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第11話 活字と組版 後編|ほしおさなえ「10年かけて本づくりについて考えてみた」

活版印刷や和紙など古い技術を題材にした小説を手掛ける作家・ほしおさなえが、独自の活動として10年間ツイッターに発表し続けてきた140字小説。これをなんとか和紙と活字で本にできないか? 自主制作本刊行に向けての模索をリアルタイムで綴る記録エッセイ。
illustration/design 酒井草平(九ポ堂)

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6 いざ大栄活字社へ!

 そして、6月のある日。九ポ堂の酒井草平さん、ホーム社のKさんと地下鉄の新御徒町しんおかちまち駅で待ち合わせをして、大栄活字社に向かいました。新御徒町駅は浅草や蔵前くらまえなどからも近い場所。駅の周辺はビルが立ち並び、小さな町工場のようなものも多く見受けられました。

 酒井さんの案内で進んでいくと、やがて白っぽい壁の古い建物が。どうやらそこが大栄活字社のようです。間口は狭く、縦に長い建物です。
 なんとなく見覚えがあるような、と思いつつ眺めるうちに、この建物、三日月堂と似てるのでは? と気づきました。三日月堂はわたしの小説に出てくる架空の印刷屋です。ですので、もちろん建物の実物はありません。
 しかし、印刷博物館で企画展がおこなわれた際、三日月堂の模型を作ることになり、店の外観からなかの間取りまで、これまでの小説の描写をもとに具体的に考えることになったのです。
 それまでわたしのなかでは、あちらこちらで見かける小さな町工場から想起して、白い壁の四角い建物、一階が工場で、二階に住居がある、壁一面の活字棚に、印刷機は大型の円圧式の印刷機(つるぎ堂にある国産の印刷機をモデルにしたもの)が1台、電動の校正機(円圧式ですが、校正刷専門の比較的小さな機械)が1台、電動の小型機(九ポ堂にあるデルマックスと同型)が1台、それから手動の印刷機が数台ある、という漠然としたイメージしかありませんでした。
 建物の間取りとは……? さっぱりわからないまま、とりあえず怪しげな図面を引き、しかしどう見ても建物らしくないぞ、と途方に暮れていたところ、以前建築関係のデザインの仕事をしていたことがあり、建物に関する知識を持っている九ポ堂の酒井葵さんが助けてくれました。
 葵さんによると、建物のサイズや柱と柱の間隔などには一定の決まりがあり、それにしたがった形にしないと建物らしくならない、とのこと。活字棚についても、あちこちの印刷所の活字棚の写真を参考に、しっかりした図面を作成してくれました。
 その図面と印刷機や活字棚の写真をもとに、ペーパークラフトの制作会社「紙宇宙」に、紙で三日月堂のジオラマを作成していただきました。
 紙宇宙HP:https://kamiuchu.jp 

 そのときのジオラマがこちらです。すべて紙でできているのですが、窓やドアも開閉可能、可動式の活字棚の棚もちゃんと動く、精巧なものでした。

三日月堂のジオラマ。建物の正面から撮影したもの(著者撮影)
三日月堂のジオラマ。内部を上から撮影したもの(著者撮影)

 そして、こちらが大栄活字社の外観です。三日月堂よりやや間口が狭い気がしましたが、四角い形といい、白い壁といい、なんとなく三日月堂と似ている気が……。

大栄活字社 外観①(著者撮影)
大栄活字社 外観②(著者撮影)

 ちなみに三日月堂は町の印刷屋さんです。おもに町の人の依頼を受け、名刺や年賀はがきなどの挨拶状、伝票などを作っていた、という設定です。
 それに対して、大栄活字社は活字屋さん。印刷も請け負いますが、活字を製造して売るのがおもな仕事です。
 大きな印刷所では、活字の製造から印刷まですべてを請け負っていたようですが、町の小さな印刷屋さんでは、自分のところでは活字の製造をおこなわず、こうした活字屋さんから活字を購入していたようです。
 活字は金属でできているので、ずっと使い続けるものだと思っている方も多いようですが、活字は消耗品です。鉛、錫、アンチモンの合金でできていて、鉄のように硬くはないのです。欠けやすいですし、数千枚刷れば摩耗してしまいます。
 新聞や雑誌、本などを印刷する大きな工場では、活字が組み上がったら、紙型しけいを取ります。紙型とは、組んだ版の上に薄い紙を重ねた用紙をのせ、プレスしたものです。熱と圧力で、紙型用紙に組まれた文字が刻まれるのです。

紙型の見本(撮影・所蔵:印刷博物館)

