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姫と騎士修行(前編) 千早茜「なみまの わるい食べもの」#7

[第2・4水曜日更新 はじめから読む
illustration:北澤平祐


 年に数回、妹に会いにいく。アクティブな妹は「姉ちゃん、せっかく来たんだからどっか遊びにいこう。美味しいもの食べよう」と予定を盛り込むが、私は愛しきものの存在を確認し、のんびり茶をするくらいで充分に満足だ。最愛の前では美味もかすむ。姪の「あとかた姫」が生まれてからは会いにいくのがより楽しみになった(なぜ、「あとかた姫」なのかは『しつこく わるい食べもの』の「あとかた姫」を参照いただければ)。気安く会えなくなったコロナ渦中は心の底から新型コロナウイルスを憎んだ。

 去年、妹の住む街を訪れたとき、ランチと買い物のあとに妹が言った。「そろそろ、あとかた姫のお迎えの時間だけど、姉ちゃんも一緒に保育園いく?」と。「え、いいんですか!」と絶叫していた。あとかた姫の公務(園児)の御姿を見られるなんて願ってもない、ということでいそいそと妹についていった。不審者と思われるかとどきどきしていたが、妹が「姉です」と保育士さんに私を紹介すると「あっ! あかねちゃん!」と笑顔を向けられた。あかねちゃん……? 園長先生までもが「あら、あかねちゃん!」と言う。なぜ。「あかねちゃんきたよー」と保育士さんがあとかた姫を呼ぶと、当のあとかた姫はもじもじと照れている。そうか、姫が私のことを園で話してくれていたのですね、なんとまあ身に余る栄誉……と感涙しそうになったとき、保育士さんが「Yちゃん(あとかた姫)、いつもあかねちゃんがディズニーランドに連れていってくれるんだって話しているんですよ」と言った。「え」とかたまる。

 ディズニーランドって、あの世界で最も有名なテーマパークですよね。そして、あとかた姫は卒園まで一年を切っていた。まずい。卒園までにディズニーランドをご一緒しなければ、あとかた姫は狼少女扱いされてしまう。「あとかた姫……」とすがるように見ると、あとかた姫は小さな手を差しだして「あかねちゃん、ディズニーランドいこうよう」と笑った。可愛い。私はその場で必ず年内にお連れすることを騎士のように誓った。

 あとかた姫の前では言えなかったが、テーマパークというものが苦手だ。廃遊園地とか廃墟は好きなのに、活動を維持しているテーマパークを十代の頃から嫌厭けんえんしてきた。両親は子供向けの娯楽施設に我が子を連れていかないタイプだったので家族でもいかず、デートでもいかず、友人ともいかない人生を歩んできた。人混みが嫌いだからと言い続けてきたが、実のところは着ぐるみが怖い。生意気な子供だったので街中で見かけても「中に人が入っているんでしょ」と白けた顔をしていたが、人が中に入っていることが足が震えるくらい怖かった。表情が見えない、なにを考えているかわからない。そういうものが陽気なポーズを取って近づいてくることに恐怖を覚えた。そうなると、どんなテーマパークもホラー映画の舞台にしか思えない。陽気な虚構の裏になにか不吉なものが隠れている気がして落ち着かないのだ。
 そして、私は食の目的以外で人と会うことがほとんどなかった。仕事の打ち合わせですら自分の好きな飲食店を指定している。映画館や美術館は一人で行くことが多い。テーマパークでの楽しみ方も、楽しませ方もまるでわからないことに愕然とした。

 途方に暮れた私は、二人の娘を持つディズニー事情通Aさんに教えを請うた。なんとか姫を喜ばせたいのです、とLINEですがると、Aさんから怒涛の返事がきた。姫の身長は? 食事量は? 今年は四十周年なのでレストランは予約がベター。姫はキャラクターには会いたいでしょうか? キャラに会う方法は、フリーグリーティング、グリーティング施設、グリーティングレストランなどがあります。質問と情報でスマホ画面がどんどん埋まっていったが、私は、へ? グルーミング? と脳内に猿の映像が浮かんだままかたまってしまっていた。

 そう、私は片仮名に弱い。かたまる私にAさんは続ける。「デビュー戦ということでしたらバケパがいいかもしれません。お泊りでシーとランドの両方を体験されては。アーリーがついていますから十五分早くインパできます。ああ、でもランホの朝食もゆっくり楽しんでいただきたい」もう、ぜんぜんわからない。ビジネスマンが「ワークフローの効率化のためにステークホルダーとのコンセンサスを得る」とか言っているのと同じくらいわからない。
 やっと「そういえば、姫はジャンボリミッキーとか言っていました…」と返すと、「ジャンボリミッキーはインパしてからの抽選になります。こちら、ランドとシーのショーパレ一覧表です」とタイムテーブルが送られてきた。ジャンボリミッキーなるミッキーたちのダンス動画もついてくる。え、もしやこれ一緒に踊らないといけないの。
 無理かも……と天を仰ぐ私をAさんが励ます。「あかねさん、ランドはごはんも美味しいですよ。シーはお酒も飲めます!」一筋の光明がさした。「がんばります」と返すと、ワゴンフードとポップコーンとドリンクの一覧表が地図とともに送られてきた。ここでようやく「ランドとシー」が「ディズニーランドとディズニーシー」のことだと理解し、巨大テーマパークが二つ並んでいることを知った。

 その日から猛勉強がはじまった。Aさんの勧めに従い、バケパことバケーションパッケージなる、宿泊に様々な特典がついたディズニーツアーのようなものを予約することにした。しかし、バケパには目的に応じたプランが無数にあった。そのひとつひとつをチェックする。アトラクションを楽しむプランにしたが、ランドもシーもアトラクションは星のようにあった。おまけに「キャラバンカルーセル」とか「イッツ・ア・スモールワールド」とかまた片仮名で内容がわからない。Aさんの指示通り、ディズニーアプリを入手し、毎日どのアトラクションが人気で、何分待ちかを観察した。ランドとシーの地図をプリントアウトして持ち歩き、色分けされたエリアを覚えて、その中にあるアトラクションやショップをチェックした。エリアによって世界観が違い、これはもう国だな、と思った。同時に、YouTubeを見てジャンボリミッキーのダンスを息を切らしながら練習し、二ヶ月半かけて行程表を作るに至った。

 Aさんは毎日のように「姫が好きそうなシーのアトラクションは奥地にあるので疲れないよう船や鉄道での移動をお勧めします」とか「ベイマはアーリーで乗って、美女と野獣を指定アトラクションにしたほうがいいかと思います」とか指南LINEをくれていた。私はもう「ベイマ」が「ベイマックスのハッピーライド」を指すことも、それがランドの「トゥモローランド」にあることもわかるようになっていた。この二ヶ月半で「トゥモローランド」はもうアパレルブランドではなく姫接待の地のひとつになっていた。

 やれることはやった。ディズニー師匠Aさんの最後の教えは「スマホは首から下げるスマホホルダーに!」だった。とにかく両手を空けて戦いにのぞめとのことで、軽さ重視の肩かけバッグとスマホホルダーを用意し、当日を迎えた。姫のデビュー戦をお守りする騎士として、みそぎを済ませてのぞむような緊張感だった。ひさびさに食のことが頭からすっかり抜けていた。

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【なみまの わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『さんかく』『赤い月の香り』『マリエ』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti

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