第12話 表紙、そして本のタイトル 前編|ほしおさなえ「10年かけて本づくりについて考えてみた」
活版印刷や和紙など古い技術を題材にした小説を手掛ける作家・ほしおさなえが、独自の活動として10年間ツイッターに発表し続けてきた140字小説。これをなんとか和紙と活字で本にできないか? 自主制作本刊行に向けての模索をリアルタイムで綴る記録エッセイ。
illustration/design 酒井草平(九ポ堂)
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1 判型について
大栄活字からの帰り、九ポ堂の酒井草平さん、担当Kさんとともに駅の近くのお蕎麦屋さんで昼食を取りつつ、本のデザインについてもろもろ相談しました。
以前の美篶堂の上島明子さんと、緑青社の多田陽平さんとの打ち合わせで相談した紙の取り方については、すでに電話で、紙の取り都合で横は105ミリ取れるが、縦は142ミリまでしか取れそうにないということをお伝えしていました。
文庫のサイズというのは横は105ミリですが、縦はけっこうまちまちです。もともとはA6サイズを基準にしているので148ミリなのですが、文庫によってかなり違います。岩波文庫、ちくま文庫、講談社文庫、角川文庫だと148ミリ。新潮文庫、文春文庫、中公文庫あたりは151ミリ。最近のハヤカワ文庫は156ミリあります。
ちなみに「活版印刷三日月堂」シリーズのポプラ文庫は151ミリ。「菓子屋横丁月光荘」シリーズのハルキ文庫は152ミリ。「紙屋ふじさき記念館」シリーズの角川文庫は148ミリ、「言葉の園のお菓子番」シリーズのだいわ文庫は149ミリなので、並べてみると高さが微妙に凸凹します。
この微妙な差はなんなんだ! ハヤカワ文庫くらい大きくなれば(文庫の棚にはいらないこともあり不便ではありますが)、見た目もかなり変わりますし、大きく、スリムな雰囲気にしたいのね、とわかります。しかし、151ミリと152ミリのちがいとは……?
どのような経緯によってその形に決まったのか、と常々疑問に思っていたのですが、今回の問題はそこではありません。文庫本のサイズはいちばん低いものでも148ミリで、それより低いものはない、ということです。
一方、今回の本では紙の取り都合で縦は142ミリまでしか取れません。147ミリより5ミリ小さいのです。しかし、わたしとしては、まあ5ミリの違いくらいたいしたことはないんじゃないか、と考えていたわけです。
ところが、ほかの皆さんからは、それだとちょっと横幅が広めのずんぐりした形になりますね、という言葉が……。以前酒井さんにサンプルで作ってもらった組見本(148×105)の上下を折り込んで142ミリにしてみると、たしかにずんぐりしています。
よく考えてみれば、151ミリの新潮文庫と156ミリのハヤカワ文庫も5ミリしか違わないけれど、印象はけっこう違うわけで、文庫本のサイズにとって5ミリというのはなかなか大きいのだな、と気づきました。
とはいえ、正方形に近い形の本というのもありますし、ちょっとずんぐりしているくらい良いのでは、と思ったのですが、予定していた28字×5行も、縦を142ミリにすると文章の左右の空間が目立ってバランスがあまりよくありません。
行間を変えるなどして再調整してもらうべきか、と思いましたが、ふと、縦が短くなるなら、幅も狭くすれば良いのではないか、と思いつきました。横105ミリというのは、紙の取り方的に可能な最大値なので、狭くすることは可能です。
本は一般的な文庫よりひとまわり小さくなりますが、特装版は表紙に耳付きの和紙を使うため、ひとまわり大きくなります。なので、外側から見れば文庫サイズに見えるかな、と思いました。通常版も表紙をひとまわり大きくするという考え方もあります。
ということで、本文のサイズについては縦を142ミリとして、148×105の縦横比に近く、前の組み方の28字×5行がおさまるよう、横幅を調整して酒井さんに再度レイアウトしてもらうことにしました。
2 表紙のデザイン
九ポ堂にはもうひとつ、表紙のデザインをお願いすることになっていました。蕎麦を食べながら、酒井さんに表紙はどうしましょう、というお話をしました。
ほしお 特装版は手漉き和紙なので文字はシンプルな組み方で良いと思うんですが、通常版の方は酒井さんに紙選びとデザインをお願いしたいと思っているのですが……。
九ポ堂 そうか、紙も選ぶんですよね。色がついた紙とかでもいいんでしょうか。
ほしお そうですね、特装版は手漉き和紙ですし、たぶん白っぽい紙になると思いますから、通常版は色がついていてもいいと思います。ただ、暗い色じゃない方がいいような気がします。
以前作った三日月堂の番外編小冊子『星と暗闇』は、ビオトープという紙のミッドナイトブルー(黒に近い濃紺)を使い、銀のインキを使って印刷しました。その本にはとても雰囲気が合っていましたが、似た形になるのは避けたいというのもありましたし、今回の140字小説本は夜ではなく昼のイメージが良いかな、と思っていました。
九ポ堂 暗くない色……。水色、とかですかね……(ぼんやり)。
ほしお ああ、水色。水色は良さそうですね……(ぼんやり)。
水色はわりと良さそうな気がしましたが、ほんとうにそれでいいのかははっきりしません。そういえば、以前相談したときも色をイメージできない、と思っていたのを思い出しました。
九ポ堂 ところで、この本のタイトルって結局どうなるんでしょうか?
