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No.20『死の棘』島尾敏雄 石田衣良「小説家・石田衣良を育てた50冊」

子供の頃から無類の本好きだった小説家・石田衣良。小説家になり、ついには直木賞作家へと駆け上がった彼がこれまで読んできた中で特に影響を受けた作品50冊を、人生の思い出とともに紹介する書評エッセイ。
[毎週金曜日更新]

photo:大塚佳男


 不倫小説は、すっかり流行らなくなってしまった。
 昭和の時代には不倫小説こそ、純文学・通俗小説を問わず、日本の小説世界の王道だった。これは間違いのない事実で、この分野の名作は数え切れない。現代小説を書いていながら、不倫ものを一編も書いていない作家を探すほうが、遥かに困難だったのである。
 だが、その王道は社会の清潔化とポリティカル・コレクトネスの進行、さらにネット社会のアナフィラキシーショックにも似た激烈な不倫叩きによって、完全に閉ざされてしまった。もう不倫小説の新たな傑作は期待できなくなってしまった。ぼくたちの生きている現実世界も、その映し鏡である出版界も、一過性の時代の変化を新たなスタンダードだと安易に信じこんでしまう悪癖がどうやらあるようだ。

 ぼくが『死の棘』を初めて読んだのは20代のなかばだった。当時、港の見える街で同棲生活を始めて、一年ほどが経過していた。残念なことに、週末楽しくデートするだけではわからないことを、いつの間にか学ぶようになってしまった。いつもいっしょにいるからこそ、口にはだせないことがあること。相手のすべてを見てはいけないこと。丁寧さや礼儀はどれほど肌を重ねようが、失ってはならないこと。恋愛の恐さ、深さを初めて体感した時期だったので、トシオとミホの夫婦の破壊的で粘着質な愛憎の描写には震えあがった。
 人の心の闇を描くという点では、すべてのホラー小説を抑えて、この作品の恐怖を第一位と推しても異論は多くないはずだ。計算してつくられた「イヤミス」のサイコパスなど、凄まじいリアリティと深さで描かれるこの作品の「闇」に比べたらかわいいものだ。

 10年間の不倫を書いた夫の日記を読み、妻ミホは壊れていく。最初の夜から旧ソビエト情報部も顔負けの尋問が3日3晩、眠らずに続けられるのだ。その日から高校教師をしていた新進作家トシオとミホの、貧しいながらも幸福な日々は終わりを告げる。狂気の世界に踏みこんでいくミホを恐れて、トシオはひたすら卑屈になり、地を舐めるように平伏して謝り続けるが、ミホは決して許そうとはしない。
 駅のホームや病院で平手打ちをくらい、書くこともできなくなり、絶望感から自殺しようとするトシオをミホがとめると、今度は自分が自殺しようとする。ほとんどコントの一場面だが、あまりに深刻で笑うこともできない。不倫相手の「あいつ」とどこにいったのか、どんなことをしたのか。目の据わった妻の尋問は果てしなく続くのだ。この繰り返しが読み手の心を麻痺させて、しばらく平穏な日々が続くと、早くつぎの嵐がこないかと待ち受けるようにさえなってしまう。
 不幸なことに、夫婦には兄と妹の幼い子どもたちがいる。兄は母親のミホに、「こんなおかあさんだけど、いっしょについてくるかい?」と聞かれると、「おかあさんといっしょに行って、おかあさんが死のうと言えば、いっしょに死ぬよ」という。それを聞いていた妹のほうは、「マヤハ、シミ・・タクナイ」といって泣きじゃくる。他のパートがあまりに暗いので、不幸なこどもたちの存在が救いになるという逆転現象が起きてしまうほどである。悲惨なコミック・リリーフだ。ミホが発作を起こし修羅場になると、幼いふたりは懸命にとめるのである。「カテイノジジョウをしないでね」読み手は胸のなかにどす黒いものを抱えながら、微笑せざるを得ない。

 ここまでの紹介を読んだら、まず現代の読者の90パーセントは『死の棘』を最初から受けつけないだろう。だが、泥の沼に下半身を沈めた夫婦の果てしない口論や、ときに直接的な暴力を読みすすめていくうちに、トシオとミホの間にしか存在しえない、通常の恋愛を遥かに超えた底光りするような「絆」が見えてくる。
 どうして、このふたりは罵りあいばかりしているのに、おたがいから離れないのだろう? なぜ、島尾敏雄はこれほど克明に、妻の言動を書き続けたのだろう。これはどれくらいまで実際にあったことなのだろう。創作上の手応えや評価を得て、作者はこの地獄巡りに倒錯した喜びを得ていたのではないか(実際『死の棘』は島尾敏雄の代表作と現在では見なされている)。謎が謎を呼んで、深まってくるのだ。

