよ。「私の写真ってなんてつまらないんだろう」と。
 
豊﨑 なんですか! 平松さんの写真どれもかわいいじゃないですか! かわいいは正義ですよ!
でも平松さんにもあるんじゃないですか、『どうかしてました』というエピソード。
 
平松 そうですね……期待にお応えできるかわからないんですが、自分をすごく嫌だなあと思った記憶があって…。口にするともっと自分がつまらなくなりそうだから、かなり迷うんですけど……。
 
豊﨑 もうこの際ですから言ってしまいましょう。
 
平松 ハイ、では。小学校の頃、先生って、生徒の成績とか全部書いてあるファイルみたいなの、持ってたじゃないですか。ある日、すごく厳しい女の先生、今でも名前を覚えているんですけどヤエコ先生が、それを教員室に忘れてきたんですね。それで、誰かに取りに行ってもらうってことになって、先生に私が指名されたんです。
そうしたら男の子の一人が、「中を見られちゃうじゃないか」って言って抗議したんですよね。
 
豊﨑 私はふだんから覗き見してましたけどね(笑)。
 
平松 でも先生は「平松は見ないから大丈夫だ」って。それが、大人の言葉で言うと「タカをくくられている」感じがして、すっごい悔しくて。教員室に向かいながら、先生なんかに信用されてる自分はずいぶんつまんない人間だな、と。そこから先、もっと嫌な展開があって。本当はファイルの中をものすごく見たかったのに、開くことができなかったんですよ。
自分がもう根本からグラグラして、じょうばく状態。今でもはっきり覚えてるんですけど、教員室の先生の机の上に置いてある帳面を持って、教室に戻って扉を開けるまでの短い間にドロドロの感情がウルトラQの画面みたいに澱んで、自分を見失ってしまった。
 
豊﨑 それですよ。グラグラした、そういう人だから名随筆が書けるんだと思うんです。ものの見方が一辺倒じゃないっていうか、ひとつの言葉とか、ひとつの佇まいとかを見るときの視点。今のお話しがすでに随筆になってます、小学校のときの、そういう平松さんがいるから、今の文章家の平松さんがいるんですよね。
 
平松 どうなんですかね。とにかく自分が引き裂かれた強烈な体験だったんですよ。まあこうして半世紀経っても鮮烈な記憶なんですから、大事な経験だったことは間違いない。豊﨑さんもこの本の中に書いていらっしゃいますが、いろんなぬかるみの中からね、意図せずふっと湧いてくるようなものが積み重なって、人はできていくんだなあと。いかにして豊﨑由美になりにしか、っていう一冊だと思いました。
 
豊﨑 そろそろ打ち上げに行きたい気分になったところで時間が来ました。本当は、平松さんにエッセイの書き方を質問して、来場者の皆さんのためにもなればと思ったんですが、 何ひとつ有益な話ができなくて申し訳なかったです。
平松さん、今日はわざわざ豊﨑ごときのために来ていただき、ありがとうございました。
 
平松 いや、もう、こちらこそありがとうございました。
 
司会 それでは、お時間となりましたので、イベント終了とさせていただきます。豊﨑由美さん、平松洋子さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。
 
豊﨑・平松 貴重なお話……(笑)。

構成:剣持亜弥
撮影:須古恵

豊﨑由美(とよざき・ゆみ)
書評家、ライター
1961年、愛知県生まれ。東洋大学文学部印度哲学科卒。
多くの雑誌、WEB、新聞で書評の連載を持つ。『どうかしてました』が初のエッセイ集となる。著書に『そんなに読んで、どうするの?  縦横無尽のブックガイド』、『ニッポンの書評』、『時評書評ー忖度なしのブックガイド』、共著に『文学賞メッタ斬り!』『百年の誤読』、『カッコよくなきゃ、ポエムじゃない! 萌える現代詩入門』など。

平松洋子(ひらまつ・ようこ)
エッセイスト
1958年、岡山県倉敷市生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。食と生活文化、文芸などをテーマに幅広い執筆で知られる。2006年『買えない味』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、12年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞、21年『父のビスコ』で読売文学賞受賞。
近著に『おあげさん』、『パセリカレーの立ち話』、『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』(共著)、『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』など。

更新のお知らせや最新情報はXで発信しています。ぜひフォローしてください!