見出し画像

艶バター 千早茜「なみまの わるい食べもの」#14

[第2・4水曜日更新 はじめから読む
illustration:北澤平祐


 洋のコース料理において、脇の小皿にちょんと置かれるパンは、料理のソースをぬぐうためのものだと認識している。パンを切らさないよう、こまめにお代わりをお願いし、店の人に感心されるくらい皿をぴかぴかにぬぐう(詳しくは『こりずに わるい食べもの』の「ぬぐい菓子」を参照)。そのため、バターの存在を忘れがちである。

 いや、忘れてはいない。見ないようにしていると言ったほうが正しい。
 飲食店のバターは美しい。くるりと丸められているものもあれば、小さめのココットにみっちり隙間なく詰められているものもある。ビストロで人数分のバターがまとめられテーブルの真ん中にどんと鎮座しているのも好ましい。かすかに黄みがかった乳白色のバターの表面はうっすら艶めいていて、なんの抵抗もなくバターナイフが沈むことを静かに約束してくれている。なめらかな誘惑。バターという存在からは常にそれを感じる。

 しかし、それ故に食べにくいのだ。汚してしまいたくない。数ミリでも削りとったが最後、バターのなめらかな完璧さは失われる。もし残して帰ったとしたら、お手つきのバターとして廃棄されてしまうだろう。魅惑的なバターにそんな屈辱を味あわせるのはしのびなく、さりとて食べきる自信もない(ソースだってぬぐわなくてはいけないし)。なので、仕方なく「手をつけない」という選択肢をとるべく、バターを見ないふりをする。食べた形跡のないバターなら料理に使ってくれるのではという一縷いちるの望みを託して。

 ただ、家でのパン食のときもバターが登場することは少ない。チーズがのっていたり、オリーブやドライトマトが混ぜ込んであったりするパンを求めがちだからだ。カンパーニュやバゲットのときも、まず素のままを味わい(素パンと呼んでいる)、やはり皿をぬぐうのに使ってしまう。最近はバーミックスでポタージュを作るのに熱をあげていて、さまざまな色のポタージュにパンを浸して食すので、ますますバターが不要になっている。

 実家では、朝食がパンのときはジャムやマーマレードの瓶、マーガリン、ときには小岩井の「ぬるチーズ」といったパンのお供が食卓にならんだ。私はマーガリンよりはバターが好きだったのだが、塗りにくいという理由でマーガリンが選ばれていた。確かに、冷蔵庫から出したてのバターは大変に強固で、無理にのばそうとすれば食パンを破りかねない。そして、マーガリンは開きにくい紙で包まれているバターと違い、そのまま食卓にだせる容器に入って売られていた。蓋の一部がパクといとも容易に開き、直接バターナイフを差し込める。忙しい朝においてはマーガリンの勝利を認めざるを得なかった。

 マーガリンは朝食のたびに食卓にあらわれ、また冷蔵庫にしまわれた。使う人がいても、いなくても、冷蔵庫から取りだされた。一度溶けた箇所がまた固まり、黄ばんだ層を作っていく。慌ただしく差し込まれるバターナイフのせいで、あちこちにいつのものかわからないパン屑が埋まっている。段々とみすぼらしくなっていくマーガリンを見ると憂鬱な気分になった。似たような容器に入っていた「ぬるチーズ」もしかり。その体験からか、溶けやすいものを食卓にだすことに抵抗が生まれた。自立するようになり、お洒落なバターケースなるものを知っても、黄ばんでパン屑の埋まったマーガリンを思いだすと手を伸ばす気になれなかった。

 ジャムやマーマレードや蜂蜜といった甘いものも、昔からあまりパンに塗らない。小さい頃に『ジャムつきパンとフランシス』という童話を読んで食パンにジャムを塗りたくったり、大学生のときにクラムボンの『パンと蜜をめしあがれ』を聴いてちょっといい蜂蜜を求めたりしたが、どうも続かない。すぐに素パンに戻ってしまう。チョコ好きだがチョコスプレッドはなにか違うと感じる。甘党だと思うし、周りからもそう思われているが、甘党であるが故に甘さは菓子で摂取したい欲が強いのかもしれない。食卓にだす甘いものは、果実感のあるコンフィチュールをのせたヨーグルトくらいだ。
 バターも同じで菓子として味わいたいのかもしれない。こっくりした古き良きバタークリームも、焦げたバターの香りの仏郷土菓子も、バターそのものが挟まれたレーズンサンドも大好きだ。干し柿に白餡しろあんとバターを挟んだ「HIGASHIYA」の柿衣を食べない冬はない。

 ときどき、次の料理まで間が空いたり、美味しいワインに酔ったりして、ついバターをパンに塗って口に運んでしまうことがある。舌先で溶けるバターに瞬時にして感覚が支配される。なめらかな塩気、馥郁ふくいくたる乳の香り、洗練された脂に「うま!」以外の言葉をなくす。「バターっておいしいねえ」と幼児のような顔になり、「もうパンとバターとワインだけでいいよねえ」と次にくる料理に対して大変失礼なことを口走ってしまう。いけない。きっと、バターのシンプルな高カロリーさは生物としての本能を刺激するのだ。手をつけてしまった以上、食べきらなくてはと思うのだが、このままではパンとバターで満たされてしまう。いけない、いけない、と泣く泣くバターから目をそらし、バターに溶けた頭を正気に戻して次に運ばれてくる料理に集中する。ああ、バターは魅惑的すぎる。

<前の話へ  連載TOPへ  次の話へ>

【なみまの わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

▼わるい食べもの(千早茜×北澤平祐) - LINE スタンプ | LINE STORE

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『赤い月の香り』『マリエ』『グリフィスの傷』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti

更新のお知らせや最新情報はXで発信しています。ぜひフォローしてください!