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No.21『甲賀忍法帖』山田風太郎 石田衣良「小説家・石田衣良を育てた50冊」

子供の頃から無類の本好きだった小説家・石田衣良。小説家になり、ついには直木賞作家へと駆け上がった彼がこれまで読んできた中で特に影響を受けた作品50冊を、人生の思い出とともに紹介する書評エッセイ。
[毎週金曜日更新]

photo:大塚佳男


 時代小説の波は、20代後半にやってきた。
 入口はテレビドラマで馴染んでいた池波正太郎だったことは、『鬼平犯科帳』の回に書いた。代表的な3シリーズ計50冊弱を一気に読み、あまりのおもしろさに唖然とした。池波正太郎に続けて藤沢周平を読み、司馬遼太郎を読み、隆慶一郎を読み、自分のなかでは時代小説を一周した感があった。それまで海外のSFミステリーばかり親しんでいたので、小説のジャンル内だが、異世界に転移したようなものだった。世界の成り立ちも、描く背景も、人が動く原理もまったく異なった、新鮮な「異小説」体験である。

 当時はやる気のない会社員だったので、周囲が残業しているのにさっさと仕事を切りあげ、無理やりつくった余暇の時間で好きな本を乱読するのが趣味だった。通勤電車のなかで鬼平の短編をひとつ読む。また帰りにもひとつ読む。家に帰ったら、自分で簡単な料理をつくり、夕食後は音楽をかけて、また本の続きを読む。仕事は好きではなかったけれど、若くて怠惰な読書生活はなかなか悪くなかった。携帯電話の登場遥か以前の話なので、車内で文庫本を読んでいる人がどの車両にも5~6人、多いときには8~9人はいた。なぜ、それほど詳しいかといえば、同じ車両に乗りあわせたなかで何人が本を読んでいるのか、毎回数えていたせいだ。多くても10人を超えることはほとんどなかったけれど、それでも立派なものだと思う。今ではひとりでもいるとラッキーなのだから。

 ここで自分なりの時代小説に対する考えを短く記しておこう。ぼくは時代小説は基本的に和製ファンタジーだと思う。動かせない歴史的事実や時代考証という最低限のルールさえ守っていれば、なんでもありのファンタジーである。こんなことをいうと厳格な歴史小説好きから叱られそうだけれど、あれほど多数の作家がバリエーション豊富に、別ないいかたをすれば好き勝手に過去を書けるのは、大本がファンタジー=空想だからだろう。
 事実や現実から自由な空想をファンタジー、事実や現実に基づく想像をイマジネーションとする英語の創作概念が、時代小説を色分けするには恰好かもしれない。ファンタジーとイマジネーションの間にある広大な領域で、それぞれの時代作家が持ち味を生かして過去の日本を自分なりの方法で書く。ファンタジー寄りの作品も、イマジネーション寄りの作品もある。それが現在の時代小説の在りかたではないだろうか。

 さて、そこでファンタジー寄りの時代小説の代表をここに紹介しよう。山田風太郎の『甲賀忍法帖』だ。30冊ほどある長編忍法帖シリーズの記念すべき第一作で、登場して即、巷の人気をさらった。小説誌への発表が1958年だから、反響はすさまじかったはずだ。当時はまだ映画と小説が娯楽の王様だった時代である。テレビもスマートフォンも動画配信サービスもない紙の本の黄金時代である。
 甲賀卍谷まんじだにと伊賀鍔隠つばがくれに住む忍者たちは、数百年にわたり互いを憎みあう仇同士だった。慶長19年、徳川家康によって双方の首領が駿府城すんぷじょうに召集される。後継者選びに困った家康が命じたのは、甲賀と伊賀から代表各10人を選び、忍術による果たしあいをせよというもの。その勝敗によって第3代将軍を決めるという、ある意味トンデモ設定だ。伊賀が勝てば11歳の兄・竹千代を、甲賀が勝てば9歳の弟・国千代を将軍にする。かくして徳川家の命運をかけて、忍術界のトップであるふたつの里が、血で血を洗う奇想天外な忍法で殺しあうというストーリーである。
 それぞれの忍者が、どのような奇天烈な忍法をつかうかは、本編でぜひ確かめてもらいたい。医学部を卒業しながら自分は医者に向いていないと作家になった山田風太郎なので、スーパーヒーロー映画の超能力にも似た力にも医学的な解説が添えられていたりする。そのトンデモ疑似科学がまた胸躍るいい読みものだ。

