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第三話 大寒 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第三話「大寒だいかん

2024年1月20日〜2024年2月3日
 
「大寒」は二十四節気の最終節。文字通り、一年の中で最も寒さが厳しくなる頃。
 極寒での鍛錬が心身を向上させ、また神仏の果報が得られるという考えから、武道などの「寒稽古」や、冷水を浴びる「寒中みそぎ」といった寒行は、古来、この時期に行われます。
 
 そして、大寒の最後の日(今年は2月3日)に催される年中行事が「節分の豆まき」。
 節分は「季節の分かれ目」を意味する言葉。なかでも春の始まりの節分が特別なものとされました。かつて季節の分かれ目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを祓うために豆をまくのです。
 
 そんな「大寒」の器は、江戸時代を代表する名工のひとり、尾形乾山(1663〜1743)の『染付阿蘭陀おらんだうつし草花文角向付』。

 今から三百年以上前の元禄から宝永年間(1688〜1711)の頃に、京都の鳴滝なるたき(京都市右京区)の窯で作られた器です。
 
 当時としては珍しい型紙摺りという手法を使い、見込みには五弁の椿の花が、内側の側面には西欧風の煙草葉文が、そして外側には菱十字文が、濃い藍色の染付で描かれています。
 この煙草葉文と独特の濃い藍色はオランダのデルフト窯の陶器を模したものとされ、それが「阿蘭陀写」と呼ばれる所以です。
 
 椿は、雪の中でも咲く数少ない花として冬には欠かせない意匠。そして見込みの深い角向付の形は、豆まきの枡に見立てられることから、大寒にぴったりの器と言えます。
 
 そして『懐石辻留』の大寒の料理は「平目薄造り 紅葉おろし 芽ねぎ」。

 平目は冷たい海で身に脂を貯えた秋から冬が旬。中でも真冬に獲れるものを「寒平目」と呼んで珍重します。
 弾力のある寒平目は、食べやすいように、包丁を刃元から入れ手前に引くようにして薄造りにします。
 器の柄が透けて見えるほど薄く切った身は、あたかも椿に降り積もった雪のよう。そして添えられた紅葉おろしは紅一点の花に見えます。まさに一幅の絵画を見るような美しさです。
 
 もうひとつの器は、再興九谷春日山かすがやま窯『色絵椿図皿』。

 再興九谷とは文化年間(1804〜1818)から明治時代にかけて、江戸時代前期の古九谷(古い九谷焼)の再興を期して、加賀地方(石川県)で焼かれた陶磁器のこと。
 そして春日山窯は、そのこうとして文化4年(1807)に金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に開いた窯です。京都から招かれた名工・青木木米もくべい(1767〜1833)が技術指導を行ったと伝えられています。
 『色絵椿図皿』はその代表作のひとつ。純白に近い素地に椿の花と葉が色絵で立体的に描かれています。
 乾山の型紙摺りの椿とはまったく違うアプローチですが、こちらも二百年以上も前に作られたとは思えない、モダンなデザインが目を引きます。
 
 料理は『鰆みそ漬焼』。

 春の季語でもある鰆は、春が旬と思われていますが、食べて美味しいのは脂がのった冬。
 そして鰆は、下地(醬油)より京都の白味噌との相性がいい魚です。『懐石辻留』では二日間以上白味噌に漬け込むことで青魚のくせを消し、深い旨みを引き出します。
 椿の葉の青みがかった緑と鰆の赤みの強い飴色、そして白い花弁と焦げ目の黒は、それぞれ補色に近いため、鰆の輪郭がくっきりと浮かび上がります。切り身をあえて二つに分けることで、間から花をのぞかせる盛りつけも、心憎い演出です。

コラム「大寒と椿」

 真冬でも美しい花を咲かせ、瑞々しい緑の葉をつける椿は、茶の湯の世界では冬の茶花ちゃばな(茶室の床に飾る花)の代表格。とりわけ大寒の時期は他に咲く花が少ないことから、茶室に彩りを添える貴重な存在です。
 そして大寒の頃に供される茶菓子に「椿餅」があります。道明寺粉の餅で餡をくるみ、二枚の椿の葉で挟んだもので、平安時代の文献に記述があるなどその起源は古く、日本最古の餅菓子とも言われています。

プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/尾形乾山けんざん

 尾形乾山(1663〜1743)は江戸時代を代表する陶工のひとり。京都の裕福な呉服商「雁金屋」に生まれ、琳派を代表する絵師・尾形光琳(1658〜1716)を兄に持つ。
 樂吉左衞門家四代一入(1640〜1696)と野々村仁清(生没年不詳)から陶技を学んだとされ、元禄12年(1699)京都鳴滝に窯を開いて作陶を始めた。
 作風は和歌に題材を得た王朝趣味溢れる風雅なものから、中国の磁州窯やオランダのデルフト窯の器に影響を受けた異国風の図柄のものまで多岐にわたる。色絵、染付、錆絵さびえ、金彩を自在に使いこなし、後の時代の陶工たちに多大な影響を与えた。
 師の仁清が主に茶碗や茶器などの茶道具を手掛けたのに対し、乾山の作品の多くは食器であり“食器を芸術にした陶工”とも評される。その中の「錆藍金絵絵替皿さびあいきんええがわりざら」や「錆絵寿老人図六角皿」など数点は、国の重要文化財に指定されている。

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【エッセイ・目で味わう二十四節気】
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