 この紙型に地金を流し込み、鉛版えんばんを作ります。実際に印刷に使われていたのはこの鉛版です。

丸鉛版の見本(撮影・所蔵:印刷博物館)

  そして、組版の保存には紙型が用いられました。紙製なので、軽いのです。紙型には、補強のためと、地金を流し込んだときの歪みを防ぐため、「うらばり(文字が刻まれた以外の場所に裏からボール紙を貼り付けること)」が施され、重版となってふたたび印刷する際には、この紙型から再度鉛版を作って印刷していたそうです。
 紙型取りが終わった活字組版は解版かいはん(組んだ版を再びばらばらにすること)され、もとのスダレケース(後述)に戻され、再使用されていました。大きな印刷所のなかには、印刷の品質を保つため、紙型を取り終わった活字組版をそのまま鋳造にまわすところもあったようです。
 先ほども書いたように、活字は鉛、錫、アンチモンの合金でできています。使い終わった活字を溶解し、成分を調整して鋳造すれば、何度でも活字としてよみがえるのです。そのため、何度もくりかえし活字を使う印刷所でも、摩耗したり、傷がついたりした活字(メツ活字)は捨てずにとっておき、活字屋さんに戻していました。かぎりなく再生が可能な、無駄のないシステムだったのです。

 活字を鋳造する際は、母型ぼけいというものを用います。字母じぼと呼ばれることもあります。文字の形が彫り込まれた凹形の金属の鋳型で、ここに流し込むことで凸形の活字ができるのです。活字は鏡に映った文字のように実際の文字とは左右反転した形をしていますが、母型の文字は実際の文字と同じ形をしています。
 活字屋さんにはそれぞれの店の母型があり、そのため、活字屋さんによって文字の形が違います。そのうちのいくつかの書体がいまもフォントという形で残っています。
 当時は町の活字屋さんには、明朝体が1種類、ゴシック体は角ゴシックと丸ゴシックの2種類というのが普通だったようです。
 活字にはいろいろな大きさがあります。印刷するためには、ルビに使うような小さなものから、見出しに使うような大きな文字まで必要です。欧文の場合アルファベットは26文字しかないので、大文字、小文字、数字を合わせてもそれほどの種類にはなりませんが、日本語の文字は漢字、ひらがな、カタカナと種類が多いので、一種類ずつ置くだけでも相当な数になり、重量もたいへんなものになってしまうのです。
 ちなみに、大栄活字社の日本語の書体見本はこちらです。明朝、角ゴシック、丸ゴシックのほか正楷という書体があります。年賀状や名刺などではよく見かける書体ですね。

大栄活字社の書体見本(著者撮影)

 母型を作る際は、ひとつの文字がどのサイズでも同じ形になるようにしなければなりません。ひとつの文字原版からいろいろな文字サイズの母型を作るために活躍したのが、アメリカから輸入されたベントン母型彫刻機という機械でした。母型彫刻機はのちに国産化され、日本の各地に広まっていきます。

ベントン彫刻機(撮影・所蔵:印刷博物館)

 活字屋さんごとに特有の母型があり、店の宝だという話を聞いたことがあります。しかし、いまではこの母型を作れる場所は、日本にはないようです。つまり、どの活字屋さんもいま持っている母型を大切に保管し、使い続けていくしかないということなのです。
 などなど、活字をめぐる状況についてあれこれ書き連ねてしまいましたが、いよいよ大栄活字社の店内にはいっていきます!



7 活字の世界

  おおお……すごい……。Kさんと同時に、思わず感嘆の声をあげてしまいました。
 店内は、まさに昭和の活字屋さんの世界。入口の向かいに小さな受付のカウンターがあり、その奥には活字の棚がずらりと……。
 奥に細長い建物の両側の壁だけでなく、部屋の真ん中にもスダレケースと呼ばれる活字を収納する棚が並び、活字の重さで床が波打っています(比喩ではなく、ほんとうに波打ってるんです! 写真ではわかりにくいですが、活字棚の下は重さに耐えかねてかなり凹んでます)。
 活字は書体とサイズごとにスダレケースにはいってならんでいます。印刷屋さんでは、活字を拾いやすいように、馬と呼ばれる棚にスダレケースの前面を出して収納していることが多いのですが、ここでは本棚に本を入れるように、ケースを棚にさすような形で保管されています(この密度ではいっているのだから重いはずです。木の床が沈んで歪んでしまうのもわかります)。

印刷博物館の馬棚
スダレケースをすべて前に向けて設置している(撮影:印刷博物館)
大栄活字社の棚
スダレケースが引き出し式に収納されている(著者撮影)
大栄活字社の店内(著者撮影)

