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ぬぐい菓子|千早茜「こりずに わるい食べもの」第21話
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ぬぐい菓子|千早茜「こりずに わるい食べもの」第21話

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 東京の住処のまわりにはパン屋が多い。知り合いのパン好きが「そこはパンの聖地ですよ」と言うだけあって、どこのパンも美味しい。昭和っぽいお惣菜そうざいパンの店、ビストロのような外観のハード系パン屋、ベーグル専門店、スコーンやマフィンやトレイベイクといったイギリス焼きっぱなし系を扱うカフェ、天然酵母や国産小麦にこだわった自然派パン屋など、いろいろな店がある。近所での買い物や駅から帰る道すがら、焼きたてのこうばしい香りがしてくるのでついつい買ってしまう。おかげで、冷凍庫が常にパンに満ちている。
 
 私が好きなパンはもっぱらハード系で、ライ麦などの香りがして、ずっしり重く、歯ごたえのあるものがいい。胡椒やオリーブや香草が練り込んであってもいいが、できるなら味は塩のみが好ましい。クロワッサンやブリオッシュといった甘くきらびやかなヴィエノワズリーはパンだと思っていない。どちらかといえばケーキに属する食べものと認識している。焼きそばパンやカツサンドといった惣菜パンもパンというより料理だと思っている。
 
 私にとってパンとはぬぐうものだ。ステーキを食べ終えたあと、皿でてらてらと輝く溶けたバターと肉汁の混じった液体。サラダ皿の端に散らばるパルメザンチーズとバルサミコ。ボウルの底の、スプーンではすくえないスープやシチュー。旨みの詰まった煮込みのソース。皿にこびりついたそれらはおいしい。メインはもうないし、ともすれば汚れに見えるような部分だけれど、料理の余韻が凝縮されている気がする。皿を舐めたいほどの美味と表現しても、人間の食事のマナーとして皿を舐めることは良しとはされない。しかし、パンは優雅に私の舌の代わりをしてくれる。パンをちぎり、皿がぴかぴかになるまでぬぐってしまう。
 
 外食の際はパンの配分に緊張する。パン皿が空にならないようにしたいのだが、パンのお代わりをお願いしてもなかなかやってこないときがある。そんなときに限ってたっぷりソースにからまったパスタがやってきて、麺部分を食べ終えるやいなや下げられてしまったりすると、もう絶望以外のなにものでもない。パンでソースを思う存分ぬぐいたかったのに。たまに「あ! 待って! その皿、持っていかないでください!」と死守してしまうことがあり、追加された熱々のパンでぬぐっている間とても気まずい。あの人、ぬぐいたかったんだな、と思われているだろうし、「もういいでしょうか?」とおずおず訊かれるのも恥ずかしい。ぬぐいたいタイプの友や恋人がうっかりパンを使い果たしてしまい、ああ……というような顔をしていたら慈悲深い心でパンを分け与える。
 これが家だったら、好きなタイミングでパンを解凍し、どんどん追加できるのだ。チーズが余ればパンを足し、シチューをお代わりする前に新たなパンの塊を焼きなおす。残ったパンは次の日に食べればいいので心配ない。パンが豊富にあると、食事中の安寧が保たれる。
 
 というわけで、自宅での洋食がこのところ充実している。
 反面、パフェのことがとても気になっている。正しくは、パフェを食べ終えたあとのパフェグラスのことだ。私はパフェによって、食べものと食べものが混ざり合うことへの抵抗感を克服できた。いまや、溶けかけたアイスと果物とクランブルなどをスプーンにのせ口に運ぶことに喜びすら感じる。しかし、パフェの甘美な混じり合いにうっとりすればするほど、グラスに付着した生クリームやフルーツソースが気にかかる。
 
 なんとか、あれをぬぐえないものか。スプーンの先でひっかいてみてもうまく取れない。たとえ舐めることが許されたとしても、底の深いパフェグラスは皿よりも難易度が高い。ゴムべらがあればいいのに。いやいや、細いパフェグラスの底まで入るゴムべらはそうそうない。それどころか、時折、スプーンが底まで入らないパフェグラスも存在する。底に溜まった鮮やかな色のソースやジュレめがけてスプーンを差し込むもカツカツとグラスに阻まれる。なんの嫌がらせかと思う。我がパフェ先生の斧屋おのや氏はそういうパフェを「底×(そこばつ)」と呼んでいる。パフェ愛好家泣かせのパフェだ。私は「魔のスポット」と名づけている。
 なぜ「魔のスポット」かというと、魔が差して、パフェグラスをぐいっと傾けて飲んでしまいそうになるからだ。だって一応「グラス」なのだから、マナー違反ではあるまい。店内を見まわし、ぐっとパフェグラスを握り、やってしまえと悪魔がささやく声に身をゆだねかける。が、結局、できない。パフェは淑女なのだ。淑女をビアグラスのように扱うことは許されない。肩を落とし、すごすごと店を出る。
 
 パンがあれば、と思う。パンをちいさくちぎり、グラスの底に落として甘いソースを浸み込ませることができる。グラスの内側に付着したクリームもくまなくぬぐうことができる。贅沢を望めるならばパフェぬぐい用のパンに限りヴィエノワズリー系がいいかもしれない。そのほうが合うだろう。いや、でも合わせるなら菓子にしてしまえばいいではないか。スポンジケーキとか。和パフェならカステラはどうだろう。シフォンケーキやビスキュイ・ド・サヴォワなど軽くて最適ではないか。
 食べ終わったパフェを前に「ぬぐい菓子」に想いをはせる。いつか、どこかのパフェ店で「良かったらぬぐってください」と柔らかな焼き菓子を差しだされることを切に願っている。 

illustration 北澤平祐

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連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti



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