 その謎を解くには、この作品の成り立ちを見ておく必要がある。不倫が発覚した日からミホの精神が壊れ、まともな日常生活が送れなくなり、トシオが働きにいくのも困難になり、ミホを精神病院に入院させる。これがあらすじといえば、この作品のあらすじなのだが、この期間はほぼ一年間とそれほどの長期間ではない。この愛憎劇の後、島尾は妻の郷里に近い奄美大島に移り住んでから、16年という歳月をかけて、断片的な連作短編の形でこの作品を仕あげている。
 一年間にわたる修羅の季節を、息を詰めながらていねいに作品化したのである。南の島に戻った妻は精神的な安定を取り戻し、島尾自身も新たな職を見つけ、カトリックの洗礼まで受けている。すくなくとも執筆時期には、夫婦間の嵐は過ぎ去り、いたわりと贖罪しょくざいの日々を送っていたはずだ。

 カトリックの告解は、神の赦しを受けるために自ら犯した罪を正直に告白するという行為である。島尾敏雄は16年かけて、妻ミホに自分の犯した罪を告白したのだろうか。鬼神のように恐ろしい般若面のミホは目をそむけたくなるほどだが、ときおり南の島の少女を思わせる可憐な美しさが、作中にこぼれることがある。壊れたミホは島尾には、どう見えていたのだろう。冒頭に近い部分で、島尾はこう記す。

妻の服従を少しもうたがわず、妻は自分の皮膚の一部だとこじつけて思い、自分の弱さと暗い部分を彼女に皺寄せして、それに気づかずにいた。

 読む者を嫌悪と恐怖で痺れさせる『死の棘』が、妻の赦しを乞う、やむにやまれぬ告解として書かれ、島尾の人生最大の罪の告白であるとしたら、この一冊にかけられた16年という歳月がいくらか見えてくるような気が、ぼくにはする。凄惨な犯行現場に犯人が何度も足を運ぶように、島尾敏雄は繰り返し自分の罪の現場に立ち戻り、罪の深さと苦悩を洗いざらい描いていく。妻ミホの鬼の顔と菩薩の顔を、ともに忘れられない形で書きとめる。これはもしかしたら、形を変えた妻へのラブレターではないのか、ときにそんな甘い迷いを感じるほど執拗にだ。

『死の棘』は私小説の極北と呼ばれることがある。欧米のように絶対的な唯一神をもたない日本人は、罪に対して相対的で曖昧な評価になることが多い(あの人もいいところがあるから、あの人も若い頃は遊んでいたけど、あるいはいつも挨拶をしてくれる人でした等々)。明治以降の作家は、罪や真実や誠実さに対する欧米の厳格さに畏れを抱いた。あのような厳しい高みに自分たち東洋の神なき島国の人間が到達できるものだろうか。そこで、多くの作家は神の代わりに、自分自身の寄る辺ない「個」を頼ることにした。この経験は自分だけしかしていない。固有の経験や感覚、感情は神でもきっと奪えない。そうして自らの経験をなるべく正確に、体感した事実をフィクション化せず、ありのままに描く私小説が誕生した。
 その流れでいえば『死の棘』は私小説の境界からも、すこしはみだしてしまうのかもしれない。不倫をした夫と嫉妬に狂う妻の凄惨ないさかいを描いたこの作品には、ところどころ聖なる光がさしている。島尾敏雄は自分の苦痛よりも、妻ミホの嫉妬や怒りや狂気を遥か上に置いた。聖なるものがこの不倫小説には確実に存在しているのだ。私小説に神はいなくとも、『死の棘』にはミホという双面神がいる。

 極東の神なき国にも、こうして奇跡のような作品が生まれることがある。
 ぼくとしては、それがもう廃れてしまった不倫小説であるのが、すこしだけうれしい。
 ぼくの初めての同棲生活は、この本を読んでから一年足らずで解消されてしまった。そのときの灰を噛んだような感情は、「スローグッドバイ」という短編に形を変えて、すこしだけ書いている。港の見える街、横浜市中区は、いまだにぼくにとっては特別な場所だ。

作品番号(20)
『死の棘』
島尾 敏雄
新潮文庫 1981年1月刊

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【小説家・石田衣良を育てた50冊】
毎週金曜日更新

石田衣良(いしだ・いら)
1960年、東京生まれ。1997年「池袋ウエストゲートパーク」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、続編3編を加えた『池袋ウエストゲートパーク』でデビュー。2003年『4TEEN』で直木賞、2006年『眠れぬ真珠』で島清恋愛文学賞、2013年『北斗 ある殺人者の回心』で中央公論文芸賞を受賞。著書に『娼年』『夜の桃』『水を抱く』『禁猟区』などがある。
Twitter: @ishida_ira

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