 この状態だとケースのなかを見渡すことはできないのですが、引き出せば全体を見渡すことができます。また、よく使う活字のケースは、棚の側面に引っ掛けてあります。いまは印刷の仕事はほとんどが年賀状と名刺だということで、そこでよく使われる文字が掛けられているそうです。通常の文字のほかに、干支を表す記号などもそろっているとか。

いろは順に並んだ平仮名の活字(著者撮影)

 店主の大塚さんによると、大栄活字社は昭和28年創業。大塚さんのお父さんがはじめた会社なのだそうです。活版印刷が栄えた昭和期は、店もたいへんな活況で、となりの敷地にも社屋が広がっていて、そこに鋳造機が何台もあり、活字の鋳込みも盛んにおこなわれていたそうです。
 活字は活字鋳造機に母型をセットし、一本ずつ鋳造します。わたしもまだ活字を鋳造するところを見たことがないのですが、活字鋳造機の炉で地金を熱し、溶けて液状になったものを鋳型に流し込み、水で冷却して作ります。
 しかし、活版印刷の需要が減ったため、鋳造機は処分し、となりの工場も閉じてしまったそうです。いまも母型はありますが、鋳造は新宿区榎町にある佐々木活字店にお願いしているそうです。
 この日も、鋳造に出すための活字がまとめられ、棚に置かれていました。

鋳造に出す母型(著者撮影)

 まだ東京にも鋳造をおこなっている場所があり、何本もの母型が運ばれ、あたらしい活字が生まれている。活版印刷はまだ生きている、と感じられる瞬間でした。
 とはいえ、たとえばこの連載のトップ画像に配置された初号活字を鋳込むには、特別な鋳造機が必要だそうで、その機械は佐々木活字店にもないのだそうです。大塚さんは「北海道にあるという話を聞いたことがあるような」とおっしゃっていましたが、定かではありません。
 今回のトップ画像作成の際も、横書き用の「、」がない、とのことで、連載タイトルを変更したのですが、初号活字については、いまあるものが売れてしまったら、もう次はない、ということになるのかもしれないな、と思いました。



8 活字を拾う

  せっかくお越しいただいたことだし、と、大塚さんが活字を拾って、組み、印刷するところを見せていただくことになりました。わたしの名前で名刺を作ります。
 まずは活字を拾う様子から。棚にさしてあるケースも手前に引き出せばなかを見渡すことができるようになっていて(落ちてしまわないようにストッパーのようなものがついているようです)、とても機能的です。
 活字は漢和辞典と同じように、部首別、画数順に並んでいます。だから読み方がわからなくても探すことができます。でも、とにかく店内全体に活字の棚が広がっているので、どの大きさの文字がどこにあるかわかっていないと探し出せそうにありません。
 ちなみに、活字を拾うときにはピンセットは使いません。指で拾います。前にも書いた通り、活字はやわらかくもろいので、落としたら欠けてしまいます。指でそっと拾うのがいちばん安全なのです。

 ひらがなで「ほ」「し」「お」「さ」「な」「え」を拾い、文選箱に入れると、奥にある植字台に運びます。
 植字台にはさまざまな大きさの「込めもの」のはいったケースが置かれています。込めものとは、組版のとき、字と字の間、行と行の間、余白などに入れるもののことです。活字の字面の面より低くなっていて、込めものを入れたところはなにも印刷されません。字間に入れるものはスペース、行間に入れるものはインテル、余白に入れるものはクワタと言います。

植字台(著者撮影)
様々な大きさの「込めもの」がはいったケース(著者撮影)

 そして、組版。このときは活字用のピンセットを用います。

  組み上がったものがこちらです。よく見ると、文字が逆向きになっているのがわかります。

組みあがった名刺(著者撮影)

 そして印刷。機械は九ポ堂にあるのと同じ、デルマックスです。文字がまっすぐに、真ん中に印刷されるよう、最初は罫線のはいった紙で試し刷りします。

デルマックスでの印刷の様子(著者撮影)

 刷り上がったものがこちらです。名前のほかに、周囲に花型活字と呼ばれる、記号の活字がはいっています。この花型活字というのもたくさん種類があり、並べて飾り枠として使うこともできますし、ひとつで使ってもかわいいのです。

様々な紙に刷られた名刺(著者撮影)



9 依頼

  名刺制作を見学したあと、大塚さんに今回作ってきた原稿をお渡ししました。いつもは140字小説5編ずつの注文ですが、今回は全部で50編以上あります。こんなにたくさんお願いして大丈夫だろうか、と少し心配になりつつ、プリントアウトしたものを出しました。