ほしお タイトル……(ぎくっ!)。
九ポ堂 「140字小説集」だけでいいんでしょうか?
ほしお 「140字小説集」はやっぱり副題ですよねえ。メインのタイトルがあった方がいいとは思うんですが……。ちょっとまだ思いつかなくて……。
前回九ポ堂に行ったときにも出た話題です。実を言うと、タイトルについてはあのときからずっと考えていたのですが、活版カードの5枚セットのようにテーマがないため、全体をまとめるイメージが見つからず、途方に暮れていました。
九ポ堂 やっぱりタイトルが定まらないと、色もデザインも決められないですよねえ……。
ほしお わかりました。早めに決めます!
というようなやりとりがあって、蕎麦屋ミーティングは終了しました。
3 西島和紙工房へ
それからも仕事の合間にタイトルについて考えていましたが、結局なにも決まらないまま。しかし、特装版の表紙に使う和紙についても、そろそろきちんと決めなければなりません。
こちらは実物を見ながらでないと話がはじまらない、ということで、山梨県南巨摩郡身延町にある西島和紙工房に出かけることになりました。
西島和紙工房は、身延町の「西嶋和紙の里」の近くにあります。表紙の印刷を担当する緑青社の岡城直子さんも身延町に住んでいるため、現地で合流。その後和紙の里を訪れる、という話になったのですが、岡城さんから身延町という名前を聞いたときは、それがどこなのか実はよくわかっていませんでした。
岡城さんの話では、高速バスなら新宿から一本で行けるとのこと。しかし、その高速バスは一日6本しかなく、早すぎたり遅すぎたりで時間が合いません。電車でも行けるという話で、その場合は新宿から特急で甲府まで、そこからJR身延線で甲斐岩間まで来てください、駅まで車で迎えに行きます、とのこと。
Kさんが、車は申し訳ないからタクシーで、と申し出たところ、甲斐岩間は無人駅でタクシーなどもありませんので、というお返事が。
担当Kさんのほか、製本にもかかわる話なので、美篶堂の上島さんにも来ていただくことになりました。上島さんは東京から行くか、美篶堂の工場のある伊那から行くことになるか、直前までわからないので、現地で合流という話になりました。
4 西嶋への道中記
担当Kさんとは新宿で落ち合って、特急あずさに乗ることになっていました。
特急あずさ。もう何十年もむかし、たしか小学校の修学旅行で乗ったような(実家の旅行は父が車好きだったため、常に自家用車でした)……。ベージュにエンジ色のラインのはいった車体をほんのり思い出し、旅情も高まりつつ、当日を迎えました。
ところが前日になり、いきなりトラブルが……。夜、上島さんからメールがきて、東京から向かうことになったとのこと。しかし、上島さんは行き先の駅を甲斐岩間ではなく、となりの久那土だと思っている様子。
身延行きの打ち合わせのはじめのころ、わたしが間違って行き先を久那土と伝えてしまい、その後の訂正のやりとりがしっかり伝わっていなかったのです。あわてて上島さんに訂正とこちらの乗る列車の情報を書いたメールを送ったのですが、返信なし。上島さんと落ち合えるのか不安な状態での出発です。
さらに、新宿駅の待ち合わせ場所に着くと、Kさんからメッセージが。なんと電車遅延があり、到着が遅れ、あずさの発車時間のぎりぎりになるとのこと。
切符はわたしの分もKさんが持ってます!