 山田風太郎の偉大さは、なにより新しいジャンルを創設したことにある。エドガー・アラン・ポーが論理的に謎を解く推理小説をつくりだしたように、風太郎は強者が死力を尽くし順番に闘う「トーナメントもの」を切り拓いた。忍法帖の忍者の果たしあいから、『ドラゴンボール』や『幽遊白書』のトーナメントが生まれ、近くは『終末のワルキューレ』や『ケンガンアシュラ』など多数の異能バトルものが派生してきた。すくなくともこの日本では風太郎忍法帖の影響を受けていないこの分野の作品は存在しないのだ。
もちろん素晴らしい傑作を書くことも偉大だが、その後おおいに栄えるひとつの創作ジャンルを生みだすことは、さらに偉大である。小説の新しい楽しみかたをつくりあげ、後続の大勢の表現者たちの生計を支える役に立つのだから。
 風太郎作品ではどれほどグロテスクだったり、エロティックな場面を描いても、文章の温度が上昇することはない。人間の生と死について、突き放した相対的な態度に終始する。山田風太郎、本名・山田誠也は愛国青年だったが、肋膜炎のため徴兵検査で入隊には不適格とされてしまった。そのときの疎外感と、医学部で身につけた理系の視点、病や奇形や死に対する慣れが、独特の超然としたクールな作品世界をつくりだしているのだろう。

 代表作として誰もが忍法帖シリーズをあげるけれど、王道だけでは満足できないというすこし変わった本好きには、小説ではない作品をふたつお勧めしておこう。
『戦中派不戦日記』は敗戦の昭和20年1年分の風太郎青年の日記である。23歳の医学生として体験したあの年「いうまでもなく日本歴史上、これほど――物理的にも――日本人の多量の血と涙が流された一年間」と「敗北につづく凄じい百八十度転回」を引き締まった漢文調の文体で描いた私的なメモワールだ。時代の悲劇性ゆえか、作家の戦中日記には傑作が多いけれど、そのなかでも白眉のひとつである。
 もう一冊は『人間臨終図巻』だ。八百屋お七15歳、アンネ・フランク16歳から始まり、最高齢は泉重千代121歳まで、あらゆる著名人の死の模様を描いて一大暗黒絵巻になっている。誰がどのような最期を迎えるか、誰が誰より長生きしたのか。寿命と臨終の苦痛を比べるトーナメントのようにも読める味わい深い作品だ。気になるようなら、いちど書店で自分と同じ歳で亡くなった人のページだけ拾い読みしてみるといいだろう。人の死には強烈な吸引力があるので、手ぶらで帰るのはきっと困難になるはずだ。それも奇才・山田風太郎の冷酷な計算かもしれない。
 ちなみにぼくは今63歳だけれど、その歳で死んだ有名人リストは次の通り。平清盛(病死たぶんマラリア)、アルフレッド・ノーベル(心臓麻痺)、アントニン・ドヴォルザーク(脳出血)、乃木希典まれすけ(自殺)、フランクリン・ルーズヴェルト(脳溢血)。いやはや、ドヴォルザークがそんなに若くして亡くなっていたとは思わなかった。

 最後に時代小説について、ひとつだけ。ぼく自身いつか時代ものを書いてみたいという気持ちが以前にはあった。若手作家でも現代もの時代もの、どちらも手掛ける書き手も増えている。自分でやるなら江戸時代の捕物帳スタイルで、短編の連作がいい。朝顔づくりの内職で家計を助ける貧しい下級武士の次男坊が主人公で、史実として実際に発生した鬼子母神近くの豊島村の街道で、ひと夜に17人殺しの辻斬り事件の謎を解くというのが、最初の一巻だ。この作品はもう何年も頭のなかで転がしているのだけれど、江戸時代の生活の細部を勉強するのが面倒で、いつまでも手つかずになっている。
 たぶん書かない小説の人物たちやストーリーをあれこれ空想する。これは案外知られていない作家のお楽しみのひとつなのだ。

作品番号(21)
「甲賀忍法帖」シリーズ
山田風太郎
講談社文庫 

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【小説家・石田衣良を育てた50冊】
毎週金曜日更新

石田衣良(いしだ・いら)
1960年、東京生まれ。1997年「池袋ウエストゲートパーク」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、続編3編を加えた『池袋ウエストゲートパーク』でデビュー。2003年『4TEEN』で直木賞、2006年『眠れぬ真珠』で島清恋愛文学賞、2013年『北斗 ある殺人者の回心』で中央公論文芸賞を受賞。著書に『娼年』『夜の桃』『水を抱く』『禁猟区』などがある。
Twitter: @ishida_ira

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