  ほしお いつもよりだいぶ量が多いんですが、大丈夫でしょうか。
 大塚さん うんうん、でも、すぐじゃなくて、時間はいただけるんですよね。
 ほしお はい、8月いっぱいくらいまでで大丈夫です。
 大塚さん ああ、それくらいだったら全然問題ないですよ。

 大塚さんの余裕の微笑みにほっと一安心しました。
 以前、酒井さんに相談したときも、それくらい大栄さんだったらちょいちょいっと簡単に拾ってくれますよ、と言われていたのですが、やはり頼もしい……。
 前回の緑青社、美篶堂との打ち合わせの際スケジュールも相談し、緑青社は7月、8月とイベントの準備で忙しく、印刷は9月になってから、ということに決まっていました。なので、活字がそろうのは8月末で問題ありません。
 拾い終わったらまた連絡しますから、と言われ、大栄活字社をあとにしました。

大栄活字社の大塚さん(著者撮影)

  大栄活字社を出てから、今回の本のこと、活版印刷のこれからのことなど、ぼんやりいろいろ考えていました。大塚さんの活字を拾う姿を思い出すと、熟練が必要な作業だということがよくわかります。しかし、いまは、活版印刷にかぎらず、どのような仕事でも単純作業は機械にさせる世界になってきています。DTPで手軽に組版ができるいま、専門の職人を育成するのは無理なことのように思えます。
 活字は鋳造によって完全にリサイクルできる優れたシステムですが、規模が小さくなれば非効率的になりますし、活字のような物質を使わなくても印刷ができる時代、わざわざ活字を作り続ける必要があるのか、と問われれば、あります、とは答えにくい。だからこそ大手の印刷所も活版部門を閉じてしまったのでしょう。

 かつての文選工はみな引退のときを迎えつつあります。いま活版印刷を手がけている若い世代の人たちも、活字を用いず、DTPソフトで作った組版データを樹脂製の凸版に加工して使っている人が多いと聞きます。活版印刷機を使っていても、かつての熟練工のように活字を組むことはできないでしょう。
 活字を鋳造する場所も少なくなり、活版印刷用の大きな印刷機を作っているところもありません。いまあるものを大事に使うしかない。そういう状況では、やはり先細りになっていくしかないのかな、と思いました。
 活版の印刷機を使い、樹脂凸版を用いた印刷などは今後もまだしばらくできるかもしれません。でも、活字を拾って、組んで、本を作ることができるのは、大塚さんのような職人さんが仕事を続けているあいだだけなのかもしれない。

 いつかは紙の本も作られなくなって、電子の奥行きのない文字だけの世界になるのかもしれない。資源のことを考えても、そうなるしかないのかもしれない、とも思うのです。
 でも、今回は、なんとか活版印刷で本を作りたい。
 大栄活字社で刷ってもらった名前だけの名刺を見ながら、そう思いました。
 なぜだろう、と考えていて、やはりこの文字に宿った手触りによるものではないか、と思いました。本を読むとき、内容だけでなく、文字自体に癒されていた。
 それは、コンピュータで組んだものを凸版にして印刷したものとはやはりなにか違っていて、活版印刷の、少し大きな「、」や「。」、字間や行間に宿るもの、そこから滲み出るなにかが心に染み込んで、心を浸してくれていたように思うのです。
 だからなのかなあ、と思います。そのやさしさを、形にして残しておきたい、ということなのかなあ、と。
 そして、そうしたわたしの願いのために仕事を請け負ってくださった方々に、あらためて深い感謝の念を感じました。そもそも無理な願いに付き合っていただいているのです。

 ちゃんと形にしないと。そんなことを思いながら、帰途につきました。

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連載【10年かけて本づくりについて考えてみた】
毎月第2・4木曜日更新

ほしおさなえ
作家。1964年東京都生まれ。1995年「影をめくるとき」が群像新人文学賞小説部門優秀作に。
小説「活版印刷三日月堂」シリーズ(ポプラ文庫)、「菓子屋横丁月光荘」シリーズ(ハルキ文庫)、「紙屋ふじさき記念館」シリーズ(角川文庫)、『言葉の園のお菓子番』シリーズ(だいわ文庫)、『金継ぎの家 あたたかなしずくたち』(幻冬舎文庫)、『三ノ池植物園標本室(上・下)』(ちくま文庫)、『東京のぼる坂くだる坂』(筑摩書房)、児童書「ものだま探偵団」シリーズ(徳間書店)など。
Twitter:@hoshio_s

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