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第五話 雨水 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第五話「すい

2024年2月19日〜2024年3月4日

「雨水」とは、降る雪がだんだんと雨へと変わり、雪どけが始まる時期のこと。山々に積もった雪が少しずつとけ、田畑へ流れていくことから、古来「雨水」は農耕の準備を始める目安とされてきました。
 
 そして「雨水」の末候(二十四節気の一気を3つに細分化した「七十二候」のひとつ)は「草木そうもく萌動めばえいずる」頃です。大地を潤す雨と暖かな日差しによって、冬の間眠っていた草木が、地面や枝々から芽吹きはじめます。
 
 3月3日に行われる「雛祭り」は「雨水」を代表する年中行事。雛人形を飾り、菱餅や白酒、桃の花などを供えて、女の子の健やかな成長と幸せを祈ります。
 その「雛祭り」に欠かせない行事食のひとつが「ハマグリのお吸い物」です。
 ハマグリの二枚の貝殻は必ず一対であり、他の貝の殻とは合わないことから夫婦和合、良縁成就の縁起物とされ、また早春から春にかけて旬を迎える食材でもあるため、行事食として定着したと考えられています。 
 
 そんな「雨水」の器は、樂吉左衛門家九代・了入(1756~1834)の『こうぐすりはまぐり皿』。

 ハマグリの貝殻を模した「蛤皿」は、樂家伝統の向付のひとつ。なかでも「香炉釉」を用いたものは、表千家六代・覚々斎かくかくさい原叟げんそうそう(1678〜1730)の好み物(茶人の好みを反映して制作された茶道具)として、歴代の手で作られています。
 「香炉釉」とは樂家が用いる白釉はくゆう(白く発色する釉薬)の一種で、二代・じょうけい(生年不詳〜1635)が主に香炉(お香を焚くための器具)の制作に使ったためこの名で呼ばれています。白い肌に細かいかんにゅう(ひび割れ模様)が生じて、独特の景色になるのが特徴です。
 
 その器に盛る『懐石辻留』の雨水の料理は『はまぐり真蒸しんじょ 和布わかめ 京人参 ふきとう刻み』。

 真蒸とは魚介のすり身に卵白などのつなぎを入れた「真蒸地」を使った料理のこと。『懐石辻留』では、白身魚の真蒸地に蒸したハマグリを粗みじんにして加え、調味しただしで炊いて「蛤真蒸」を作ります。
 器の中心に盛られた乳白色の蛤真蒸は、ぷっくりとしたハマグリの身そのもの。その前に添えられた深緑色の和布と紅色の京人参は寄り添う男雛と女雛のように見えます。そして刻んだ蕗の薹が、早春の香りを添えています。
 
 もうひとつの器は『古伊万里(古九谷様式)蛤海藻文皿』。

 古九谷様式とは、主に江戸時代前期の1640年代から1670年代にかけて焼成された古伊万里の様式をさす言葉で、染付の器は「あい九谷くたに」とも呼ばれます。
 後の時代の染付ほど鮮やかな藍色ではなく、深みのある落ち着いた色調がその特徴です。
 よく見ると、描かれたハマグリの口から煙のようなものが出ているのがわかります。なんとも不思議な図柄ですが、実はこの煙は「しんろう」をあらわしたもの。
 古代中国に、蜃気楼は「蜃」と呼ばれる巨大なハマグリが吐いた気(息)が作り出すという伝承があり、それが器の意匠のモチーフとなっているのです。
 
 器に盛る料理は『いか 車海老 ししとう くわ焼き 粉山椒』。

 鍬焼きとは、和食で、食材にたれをつけ、鉄板(またはフライパン)で焼いた料理のこと。かつて農民が農具の鍬の上で野鳥の肉を焼いていたのが語源とされています。
 『懐石辻留』では、表裏両面に包丁目を入れたいかと、殻を剝き背わたを取った車海老に、小麦粉をつけ、フライパンで焼いてから、濃口醬油と日本酒を合わせたたれをからめ、最後に粉山椒を振って仕上げます。
 丸まった車海老の柔らかな赤は陽光を、ししとうの明るい緑は萌え出ずる新芽を思わせます。まさに「草木萌動」の時期にふさわしい、春の訪れを感じる盛りつけです。

プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/樂吉左衛門

 千利休の求めで茶碗を焼いた樂長次郎(生年不詳〜1589)を初代として、現在十六代を数える楽吉左衛門家。
 茶碗の窯として創始したため初代から三代道入(1599〜1656)までの作品に食器は少ないが、四代一入(1640〜1696)以降は菊皿、膾皿なますざら蛤皿はまぐりざらなど、様々な茶懐石用の器を手掛けてきた。
 樂家の食器はすべて楽焼と呼ばれる軟質施釉陶器だが、同じ形の器でも釉薬の微妙な違いによって趣が変わる。とりわけ赤樂の食器は各代ごとに赤の発色や窯変が異なり、それが見どころとなっている。
 歴代の中で多くの食器を残しているのは四代一入、六代左入(1685〜1739)、九代了入(1756〜1834)、十二代弘入(1857〜1932)で、中でも“樂家中興の祖”と呼ばれる了入は、皿や鉢、向付を得意とし、へら使いの技巧を施した名品も伝世している。

注釈/古伊万里

 古伊万里は有田、三河内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
 古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
 肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
 古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。

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