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だんごエンターテインメント 千早茜「なみまの わるい食べもの」#13

[第2・4水曜日更新 はじめから読む
illustration:北澤平祐


 不測の事態にとても弱い。予定にないことはほとんどしないし、ちょっとした外出でもけっこう綿密に計画する。例えば、柑橘かんきつのパフェを食べにいくときは黄色とオレンジを基調とした服やネイルを前日から用意している。パフェにひびかないような朝食をとり、いざ店に着き「申し訳ありません、本日は柑橘のパフェはご用意できません。赤いベリーのパフェになってしまいます」と言われたら、フリーズする自信がある。パフェを食べたい気持ちと今日は赤いベリーじゃないの気持ちの狭間はざまで身動きがとれなくなってしまう。

 六月末、岩手の自然の中でそんな状態になっていた。車の窓の外はひたすら緑。田んぼは青々とし、山の樹々は燃えるように葉を茂らせている。サングラスをしていても目の奥まで緑色に染まりそうだったが、景色が鮮やかであればあるほど気持ちとの乖離かいりが加速するようでいつになく無口になっていく。

 本来ならヨーロッパの森にいるはずだった。一年ごしの新婚旅行の予定だった。各出版社に仕事を調整してもらい、原稿を前倒しで納め、なんとか長い休暇を獲得し、ペットシッターさんと打ち合わせをし、家を掃除し、冷蔵庫の中身や備蓄食料や菓子を片付け、荷造りしてトランクを閉めた瞬間、青い顔をした夫が部屋に入ってきて「申し訳ない」とトラブルが起きたことを告げられた。詳細は省くが、海外に行くのは諦めるしかないトラブルであった。夫側のトラブルだったので一人で行こうかとも思ったが単独の新婚旅行は夫婦としての幸先が悪すぎる。あらゆるものをキャンセルし、せっかく旅支度をしているのだから数日、国内旅行をしようという話になった。「なにか欲しいものはない?」と夫に訊かれ、南部鉄器の鉄瓶しか浮かばず、岩手は花巻温泉の宿をとり東北行きの新幹線に乗った。夫はなんとか気分を変えようとしていたが、私はヨーロッパで着ようと思っていた服を持っていく気にもなれず、ヨーロッパの菓子も食べ損ね、ずっとふてくされていた。

 行ってみたかった酒造を訪ねたり、酢を入れてつくる蒸し菓子「がんづき」を手に入れたり、嬉しいことも多かった。しかし、どこか「こんなはずでは」がぬぐえない。憧れだった餅料理を食べたあとのことだった。渓谷へと夫が車を走らせた。ますます深まる緑。ふと、「だんご」の看板が視界をよぎった。茶屋のようだが「空飛ぶだんご」とある。なんだろうね、と車を降りて茶屋に近づくと、店内に人の姿は見えるが入り口に「対岸にお回りください」と書かれている。「さすが岩手、『注文の多い料理店』みたいだね」と険しい渓谷を見下ろしながら橋を渡った。よく晴れた、とても暑い日だった。

 橋をわたると、ひらけた岩場に観光客がちらほらいた。断崖に三組ほどの列ができている。カーン、カーンと乾いた音が響いた。なんだろう、と近づくと、対岸にさきほどの茶屋が見えた。こちらの岸とは一本の細いワイヤーで繋がっている。列の先頭の人が木槌を持って板をカーンと叩いた。すると、足元から籠があらわれ、ワイヤーをつたってするすると渓谷を越えていく。茶屋の人がワイヤーをたぐっているのが見えた。しばらく待つと、今度はけっこうなスピードで籠が返ってきた。中にやかんと長方形の折箱が積まれて入っている。「だんごだ!」と叫んでいた。「だんごが飛んでくる! やりたい! やりたい!」と足場の悪い岩の上でよろめきながら騒ぎ、私たちも列に並んだ。

 籠の中に五百円玉を入れる。赤子が入りそうな大きな籠だ。木槌で板を叩いて鳴らすと、対岸の茶屋の人がワイヤーをたぐって籠が去っていく。わくわくと待つ。するるるると籠が戻ってくる。「きたあ!」と受け止めて、覗く。だんごの折箱と紙コップに入った冷たい緑茶がちゃんと私と夫の二人分、入っていた。少人数だと、やかんではなく紙コップのようだが、なみなみと入った茶は一滴もこぼれていない。

 木陰のベンチでいそいそと掛け紙を外す。だんごはこしあん、黒胡麻、みたらしの三種類。もちもちとして、みたらしはしょっぱめなのが暑い日によく合った。人がやってきては木槌を鳴らして、だんごの入った籠が行ったり来たりする。夏雲と青空をバックに、険しい渓谷を越えてだんごが飛んでくる。愉快な景色だった。だんごが飛んでくるだけでこんなにも楽しい気持ちになるとは思わなかった。だんごエンターテインメントとして最高のかたちでは、と考えていたら、大型観光バスがやってきてぞろぞろと人が降りてきた。通訳ガイドらしき人がなにやら説明している。聞こえてくる声で中国の方々だと知れた。集団でだんごの岸へと向かっていく。岩場の半分が中国人観光客で埋まってしまう。

 さあ大変だ。空飛ぶだんごなんて頼んでみたくなるに決まっている。しかし、相当の人数だ。籠を何往復もさせなくてはいけないだろう。店の人は困るだろうな、と気の毒に思いながら、打ち鳴らされる木槌の音を聞いた。「行こうか」と立ち去りかけたとき、突然、音楽が鳴り響いた。運動会のような大音量で、中国語の歌謡曲が流れる。その中を、日本と中国の旗を差した籠がするるるると渓谷を渡ってやってきた。大喝采が起きた。中国の方たちは手を叩いて喜び、周りでだんごを食べていた人も微笑みながら見守っている。谷中が和やかになっていた。

 京都という観光地に長年住んでいたからわかる。人が増えると空気に苛立ちが散らばる。人が多いことによっておきた不測の事態に「こんなはずじゃなかったのに」と不満がつのる。けれど、こんな風に楽しく状況を変えられるのかと目が覚めるようだった。
 そのだんご屋は明治創業。初代は郭公かっこうの物真似が得意で、茶屋を訪れる人を楽しませていたそうだ。人を喜ばせるのが好きな人だったのだろう。その気質が受け継がれている気がした。飛んできただんごは、私のふてくされた気分をあっさりと吹き飛ばしてくれた。

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【なみまの わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『赤い月の香り』『マリエ』『グリフィスの傷』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti

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