というわけで、改札の外で待ち合わせしていたのですが、間に合いそうになかったらとりあえずSuicaで入場してホームに移動、というやりとりをして、しばらく改札の外で待機。上島さんからも依然返信なし。
ドキドキが高まるなか、3分前にKさん到着。切符を受け取り、走ってホームに向かいます。なんとか発車時間に間に合いましたが、わたしの記憶にあるベージュの車体ではなく、白に紫のラインのはいった現代的な車両でした。
そりゃそうだよな! あれから何十年経ったと思ってるんだよ、とセルフツッコミをしながら、指定席を探します。車内も水色を基調としためちゃくちゃ現代的な内装になっており(あたりまえ)、快適な座り心地でした。
上島さんからも、行き先の変更は了解、ただし一本前の特急に乗ってしまったので、甲府で合流しましょう、というメールが届き、ほっと一安心でした。
その後一時間半ほどで甲府に到着。身延線のホームに向かって歩きます。
甲府といえば信玄餅。おみやげにほしいところですが、それは帰りに……。身延線のホームは特急の到着するホームの先に飛び出したような形でくっついていました。進んでいくと、ホームの真ん中ほどのベンチにゆったり座っている上島さんの姿が。
こうして無事合流をはたし、列車に乗りこみました。
ほどなく発車。上島さんのとなりに座って、今後の本作りの方法やスケジュールについて打ち合わせをしました。
上島さんは、本文の印刷をする多田さんのことを心配されていました。100ページを超える本の印刷は相当な作業量であり、つるぎ堂での印刷は多田さんひとりでおこなうというのもあって、できるかぎり多田さんの負担を少なくしたい、とおっしゃっていました。
印刷方法を袋綴じ(または小口を貼り合わせる方法)にすることに加え、大栄活字で文選までおこなうこと、活字を発注する段階で校正まで済ませ、いったん組んだあと行をまたぐような修正はないということを説明したうえで、さらに負担を軽くする方法を考えました。
上島さんは、本文用紙の断裁を和紙工場ではなく、美篶堂でおこなうプランを提案してくれました。和紙工場での断裁だと形にムラが出るので、美篶堂で正確な寸法に断裁した方が良いだろう、とのことでした。
また、つるぎ堂は小さな町工場で、大量の紙を保管するところはなさそう、と説明すると、では紙の管理は美篶堂でおこないましょうか、というお話に。
美篶堂からつるぎ堂へある程度の分量の紙を送り、その分の印刷が終わったところで美篶堂に送り返す。美篶堂からは折り返し次の紙を送る。そのサイクルをくりかえせば、つるぎ堂で大量の紙を保管する必要がなくなります。
西島和紙工房での打ち合わせ終了後、この方法について多田さんに連絡し、検討してもらうことになりました。
加えて、制作スケジュールについても相談しました。つるぎ堂は8月いっぱいイベントの準備などで忙しく、印刷開始は9月以降。印刷がすべて終わるのにどれくらいかかるか読めないところもありますが、11月以降になるのはほぼ確実です。
一方、美篶堂は秋以降繁忙期にはいるとのこと。一度にすべての本を仕上げるのはむずかしいため、できあがった分から順次納品、という方向で考えることになりました。
5 西嶋和紙の里
もろもろの相談が一段落ついたころ、列車が甲斐岩間に到着。
空が広い……。そしてホームに駅員さんの姿がない……。
そのとき、改札口の方から踏切を渡ってこちらにやってくる岡城さんの姿が。なにやら大きな荷物を肩から下げています。合流すると、岡城さんの家もここから車でないと行けない場所で、ご家族に車で送ってきてもらったとか。
改札にもだれもおらず、たしかに無人駅です。「ハンコの里」という看板がありますが、駅の外にはコンビニ一軒ありません。そして、駅前には味わいのある盆栽(?)たちが並んでいました。
ここから先は西島和紙工房の笠井英さんの車で、ということで、小さな待合室で英さんの到着を待ちました。
