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中華街の粉仕事|千早茜「こりずに わるい食べもの」第20話

 去年から料理教室に通っている。東京に住んだら絶対に習いたいと思っていた北京の小麦粉料理の教室だ。おかかご飯が心の友、米大好き人間だが、小麦粉が主食の食文化にも興味がある。毎月、せっせと通っては粉と格闘しながらビン餛飩ホントンといったものを作っている。
 粉を水と混ぜ、練ったり、寝かせたり、発酵させたり、伸ばしたりして形を作り、それを茹でたり、焼いたり、蒸したりする。粉が段階を経て変化していく様がとても面白い。幼い頃、泥や紙粘土をこねくりまわしていた根源的な歓びに通ずる気がする。おまけにそれが食べられるのだ。夢中にならないわけがない。調理の合間に語られる、北京の食文化の話も興味深い。

 しかし、粉仕事は難しい。特に餃子が難しい。以前、餃子を包んで並べて兵馬俑へいばようと悦に入っている話を書いたが、それは市販の形の揃った皮を使っていたからできたことで、自分で粉から皮を作るとなるとまるでうまくいかなかった。兵馬俑どころか、整列すらできない。具がもれだし包むこともできていない餃子もあり、崩れかけたスライムの群れみたいになった。己の餃子たちを見て、死屍累々という四文字熟語はこのためにあったのだと思った。自分の奢りを心から恥じた。

 粉仕事を見たいと思った。できるだけ、たくさん。ということで、せっかく関東にいることだし横浜中華街へ行くことにした。早起きして、遠足気分でぎゅうぎゅうの通勤電車に乗った。
 彩色の鮮やかな門をくぐって中華街へ入る。頭上には、房飾りのついた赤や黄色の提灯が連なって大蛇か竜のよう。店の看板はどれも派手で、大通りでも路地でも、びっしりと付箋を貼ったように道にせりだしている。異国に来たようでわくわくする。中華街といっても、台湾料理もあれば香港料理もあり、四川、広東、湖南、山東と地域に特化したものもあれば、観光客向けのザ・中華のイメージに沿った店もある。薬膳や点心の専門店もある。選りどりみどりだ。
 すっかり浮かれてしまい、粉仕事の勉強に来たはずなのに、「朝粥だ!」と中華粥の店に入ってしまう。ほどよくお腹を満たし、菓子も粉仕事だよな、と気づき、中華菓子専門店で月餅や揚げ菓子を物色し、焼きたての蛋撻タンタアを道で頬張る。漢方や乾物の店であれこれ買いあさり、茶藝館へ行って金木犀きんもくせいが香るもちもちの湯圓タンエンとしっとりふかふかの馬拉糕マーラーカオを食べながら茶を楽しんだ。
 ちゃんと本懐も果たした。数軒の店に入り、水餃子、小龍包、包子などを食べる。餃子専門店で厨房を盗み見、若者たちの列に混じって焼き小龍包なるものにも挑戦した。

 とても楽しく美味しかったのだが、なぜかどれも肉汁が多かった。運ばれてきたばかりの熱々にかぶりつくと、びゅっと肉汁があふれる、飛びだす、こぼれる。油分も多いのでとても熱い。舌を火傷する。思わず口を離して、貴重な肉汁を皿に落としてしまう。皿ならまだ良く、シャツにもスカートにも染みを作ってしまった。このときばかりはコロナ感染対策によるパーテーションがありがたかった。さもなくば、同行者に肉汁をびゅっとしていただろう。
「肉汁が過多ではないだろうか……」
「本場でもそうなのか、日本人向けなのか……」
 肉汁をうたう看板を見つけるたびに同行者と悩んでいたら、ついに巨大肉まんにストローが刺さった看板を見つけた。ストローで肉汁を吸うらしい。しかも、どう見てもそのストローは少し前に流行りまくったタピオカドリンクのそれであった。肉まんの「まん」の部分は、もう肉汁容器と化してしまったのだろうか。

 混乱した結果、粉仕事は自由、という結論に至った。粉は容器にもなる。粉は臨機応変にかたちを変えられる。変幻自在な粉の可能性を感じ、大変に満足して中華街を後にした。
 ちょうど夕暮れ時だったので港のほうへと歩いてみた。海が見たい気分だった。氷川丸の背後で青からオレンジのグラデーションに染まる空を眺めていると、突然、警報音が鳴った。「発動!」などのアナウンスを交えて長く鳴る。

 同行者が「ガンダムだ!」と歓喜の声をあげて駆けだす。人々がわらわらと集まる先に、白と青と赤の巨大ロボットがあった。ライトに照らされ、神々しい。しゃがんだり、足を踏みだしたり、移動はしないが、ビルのように大きな物体が重々しく動いている。集まった大人たちは目を輝かしていた。皆、子供に戻ったような良い顔をしていた。私だって実物大のドラえもんが動いて笑いかけてきたら感動するだろう。
 でも、そのときは怖かった。警報音で身がすくみ、巨大ロボットが兵器に見えた。数日前にニュースで見たロシアのウクライナ侵攻のことが頭をかすめたのだ。

 帰りの電車でも恐怖は消えなかった。いま、海を隔てた大陸では大きな音が鳴るたびに誰かが殺され、街が破壊されている。警報音を、フィクションの兵器を、楽しめるのはこの国が平和だからだ。幼少期にアフリカに住んでいた頃は、なにかの破裂音が聞こえれば銃を持った強盗が侵入したのではと怯えた。その感覚を私は長く忘れていた。

 戦争は嫌だ。まさか、この時代にそんなことを文字にしなくてはいけないとは思いもしなかった。
 戦争はこの世で最も個人の自由を脅かすものだと思う。個人が国というカテゴリーで殺したり殺されたり迫害されたりする。突然、住む場所を壊されたり、食べたいものが手に入らなくなったり、教育を受けられなくなったり、他国の文化を楽しめなくなる。当たり前の個人の尊厳を奪われる。それが怖くて怖くて堪らない。声をあげて泣きそうになるほどに。怒りもある。そんなことが許されていいわけがない。どんな理由があっても人が人を損なったり迫害したりすることを容認してはいけない。さもなくば、その事実はいつか当たり前の日常をひっくり返し、自分自身の自由を脅かす。

 中華街へと小旅行気分で出かけたのは、報道を見続けたことによるストレスもあったのだと気づいた。中華街の雑多で自由な空気はしばし暗いニュースを忘れさせてくれた。他国の文化はパワーをくれる。知らない世界は好奇心の肥やしだ。人も、国も、粉仕事のように柔軟であって欲しい。

illustration 北澤平祐

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連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

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