第二話 小寒 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英
第二話「小寒」
2024年1月6日〜2024年1月19日
小寒は「寒の入り」とも言い、ここからさらに寒さが厳しくなるという厳冬期の入り口。
すでに元日からの三が日は過ぎていますが、一般的には1月7日(一部地域では15日)までが「松の内」。門松を玄関先に置き、しめ飾りを掲げて、家にお迎えした年神さまに新しい年の健康と幸福を祈願する、お正月です。
そして1月11日は「鏡開き」。年神さまに供えた鏡餅を下ろし、雑煮や汁粉にして食べる年中行事。
年神さまの依り代とされる鏡餅は、刃物ではなく木槌や手で割り、縁起の悪い「割る」という言葉を避けて「開く」と呼ぶのが習わしとなっています。
そんな小寒の器は、樂吉左衛門家九代了入(1756〜1834)の『青楽鶴菱皿』。
今から二百年以上前に作られた向付で、長寿の鳥として正月飾りにも使われる「鶴」を象った、松の内にふさわしい器です。
まるで現代アートのような不思議な形をしていますが、よく見ると、羽を広げた二羽の鶴が、長い首を入れ違いにして向き合っているのがわかります。
この二羽の鶴を菱形の対角に配した意匠は「鶴菱」または「向い鶴菱」と呼ばれ、古くから着物や帯の柄として用いられてきた吉祥文様のひとつ。
鶴の一方が口を開け、もう片方は口を閉じているのは、仲睦まじい雌雄のつがいを示す「阿吽の呼吸」で、夫婦和合、子孫繁栄を表したもの。
青楽とは緑色に発色する釉薬のことですが、この器の場合は火変わり(窯変)がもたらす深緑から茶色のグラデーションが、趣と風格を与えています。
そして「懐石辻留」の小寒の料理はお造り。『伊勢海老、うど、防風、岩茸、山葵』。
伊勢海老はその長いひげ(触角)が長寿の象徴とされ、また冬が旬であることから、新年を祝う料理によく用いられます。あしらいの防風はセリ科の葉野菜のこと。
器の真ん中に高く盛られた薄紅色の伊勢海老の身は、器の輪郭も相まって、山の稜線から昇りくる朝日をイメージさせ、なんとも神々しく見えます。
もうひとつの小寒の器は、四代中村宗哲(1726〜1791)の『蓬莱雑煮椀』。
蓬莱文様を描いた蓋付椀で、こちらはおよそ二百五十年前に作られたもの。
中村宗哲は初代から当代(十三代)まで約四百年続く塗師(漆芸家の古称)の家門であり、煮物椀や吸物椀といった茶懐石の漆椀を数多く手掛けていますが、この器だけが『雑煮椀』という名前で呼ばれています。そのことから、雑煮を盛るためにデザインされた椀であることがわかります。
蓬莱文様とは古代中国の神仙思想で説かれた仙境である「蓬莱山」をモチーフとした文様のこと。
蓬莱山には仙人が住み、不老不死や延命長寿を叶える理想郷であるとされたため、長寿を意味する常緑の松や鶴亀が描かれることが多く、この器にも黒漆に銀蒔絵で、蓬莱山の松の枝と葉、そして鶴と亀が格調高く描かれています。
料理は『雑煮すまし仕立て 焼き餅 鴨ひと塩 亀甲大根 日の出人参 うぐいす菜 松葉柚子』。
焼き網でこんがりと焼き、少し焦げ目のついた餅に、濃い目のだしを注いだ、関東風の雑煮です。
亀甲大根とは亀の甲羅に見立てて六角形に切った大根、日の出人参は皮をむき丸く象った人参のこと。鴨は塩を振ってひと晩置き旨みを引き出したものを用います。
見事なのは色どり。松葉柚子の橙、うぐいす菜の若緑、そして日の出人参の赤が、漆黒の椀の中で鮮やかに映えます。蓋を開けた瞬間、その美しさに思わず息を呑んでしまいます。
コラム「小寒と鏡開き」
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石 辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/樂吉左衛門
千利休の求めで茶碗を焼いた樂長次郎(生年不詳〜1589)を初代として、現在十六代を数える樂吉左衛門家。
茶碗の窯として創始したため初代から三代道入(1599〜1656)までの作品に食器は少ないが、四代一入(1640〜1696)以降は菊皿、膾皿、蛤皿など、様々な茶懐石用の器を手掛けてきた。
樂家の食器はすべて樂焼と呼ばれる軟質施釉陶器だが、同じ形の器でも釉薬の微妙な違いによって趣が変わる。とりわけ赤樂の食器は各代ごとに赤の発色や窯変が異なり、それが見どころとなっている。
歴代の中で多くの食器を残しているのは四代一入、六代左入(1685〜1739)、九代了入(1756〜1834)、十二代弘入(1857〜1932)で、中でも「樂家中興の祖」と呼ばれる了入は、皿や鉢、向付を得意とし、箆使いの技巧を施した名品も伝世している。
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