岡城さんはもともと東京住まいだったのですが、去年ご両親といっしょにこちらに転居してきたのです。不便じゃないか、と心配されることもあるそうですが、もともとインドア派だったので、東京にいるのとそんなに変わらないんですよね、とのこと。
「車があれば大きなスーパーにも行けますし、ちょっと入手がむずかしいものはネット通販もあるので……。こちらに来てから車の免許は取ったんですが、取ったばかりでまだ皆さんを乗せる自信がなくて」と笑っていました。
そんなお話を聞くうちに、笠井さんの車が駅前に到着。運転する英さんに挨拶して車に乗り、広々とした風景のなか、まずは西嶋和紙の里へ。車で10分ほど走ると、広い敷地に建物が何棟か並ぶ施設に到着しました。
「西嶋和紙の里」は1998年にオープン。多目的施設である「みすきふれあい館」、紙漉き体験工房「漉屋なかとみ」、和紙を中心としたおみやげ処「紙屋なかとみ」、お食事処「味菜庵」の4棟からできています。
西嶋和紙の里HP:https://www.town.minobu.lg.jp/washi/
今日は笠井さんの西島和紙工房に行く前に、「漉屋なかとみ」で紙漉き体験をすることになっていました。併設の「紙屋なかとみ」も気になりますが、お昼どきということもあり、まずはお食事処「味菜庵」へ。手打ち麺を野菜やひき肉が入った醤油味の汁につけて食べる郷土料理「おざら」をいただきました。
食事中、笠井さんから少し西島和紙工房のお話もうかがいました。なんと英さんは、もともとガラス工芸作家で、別の場所で活動していたそうなのです。活動の中で、西嶋で育ち実家の紙屋で書道用紙を漉いていた笠井雅樹さんと出会って結婚。この地に移り住むようになったとのこと。
西嶋は富士川の中流に位置していて、戦後はいち早く画仙紙(書道用紙)の生産に取り組み、日本有数の手漉き書道用紙の産地として有名だそう。雅樹さんの実家の紙屋も、書道用紙を漉く仕事をしていました。
雅樹さんも家の仕事で、薄く均一な書道用紙を漉く技術を磨きました。しかし若いころから、このまま書道用紙だけでいいのか、和紙にはもっとあたらしい可能性があるのではないか、という思いを抱いていたそうです。
その後、ガラス工芸作家の英さんと知り合い、結婚。英さんのセンスで漉いた紙は、書道用紙を漉き続けてきた雅樹さんの目からは「でこぼこ」で「ぐしゃぐしゃ」に見えたそう。でも、その「でこぼこ」「ぐしゃぐしゃ」の紙に味わいがあると言って買っていくお客さまがだんだん増えていったのです。
きれいで均一な紙にこだわってきた雅樹さんでしたが、お客さまとの直接のやり取りのなかで、和紙の可能性に開眼し、英さんのセンスを生かしつつ、あたらしい紙作りを目指すようになります。
本来持っていた伝統の技術を用い、楮・三椏をおもな原料としつつも、それ以外の草木も用い、ハガキやブックカバー、ノート、うちわ、花器、照明器具など、さまざまな紙雑貨の製作に取り組んでいるそうなのです。わたしが東京のお店で見つけて購入した、穴のあいた部分に紙の繊維が貼ってあるカードも、こうした共同作業のなかから生まれたものだったことがわかりました。
西島和紙工房の紙製品は、自由な発想で作られていながら、非常に精密です。それはガラス作家の英さんのあたらしい発想を、雅樹さんの優れた技術によって形にしたものだったのだと感じ入りました。
そしていまは、岡城さんのもうひとつのユニットknoten(緑青社は受注生産のユニットですが、knotenではオリジナルグッズの製作をしています)とのコラボレーションで、手漉き和紙に活版印刷をほどこした紙小物も製作しているとのことでした。
食後は「漉屋なかとみ」で紙漉き体験。岡城さんとKさんはうちわ作り、上島さんは手漉き和紙作り、わたしはタペストリー作りに挑みました。
乾かして形にするのに少し時間がかかるため、そのまま西島和紙工房に移動して表紙の相談をすることに。帰りは「西嶋和紙の里」を通る高速バスに乗って帰るので、そのときに立ち寄って、出来上がったものを受け取ることになりました。
連載【10年かけて本づくりについて考えてみた】
毎月第2・4木曜日更新