グレーの食べもの 千早茜「なみまの わるい食べもの」#18【最終回】
[第2・4水曜日更新 はじめから読む]
illustration:北澤平祐
ひとりでこつこつ書いている自営業者の私と違い、ほとんどの担当編集者は出版社勤務の会社員である。望むと望まざるとにかかわらず異動がある。それが連載中のこともあれば、本が完成した直後のこともあり、そんなときは正直、天を仰ぎたくなるが、仕方がない。彼らは会社員なのだから。
職業小説家になった当初は馴染んだ担当編集者との別れにしばしば萎れていたが、十六年も続けていると異動した編集者がまた異動で戻ってきて担当になったりする。会社員であることを呪ったこともあったが、会社員であるが故に退職しない限りは出版社にいるのだ。また機会はめぐってくる。
新担当者に引き継ぐときは「顔合わせ」と称して、お茶や食事をする。お見合いみたいだな、とちょっと思う。「ご趣味は」と訊く代わりに、私は好きな食べものを尋ねる。自分が見つけた美味をとにかく布教したいタイプなので、打ち合わせをしたりゲラを送ったりするときに茶や菓子を差しあげたいのだ。趣味が合う人だったらパフェやチョコレートの情報交換もしたい。
それなのに、ここ最近、予想の斜め上の返答が多かった。「味噌煮込みうどんです」とか(名古屋土産しかあげられない)、「グミです! 今日のお昼ごはんはアンパンマングミでした!」とか(グミ以外は食べないのだろうか)、「恥ずかしいので千早さんが好きなチョコレートでいいです」とか(よくない)。うまく反応できず、困惑のみが伝わってしまう結果になった。
好きにこだわりがあるのはよくわかる。難しい質問だったと反省し、嫌いなものを訊くことにした。なにか差しあげる際はそれを除けばいいのだから。これはうまくいった。嫌いな食べものの話題は思いがけず弾んだ。
そんな中、「グレーの食べものが苦手です」と新担当のUさんが言った。五人でパフェを食べていたのだが、四人全員が「グレー?」と首を傾げた。「こんにゃくとか、蕎麦とか、ごま豆腐です」と挙げられ、「ああー」と頷いたものの、なにか腑に落ちない。
数日経ってからも「グレーの食べもの」という言葉が残っていた。とても不味そうだ。砂やコンクリートの味しか想像できない。こんにゃくも蕎麦もごま豆腐もそれぞれの味と香りがある食べものだ。しかし、「グレーの食べもの」と言われた途端に無機物っぽくなってしまう。一般的に食欲を減退させる色は青だといわれるが、カクテルや菓子といった嗜好品において、青色は使われることが少なくない。青い薔薇の稀少性にも似た、自然界には存在しない幻想的なものを食すという背徳感が付加されるのかもしれない。では、グレーはどうか。バーのカウンターで「あちらのお客さまからです」と灰色の液体が満たされた華奢なカクテルグラスがつつつとやってきても、まったくときめかないだろう。なぜこれを私に、とどんより悩んでしまいそうだ。グレーは食欲減退色の王者に輝くのでは、と楽しくなってきた。
しかし、こんにゃく、蕎麦、ごま豆腐、以外のグレーの食べものが浮かばない。数日考えて牡蠣はグレーではと思いあたり、くだんの新担当Uさんに訊いてみた。「牡蠣はどちらかといえば白ですね」という返答だった。そうだ、確かにグレーなのは殻であって身ではない。おまけに、牡蠣フライにしてあれば衣しか見えないので問題ないとのことだった(齧ったところを見るのはちょっと嫌だそう)。他にグレーの食べものはありますか、と問うと、「センマイは口に入れたくないほど嫌」と返ってきた。確かに、グレー! あと、鰯のつみれも苦手らしい。ベージュっぽいのはいいけれど、グレーが濃いと駄目だそうだ。ほんとうに色で食べものを選んでいるのだと驚いた。
私は食べものを思い浮かべると、どうしても味と香りが先に浮かんでしまう。色はぼんやりとした背景のようなもので、色によって食べる食べないを決めるのは鮮度をはかるときだけだ。その際は艶や張りを見ているので色というよりは光かもしれない。色で食べものを見ていないから、「グレーの食べもの」と言われても例が挙げられないのだ(牡蠣が浮かんだのは自分も生牡蠣が苦手だから)。グレーを強く認識している人にしかグレーの食べものは見つけられない。もしかしたら、多くの人にとってグレーは無色なのかもしれない。見える人にしか見えないから食欲減退色として白羽の矢がたつこともない。グレー、忍者みたいである。
ちなみに、私がどうしても口に入れられないものは、漂白剤っぽい香りのホヤとミョウバンの臭いのするウニである。焼いたら食べられるが、生のサーモンの脂臭も苦手だ。ほかにもたくさんあるけれど、やはり匂いによって選んでいる気がする。体調が悪いときでも甘いものだけは食べられるのは、菓子類は生臭いことがあまりないからだと最近気づいた。生臭さは私にとっては「危険」なのである。Uさんにとってはグレーが口にすると危険な色なのだろう。では、安全を感じるのは何色なのだろう。訊きたいが、いい加減、仕事の話をしろと思われそうで連絡できずにいる。
【なみまの わるい食べもの】
ご愛読ありがとうございました。
本連載は2025年に弊社より単行本として刊行される予定です。
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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『赤い月の香り』『マリエ』『グリフィスの傷』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti